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2011年3月 3日 (木)

役立たず

ひとはなぜ産まれたかというと、それはDNAの継承本能に従っただけである。
しかしその結果、人類は爆発的に増え、地球環境さえ汚染するに至り、
子孫を増やすことが必ずしも正であるとは言い切れない状態に陥っている。

ひとはどう生きるかとなった場合、社会的側面が出てくる。
ひとはひとりでは生きられない。だから支え合って生きていく。
しかし働いてさえいれば社会的に有益というわけでは必ずしもなく、
資本主義社会では実は無駄な仕事というのがたくさんある。

社会に従って生きていれば幸せになれるかというと疑問もある。
ひとの生は誰にも保証されることはなく、いくら慎重になっていても
病気になるときはなるし、事故に遭うときはあう。
明日も自分が生きているかなど誰にもわからない。

人生はみな帳尻が合うようにできているなどということもない。
何十億といる人類のすべての人生を幸福にするなど不可能である。
一生不幸である人生だってもちろん存在する。
社会はそれをある程度調整するものの、限度はあるし社会は意外と冷酷だ。
また社会はどうしても真ん中にいるひとと周辺にいるひと、仲間はずれをつくり出す。

子孫を存続させることや社会に従属的に生きるということが、
意義があり幸せにつながるという保証はどこにもない。

ひとは社会の型にはまらず、もっと自由に生きればいいのだ。
親に資産があるならそれにすがるのも良し。配偶者が働いていればそれに頼るのも良し。
どうにもならなくなったら生活保護を受けるのも良し。自殺するも良し。

そういうひとたちはいわゆる役立たずであるが、役立たずがつくれるものもある。
それが文化であり芸術と呼ばれるものだったりする。
美しいもの、感動するものをつくるなら役に立っていると思われるかもしれないが、
ひとの感性は多種多様であり、万人に感動を与えるものなどない。

美術の世界では女性の陰部のクローズアップ写真を並べたり、
牛の親子の輪切りをホルマリン漬けにして見せたり、
苦労して建てものを1枚の布で覆ったり、カンバスをただ網目で埋めたり、
そんなものが高い評価を受けている。
またピアノの前に一定時間座るだけで作曲とされたりもする。

もちろんそれで食べていくのは難しい。
しかしありがたいことにそういったものが人間には一定、求められている。
そしてそれは社会的に端っこにいる人間にしかつくれない。
一生を棒に振るかもしれないが、ここには望みがある。

「このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちやくちやで、
てんでなつてゐなくて、あたまのつぶれたやうなやつが、
いちばんえらいのだ。」宮沢賢治

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