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2006年2月 6日 (月)

転換期の作法

昨日行った美術展のレビューです。

*転換期の作法 ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの
 現代美術/東京都現代美術館
 060326まで/10:0018:00/月休/1000円

表題の通りポーランド4名、チェコ2名、スロヴァキア2名、
ハンガリー3名の計11名による展示。
1階と地下2階の展示室を占めていて、結構なボリュームです。

通して見た感じでは、わかりやすいと言うか、とっつきやすい。そして
元気がある。過去、歴史に翻弄され続けた国々ですが、困難がある分、
逆境でのエネルギーみたいなものがあるのかもしれません。
ユーモラスな、もしくは皮肉的な作風が多いのも、
そうした環境を耐える手法として出てきたもの、と感じました。

アゾロの作品は皮肉的ヴィデオの代表。
「芸術家は何をしてもいいの?」では車につばを吐き、
公園にゴミを捨てる。「全てやられてしまった」では美術の
アイデアを出し合うものの、すべて「どこかで見たことがある」
と却下される。消費社会への皮肉か。「ベスト・ギャラリー」では
ベルリンで最もいいギャラリーの名前を街の人に聞いてさまよい歩く。
みんなばかばかしいけれど、面白い。

パヴェウ・アルトハメルの活動も皮肉的。ギャラリーを完全に廃墟に
してしまったり、美術館の「フェイス」さんをみな子供にしてしまったり
するあたりは痛快。今回は作者の両親が撮ったホームヴィデオを「作品」
として展示しています。

クリシュトフ・キンテラの作風はユーモラスでポップ。顔がなく
小さいがスーツを着た2対の人形はどうでもいいようなことを延々
話している。かと思えば、日本のスナック菓子が入ったビニール袋
がぐちをこぼしていたり…。

ラクネル・アンタルの作風は多岐にわたっていますが、体験型シリーズ
では、手押し車を押す、壁にペンキを塗る、重い携帯電話などあえて
肉体を酷使させているのは、西欧のスポーツジムに対する皮肉でしょうか。
「重力倍増スーツ」は50キロの重さの服で、体験してみましたが
筋肉痛と肩こりを起こしてしまいました。
不気味な新型植物もおもしろいですが、ベルリンに標高1000mのゴミ
の山を造るというプロジェクトは実現してほしい。

一方、パウリーナ・フィフタ・チエルナヴィデオは現代社会が抱える暗部、
貧困や障害を切り取っていて痛々しい。

ミロスワフ・バウカの沈黙した家や
イロナ・ネーメトのささやき声のながれる赤いベッドも魅力的でした。

今回の最大の問題作はアルトゥール・ジミェフスキにのろうあ者による
合唱でしょう。耳の聞こえない若者たちは、歌っている途中でどの
パートなのかもわからなくなる。合唱は案の定、てんでばらばらで
叫び声のようになっています。しかし彼彼女らは楽しそうだ。
耳が聞こえない人に対して、そういう話題をタブー視することは
場合によっては余計な気遣いなのかもしれません。
みんないろんな環境のもとで、オリジナルな幸福を見つけているのですね。

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