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2011年7月

2011年7月31日 (日)

ぽっかりあいた一日

FCYCLEの熊谷に雪くまを食べにいくオフが開催予定だったのですが、雨天中止となりました。
結局、東京ではぱらっときた程度。まあ微妙な天気でした。

台風が来て以来、猛暑日が激減し比較的過ごしやすい毎日でしたが、
今日はちょっと寒いくらい。
連れ合いがまる一日不在なこともあって、オフ中止の報を聞いてからベッドでごろーんと。
なんとも幸せ?な寝休日となりました。

2011年7月30日 (土)

困ってるひと

*困ってるひと/大野 更紗/ポプラ社

エンタメ風に描かれた難病ものの和書です。
内容は下記ネット上からも読むことができます。ぼくは半分くらい読みました。

http://www.poplarbeech.com/komatteruhito/005097.html

いやもう凄まじい闘病の描写。作者さまにはご同情さし上げます。
アマゾンでの評価は極めて高いのですが、出版社が例のところなので
ちょっと値引いて受け取った方がいいかもしれません。

というのも、ところどころ出てくる作者の過去、バックグラウンドとか
男性遍歴とかに自尊心がへばりついていて、少し鼻につくのです。
結果、本全体が、私はそんじょそこらの患者とはわけが違うのよ!
という風に仕上がってしまいました。

まあある程度の自尊心がないとこんな本、書けませんから仕方ない面もありますが。

2011年7月28日 (木)

生協運動

大学時代に何をしていたかと聞かれると、生協運動ということになります。
本格的に建築に取りかかったのは3年次の後期からだし、サイクリングサークルは日常的には出入りはなく、
夏と春の合宿のみ参加という形をとっていました。

生協とは簡単に言うと、学生に加入、出資してもらい、教科書などを共同購入して安くすること。
たしか1割ほどは安くなったので、学生の加入率は100%近かったと思います。
他にも食堂、ファストフード店、チケット販売店などを運営し、学生理事独自での活動もありました。

新聞パンフレット作成、施設拡充、平和活動、レクリエーション、健康問題などなど。
ぼくが関わったのはここで、出資者にとって賛同ができてプラスになる活動というのが前提でした。
より良い生活と平和のために。そんなキャッチフレーズがあった憶えがあります。

しかしぼくは基本的に中心メンバーではなく、活動的な学生とは言えませんでした。
それほどこの運動に意義を感じていたということはない。
ただ、活動で学生に語る、オルグする姿に魅力を感じていたのかもしれません。
自分にはそれまで語りうる何かがなかったので。

でも結局何か変わったか、成長したかというと何もなかったような気もします。
ただ語り合うその雰囲気に酔っていただけなのかもしれません。
なので今となっては積極的に披露する履歴ではありません。

生協OBのその後を見てみると、その資質を生かすのであれば政界に打って出るものが多いかと思いきや
そうした例はほとんどなく、熱心な学生でも大学生協連に就職するケースあたりが多いようです。

2011年7月27日 (水)

女性不信

今の自分からは考えられませんが20代の頃、一時的に女性不信になったことがありました。

別にこっぴどくふられたとかそういうのではなく、一時、特殊な組織に身をおいていてそこでの影響です。
当時は影響を受けまいと思っていましたが、そこを辞めてからじわじわと染み込んできました。
期間としては2年くらい。女性嫌いというよりは女性はいいよな!という被差別的感覚。

例えば性的駆け引きになると最終判断は女性が握っているとか、生まれながらにして生殖という
存在意義が与えられていて守られ、対して男性は身を粉にして働くばかりだとか、そんな認識が強かった。
ここから救ってくれたのは仕事で出会ったひとりの女性でした。

当時勤めていた事務所では愛知の物件を担当していて工事段階で現場常駐の出張に来ていました。
この仕事、日本での建てものにアメリカ製の映像機器類を取付けるというもので、
そのインターフェイスとトータルデザインを仕事としていました。
いざ取り付けの段となるとアメリカから職人がやってくるので指示出しのために通訳が必要でした。

現地で採用された通訳は30代の既婚女性で、普段は専業主婦をやっている方だったかな。
その第一印象はぶりっこ。何々なんですぅ、というしゃべりかたが受け付けなかった。
で、まあ距離をとりながら仕事をしていたのですが、いざ工事本番というときにアクシデントが起きました。
職人の英語のなまりがひどくて彼女には聴き取れなかったのです。ほとんど仕事にならないようでした。
ぼくはやれやれという目で見ていたのですが、仕事が終わったあと、彼女が本気で落ち込んでいるのを
目にしたとき、ああ、このひとは普段はおちゃらけているけど、仕事には本気で取り組んでいたんだ
と思うと不信感がやわらぎました。
これが不思議と女性全体への不信感もやわらげることにつながりました。

この現場が終わったときに彼女と握手したときにはもう彼女をひとりの人間として親しく思っていました。
ぼくが女性不信を払拭できたのはこの方のおかげなのです。

2011年7月26日 (火)

カート・コバーンと佐藤泰志

今日の日記も、一部過去記事と重複しますが。

アメリカのロックミュージシャンと日本の小説家。

カートは伝説のグランジバンド、ニルヴァーナのヴォーカルでありギタリスト。
そのメジャーデビューアルバム、ネヴァーマインドが大ヒットし一躍世界に知られるようになります。
しかしカートは売れることを意識したこのアルバム制作に納得しておらず、
次作イン・ユーテロでは一転、アンダーグラウンドな音に変容しますがこれはあまり受け入れられなかった。

結局、2枚のアルバムを残しただけで27歳で自らの命を絶ちます。
曲造りに行き詰まっていたのでしょうか。他にも自殺の理由は幾つか想像できます。

有名人になってしまったので、プライバシーはなくなり生活に制限がかかる。
その姿はアイコン化されてしまったので、太ったり声をからしたりはできない。
納得のできないTVショーみたいな番組にも出演せざるを得なかったでしょう。
評価の数は膨大になり、悪評、悪口も多く耳に入ったことでしょう。
周りにはカートを利用して一儲けしようとする輩がたかっていたのではないか。
そしてもちろん創作へのプレッシャー。ビルボードのトップに輝いたアルバムの重圧は大きかったと思います。

一方佐藤は北海道、函館生まれの小説家。
上京し國學院大学を卒業し、家庭を構える傍らで働きながら小説を書き続けました。
その作品は一時は村上春樹と並び評されたほどで、芥川賞候補に5回、三島由紀夫賞候補に1回あげられるも、
結局1度として受賞することはなく、41歳で自殺してしまいます。
生前に刊行された単行本は3冊のみ。没後3冊がさらに出版されますが文庫化されることなく絶版。
近年、そのひとつを原作とした映画が製作されるまで忘れられた作家でした。

その略史を見ているとそりゃ辛いなという感想。認められない苦しさはぼくもわかるつもりです。
中学、高校あたりでは幾つか受賞はしているようです。これが引く脚をとどまらせたのか。
30歳を過ぎて職業訓練校に入りなおすあたり、苦境を打開しようとするもがきが見えます。
40歳を越えてまだ先の見えない状況に絶望したのかなあ。経済的にも厳しかっただろうと思います。

売れるも地獄、売れないも地獄。創作というのはいずれにしても辛い職業です。
共通するのはもろい精神。図太くないと生き残れない世の中なのかな。

2011年7月25日 (月)

なぜか書籍だけ

以前にも書きましたが本を読まなくなりました。
書店へは雑誌よりの情報収集て毎日通っており、単行本、文庫本のコーナーもまわるのですが
どうにも読む気が起こらない。原因のひとつは文面に作者の自意識があふれているせいかと思われます。
一方エンターテインメントに徹した作品は、中身がまるでない。
これでも20代後半から30代半ばまでは古典から現代文学、外国文学まで読み尽くしていたのですが、
もし読めなくなった理由が年齢が読者ターゲットから外れたせいだとしたら悲しいです。

文学以外ではこうした現象は起こっていません。
映画もあまり見なくなりましたが、見て不満を憶えることは少ないです。
美術も同様。音楽に至っては30年間同じものを聴いていても飽きません。
ビートルズやジミヘンなど曲は基本的に若者向けに書かれていますが、
英語が聴き取れないせいもあってか、今でも共感できます。
これはたぶん死ぬまで続くのではないかな。

--
あ、4月14日に同じような記事書いてます。やっぱりな。

2011年7月24日 (日)

3つのs

結局表現主義的なものづくりから逃れられない自分は、
人格性格と作品が切っても切れない関係にあるように思います。

で、どんな風かというと前から思っていたのはsilent。
これに昨日、人ごみを歩いていてslowという形容詞が見つかりました。
せっかく2つsが続いたので、sで始まる語をひと通り検索。
と、まあちょっと言い過ぎかもしれませんがstoicというのがありました。

ぼくのつくる作品の特徴、3つのs。silent、slow、stoic。
うーん、まあいいんではないか。どれも好きな言葉です。

2011年7月23日 (土)

高校のこと

ぼくは基本的に回路の閉じた人間なので周りからの影響というのも受けづらいのですが、
その分、自分とそりの合わない環境に身をおいた時は拒否反応が強く、
今でも消したい過去になっている期間が幾つもあります。

高校時代もそのひとつなのですが、まあ当時は子どもだったし、
今では芸能人を幾人も輩出しているので一般的なイメージも悪くはなかろう、
ということでホームページの履歴欄では学校名を出すようにしました。

この高校、過去にはかなりの数の東大合格者を出して(今は没落しているようです)
野球部が甲子園で初出場初優勝するなど、文武両道のイメージがありましたが、
野球部入学は別枠で、全寮制というからくりがありました。
当時の学校長はU氏で、逝去した理事長の後釜に付き独裁体制をひいたころで、
右翼的な管理教育が徹底されていました。
朝と夕には国旗の上げ下ろしがあり、その時間は君が代が流れ直立不動が命じられていました。
頭髪は刈り上げで週に一度、登校時に頭髪検査がありひっかかると
例え理髪店に行った翌日でも注意を受け、再度散髪に行かねばなりません。

そんな環境下からか在校生の人格も歪んでいて、それは小中と下から上がってきた生徒に顕著なようでした。
例を挙げればとにかく盗難が多い。駐輪場の自転車のかごのなかや、
昇降口での靴など、一瞬でも放置していたらまず盗まれます。
おそらくほとんどが愉快犯でゴミ箱のなかを捜したら出てきたりしました。

唯一、良かったことはと言えば在籍中に新設された女子部の校舎の設計を丹下健三に依頼したこと。
学園祭のときにその全体完成予想模型が展示されていて、引き込まれた記憶があります。
実際に大学進学後に女子部の校舎は見に行きましたが、当時の丹下さんは過去のひとであったにもかかわらず、
その造形、プロポーション、スケール感覚は素晴らしく、認めざるを得ませんでした。

しかしその後に建て替えられた男子部や中学校の設計は弟子の稲塚氏に譲られています。
何があったのかは知りませんがばかなことをしたものだ。
女子部だけだったら昭和の名建築になっただろうにすべてはぶちこわされてしまいました。

何の因果か大学在籍時に東京の竹中工務店でアルバイトをしていたとき、
この男子部校舎の図面修正をすることになりました。
おそらく減額によるもので展開図の線をただひたすら消してゆく。
稲塚氏の評判は施工した工務店内でもあまり芳しくないようでした。

2011年7月22日 (金)

眠る

昨日は台風一過で涼しかったこともあり、昼も夜も1日中眠っていました。

辛うじて気力を起こして見たそれでも、生きてゆくはなかなかよかった。
大竹しのぶはやはりすごいし、満島ひかりもなかなかの好演。

--
上州富岡、TNAですか。
もう公開コンペは引退しようかなあ。気力が続かない。

2011年7月20日 (水)

いろいろ

いろんなことがありました。

・なでしこジャパンW杯優勝
 決勝は0-0のところから見ていました。
 力も技も圧倒的に米国の方が上。しかし日本に脅威の粘りを見ました。
 歴史的な奇跡の瞬間に立ち会えたことを幸せに感じます。

・下流の宴最終回
 結末は基本、原作と一緒ですがより丁寧に描かれていてわかりやすくなっていました。
 翔くんをはじめ、負け組3人衆はこの先どうするのかねえ。
 福原家は誰が稼ぐの?

・原田芳雄さん逝去
 同年に上映されたツィゴイネルワイゼンとヒポクラテスたちでの存在感が圧倒的でした。
 近年では不毛地帯での大門社長役が良かった。
 でももっともっと活躍を見たかった。合掌。

2011年7月19日 (火)

今日マチ子

本日の掘り出しもの。51jd

今日マチ子のセンネン画報
web上で毎日更新される漫画。

画像は沖縄戦のひめゆり部隊を題材とした作品。「cocoon」
決して新しくはないけれど、みずみずしい才能というものは
次々と生まれてきているのですね。

2011年7月18日 (月)

瞳の奥の秘密

洋画DVDです。アルゼンチンの映画。ファン・ホセ・カンパネラ渾身の作品。51n

ブエノスアイレスの裁判所を舞台に、
愛と憎しみという壮大なテーマを25年という月日に渡って描いた大作です。
上映時間は120分を越えますが、次から次へと思いもつかぬ展開が待っていて飽きません。
後進国ゆえの悲しい現実や幾つかの残酷なシーンもリアルに描かれていて心を揺さぶります。

第82回アカデミー賞 最優秀外国語映画賞受賞作。
お勧めです。

2011年7月17日 (日)

江ノ島へ

fさん主催で自転車建築家仲間5名で江ノ島まで行ってきました。Dscn8636

ルートは自由通り-環八-国道1号-柏尾川サイクリングロード-304号-江ノ島。
自宅を6時に出て、国道1号の多摩川大橋に7:25集合。
早めについたので自販機で飲料を購入しているとtさん到着。
一緒にコンビニに行って戻ったところでcさんと合流。
少したってfさんも到着し、まずは4人でスタート。

まだこの時点では暑さは感じず、順調に巡航し横浜を通って保土ヶ谷へ。
ここで地元のyさん合流。時間は8:10だったか。
しばらくすると、どうも脚がまわらなくなってきました。
30km/h巡航についていけないのはまあ地脚がないので仕方ないですが、
サイクリングロードに入ってペースが落ちてもちぎれ気味。
サイクリングロードを出る頃には24km/hもきつくなっていて、
完全にちぎれてしまいました。

と、そこへ結構急な上り坂が。皆さんひょいひょいと上っていきますが、
ぼくにはインナー-ローに落としてしまうほどきつかった。
坂を下りたところのコンビニで休憩となりましたが、
アイスを買ってかぶりつくような状態。
自覚はありませんでしたが、おそらく熱中症にかかりかけていたのだと思います。
ここで幹事のfさんに離脱の意思を伝え、数キロ先の江ノ島で輪行することとなりました。
皆さんその後の予定は未確定なようでしたが、湘南国際村?の激坂に行こうとか恐ろしいことを言っている。
それはさすがに無理。当初はここから境川CRを遡上することも考えていましたが、
また汗が噴き出してきたこともあり、おとなしくエアコンの効いた車上のひととなりました。

約1時間で帰着。冷たいシャワーを浴びても汗は引かず、水をがぶ飲み。
まだ7月で暑さに慣れていなかったのでしょうね。運動不足もあり。
結果としては朝の軽いサイクリングとなりました。

・走行距離:56km
・獲得標高差:314m

2011年7月16日 (土)

今年も猛暑?

ちまたでは3連休だったりするわけですね。
しかしぼくはこの暑さで1日1日を過ごすので精一杯です。
昨晩から今朝にかけても寝苦しかったですね。
おそらく湿度がかなり上がっていたのではないかと思います。

先週走りに行かなくて後悔したので明日、別グループで湘南方面まで行こうと思っています。
スタミナ持つかな。一応帰りは輪行の予定なのですが。

2011年7月15日 (金)

デザイン?の2

だってまだ畑や海は放射能で汚染されているし、瓦礫撤去も進まず山になったままだし、
田んぼは海水に浸かるし、地盤沈下は陸を海に変えてしまったし、
地盤液状化で傾いた家の多くはそのままだし、行方不明者の遺骨も見つかっていないし、
もう4ヶ月も体育館で暮らしているひともたくさんいて、目前の課題が山積みなのに、
震災が人々の意識をどう変えたか?なんて、被災後に初めて現地入りした首相が
被災者のお年寄りに「エコタウンをつくりましょう」とのたまったのと同じくらいKYな感じがしたわけで。

もうひとつ。
デザインって、ぼくら建築家が目指しているのはいいデザインなんかではない。
例えばエアーズロックとかイタリア山岳都市の街並とか、ローマのパンテオンとか、
古い日本家屋の外廊下とか、いいデザインですねえなんて言ったら的外れもいいとこ。
もっと渾然一体となった五感に訴える何か、場、場面展開あるいはもの。
ぼくらが見据えているのはそういうものです。
デザインとかスタイルとかセンスとか言ってしまうと取りこぼしが多過ぎます。

2011年7月14日 (木)

デザイン?

某社のアンケートから。

・震災以降、復興のために一番役に立っていると感じるデザインは次のうちどれですか?

復興支援を呼びかける広告・ポスター・Webサイトなどの制作物や活動
節電を呼びかける広告・ポスター・Webサイトなどの制作物や活動
LED電球やエコ住宅などのプロダクトなど

・震災以降、デザインやモノづくりはどのように役に立つと思いますか?

新しい価値観をカタチとして表現する
イノベーションによって新たな生活の手段を提供し、生活の質を高められる
デザインを所有することで、心の豊かさを得ることができる
社会的な課題・ミッションを共有し、方向性を示すことができる

デザインさんの自意識過剰だと思う。

2011年7月13日 (水)

シクロツーリスト

シクロツーリスト、最新号の第3巻はオーダーメイド特集です。

パーツ、メカニック、峠、輪行ときて今回の特集。
これでツーリング車の一通りの情報は揃った感じです。
はてさてこの半ば強引とも思える一連の刊行にて、
ツーリング車ブームは起こるのでしょうか?

ぼくあたりの年代を下限とした過去のツーリストを振り返らせるのは
比較的簡単かもしれません。
問題となるターゲットは若者と女性でしょうね。
ロードバイクも当初はほとんどおじさんが占めていましたが、
今はこの層にも浸透しています。

さあどうなるのか、ぼくにはまだ予想がつきません。

2011年7月12日 (火)

社会における個人を考えた場合、役というものが出てきます。

子どもの頃、学校の行事とかでありましたよね。
大人だとバーベキューをする時とか、
「あ、おれ○○するから」と早々に立候補するひとは社会適応性大です。
ぼくみたいなタイプは役が足らなくなったりして、どこかに混ぜてもらうようなパターンか。

役は社会にとってもともとは義務のようなものでしたが、だんだんと欲望の対象に変わっていきます。
今は少子化しているというのに高齢者が役を譲らないせいか、就職難がおきています。
役がアイデンティティとして肥大化してしまっているのですね。で、失うのが怖い。

また、組織内では役の序列があったりします。基本、仕切るひとが上。
これは仕切るのに向いているひととそうでないひとがあると思うので妙な話です。
加齢で現場能力が落ちてきているので一歩下がるというのならまだわかりますが、
役が名誉のようになってしまっているのですね。
総理大臣だろうと災害ボランティアだろうとひとつの役にかわりはないと思うのですが。

一方、資本主義社会、競争社会においては役は奪い合うものになっています。
ライバルは同業他社。人目をはばかることなくあらゆる手を使ってシェアを奪いにいきます。
社会の役の発端である分担という考えから随分変質してしまいました。

現代社会で役ってそんなに大切なものなのでしょうか。
まあお金の問題はありますが、役がなくても人間ひとりとしては存在し得ます。
あまり役にこだわらないで自分にできる範囲のことをしていくのがいちばん幸せなような気がしています。

2011年7月11日 (月)

パーティー嫌い

昨日はFCYCLEの多摩丘陵隊があったのですが、起きたのが遅く、
また多摩川オフ自体が暑さのため中止になったこともあり、
自分にはめずらしく出走宣言をしていながらDNSとしました。
しかし参加者の楽しそうなtwitterのつぶやきを見る度、参加すれば良かったと後悔の念に駆られました。

これってあまり多いケースではないのですが、パーティーに招待されながら、
パスした時の感覚に似ていました。
知った顔の多いパーティーとは別に、建築賞の受賞記念パーティーとか、
大学の教官の退職記念とか、そうそうたるメンバーが連なっているところに、
なぜか招待状を頂くことがあります。
パーティーの主役ともその時点ではさほど親しいというわけでもなく、
しかしせっかく声をかけていただいたのだから…。

そういうのに限って出席者に知り合いらしいひとはいません。
会費も8000-10000円と高く、そう簡単に出せるものではありません。
で、迷いに迷ったあげく、出欠のはがきも出さず欠席となるのですが
パーティー当日はうつになってしまいます。

まあ基本、パーティーは苦手なのですけどね。

2011年7月10日 (日)

白衣効果

お医者さんというのは容姿がどうあれ、その肩書きだけでもてるものだそうです。

ぼくは医者ではありませんが、白衣の効果というのは感じたことがあります。
もう10年以上前、美術展のボランティアで解説員をしたことがありました。
体験型の展示で、お客さんはストレッチャーのような台に横たわり説明を受けたあと
球状の体験機にのなかに入れられ5-10分ほどの光のアートを楽しむというもの。

このときの解説員は皆、コスプレで白衣を着ていました。
で、横になった体験者に説明するのですが、特に若い女性の場合、
「先生にお任せします」って感じの表情をするひとが多い。
それはたぶん医者と患者のような関係で自分はもてていると錯覚するほどでした。

あんな体験を毎日できるとそりゃもてると自覚するだろうなと思った次第。

2011年7月 9日 (土)

今月のカーサ・ブルータスはペット特集です。
いろんな犬が出ていて、過去に飼った犬を思い出したりしていました。

ぼくは2歳の頃から横浜郊外の新興住宅地に育ったのですが、
当時はまだ空き地も多く、舗装路も半分くらいという状況で、犬も放し飼いが多かったです。
他で飼っている犬が迷い込んできて世話をするということが何回かありました。

最初にちゃんと飼ったのは白い雑種犬。この犬がとんでもない狂犬でした。
世話をする母親以外には一切馴れず、攻撃してくる。
飛んでる蝶を捕らえて食べるなど、精神病であったのではなかろうか。
あるとき弟の目に噛み付いて、ぼくは監督責任を問われて母親に怒られました。
幸い傷はたいしたことがなかったのですが、犬は程なくして消えました。
おそらく子どもは知らなくていい場所に連れて行かれたのだと思います。

2代目は茶色の雑種。高校1年のときに我が家にやってきました。
おとなしくて気性のいい犬でした。
高校の3年間は毎日のように散歩に連れ出していました。
大学1年のときに、今自分がこの世でいちばん、そして唯一愛しているのはその犬だと自覚して
うろたえた覚えがあります。それほどまでに愛情は強かった。
その犬とも、就職すると激務のせいで世話をすることも少なくなりました。
世話は主に弟がするようになりました。
27歳で実家を出ると、たまに戻ってももう自分が誰だかわかっていないようでした。

ぼくが30歳の頃犬は亡くなりました。電話で訃報を聞いた時は、14歳という大往生のせいもあってか、悲しみはありませんでした。
母親と弟は大泣きしたそうですが、ぼくも高校、大学のときに死なれていたら相当ショックを受けただろうと思います。

以来、実家で犬を飼うことはありませんでした。
死んだ時のことを考えると飼う気にならないということのようです。
なのでぼくもペットを飼うことは慎重になっています。

2011年7月 8日 (金)

エーロ・サーリネン

近代建築の巨匠をあげていくと、まずライト、コルビュジェ、ミースSaarinen
それに遅れる形でカーン、アアルトと続けるのが一般的な見方かと思います。

ここで見落としてしまいがちのひとがサーリネン。
続くポストモダン世代との間に生まれ、51歳で早逝したためか目立ちませんが豪腕の持ち主でした。
一時イームズと共同していたほか、日本の丹下健三にも強い影響を与えています。

ぼくが建築の道に入って初めてひかれた作品はおそらくシドニーのオペラハウス。
ヨーン・ウツソンによる設計ですが、これを落選案のなかから拾いだした
審査員のサーリネンの色が強く出ています。
それでぼくもサーリネンの他の作品、TWAターミナルなどに興味を移していきます。

その作風はバラエティに富んでいますが、あえてくくるとなると構造主義、表現主義風。
あまり知的裏付けがなされていないのが、評価が分かれる理由のひとつかもしれません。

しかしぼくは前述したように出自が表現主義なので、共感するところは多い。
特にニューヨークの高層ビルではサーリネンのCBSビルがミースのシーグラムビルと
並んでツートップだと評価するほどです。

ただ今、作品を見返して気づいたのですが、アメリカのMITには行ったのですが、
ミースにばかり目がいっていて、サーリネンの礼拝堂(写真)を見るのを忘れていました。
何たる失態。(後記:MITとIITの勘違いでした)

2011年7月 7日 (木)

9.11の場合

東関東大震災の復興会議には安藤忠雄さんが名を連ねていますが、Worldradcentersite
建築家にできることはというと、緑化計画とか祈念施設の建立くらいに限られてくると思います。

一方9.11の復興の場合はどうだったでしょう。
こちらは世界的なコンペが行われ、ダニエル・リベスキンドが1等をとりました。
あまりぱっとした案ではありませんでしたが、ボリュームを分散させ、
周囲への影響を最小限に抑えた点が認められたのかもしれません。
そのメインシンボルとなるビルはフリーダム・タワーと呼ばれ、
リベスキンドらしい勢いのあるデザインとなっていました。

しかしこの案、収益性が低いことや、保安上の問題も指摘されて、
結局アメリカの設計事務所、SOMにより大幅な設計変更が行われてしまいました。
現在、フリーダム・タワー(新名称1 ワールドトレードセンター)のクレジットには
リベスキンドの名前はありません。
実際のビルディングデザインも、とても保守的なものになってしまいました。
コンペの案はどれもスケールアウトしていてそれに比べればましかもしれませんが
ニューヨークの顔となるには何とも寂しい限りです。
世界の建築シーンの最先端を示す絶好の機会だったのですけどね。

2011年7月 6日 (水)

復興

以下、都市計画は専門外なので想像によるところが多くなります。

大臣まで逃げ出した?東日本大震災の復興。遅々として進んでいないように見えます。
まずは瓦礫撤去と処分、それと行方不明者の捜索。4ヶ月経ってまだこの段階か。
海のなかの瓦礫もまだ残っているでしょう。

まずどう復興するにせよ、津波対策は再考しておかねばなりません。
今回の規模の津波を堤防の高さで押えようとすると景観的にも無理があります。
それに今回は堤防がひっくり返ってしまった構造が問題だったのであって、
むしろ堤防に奥行きを持たせてマウンド状にするのが効果的かもしれません。
海に浮かぶ島々のおかげで難を逃れた松島あたりから解決の糸口が見えるかもしれません。
このマウンドを瓦礫でつくれたら一石二鳥なのですが、それは難しいかな。

さてようやく街の復興に入るわけですが、山間部に移転するかがまずはキーとなります。
これはおそらく町単位で意見を集約して決めていくことになると思います。
津波の規模が大きかった三陸海岸の街はこのケースが多くなるかもしれません。
新たに土地を切り開きインフラから整備していくわけですから時間とコストがかかります。
今まで宅地だった部分をどうするか、どう管理するかという問題も出てくるでしょう。
ただ権利関係での問題は少ないので決めてしまえばお金があれば案外スムーズに進むかもしれません。

一方で今までの土地にとどまり、再建するという街もあるでしょう。
津波の高さが比較的低かった平野部に多くあるかと思います。
その場合、堤防が決壊したとき逃げ場がなくなるので、以前日記で書いたような、
堅牢な緊急避難塔のようなものが一定の距離内に必要となるでしょう。
さて、土地はどうするか。既存の土地に再興するなら街並の記憶はある程度残るでしょう。
しかし災害時の避難、緊急搬送路の確保を考えると、小径は4mまで拡幅され、
さらに大規模な幹線道路が設置されることになるでしょう。
その場合土地の買収が必要となってくるので手間がかかります。
持ち主が亡くなったケースも多いでしょうし、法務局がもし流されていたら、
土地の権利関係を示す書類がなく、大変なことになるでしょう。
街並が以前に比べておそらく均質化してしまうのも文化的には寂しいところです。

いずれにせよ、まずは上下水道、ガス、電気といったインフラ整備が急がれるので、
自治体がリーダーシップを持って線を引いていくことが必要です。
国にお願いするのは主にはお金でしょうね。
震災によって自治体への税収はがた落ちすることが目に見えています。

2011年7月 5日 (火)

年齢

昨日、テレビでバラエティー番組を見ていて、一瞬耳を疑いました。

タレントの千秋さんが「今年で40代になります」と言っていました。
え?いくら彼女が童顔だといっても、冗談だろと思いましたが、
調べてみるとその通りでした。
考えてみれば自分ももう46。不思議なことではありません。

同様に、俳優の西村雅彦さんが50歳だと知りました。
あれー、随分年上だと思っていたのに。
まあ、若い頃の4つ上というのは結構大きな数字だったかもしれません。
でも、もう50近くなるとたいした差とは感じませんね。

歳を取るというのはこういうことなのかと実感した出来事でした。

2011年7月 4日 (月)

起立性低血圧

ぼくの持病のひとつで、一般的には立ちくらみと呼ばれています。
ひどい時は一瞬意識が飛んで、ぶっ倒れてしまいます。

昨日は1日中これがひどかった。頭痛もしたし。
思い返してみると朝起床前に寝苦しく、エアコンの前で直接風にあたり
そのまま寝てしまったのがよくなかったかと。
身体の表面体温が随分と下がっていました。

いきなりの猛暑と、年齢による体温調節能力の低下が招いたようです。
今朝は回復しているようですが、注意が必要なようですね。

2011年7月 3日 (日)

草食系建築

最近たまに目にする、上辺がアーチとなっている窓、扉とか切妻屋根、天井、
田の字型の窓なんかはポストモダンのツールとして見ることもできますが、
むしろ最近、日本のカルチャーで注目されている「かわいらしさ」を表すものととらえた方が妥当でしょう。
ボリュームを細分化した平屋が多いという現象もおそらく同様。

「建築」として威張らないで使用者の身に沿ったような建てもの。
でも日本では昔から木、土、紙でできた身の丈にあった建てものが多かった。
そういう意味では伝統を違った形で受け継いでいるのかもしれません。

そしてそれは西洋の肉食系建築に対し草食系建築と言えるかもしれません。

2011年7月 2日 (土)

今年の健康診断結果

昨年とほぼ同様の結果でした。2010年7月9日、2009年7月15日日記あり。
相変わらず尿素窒素で黄信号、LDLコレステロールで赤信号。

去年より体重は4kgほど落ちていて、体脂肪率も20%を切っているのですが、
ダイエットは血液成分には効果がありませんでした。
ツール・ド・草津の結果からすると体力は年々確実に落ちています。
ただ痩せるだけではなく、運動もしなければならないのでしょうね。

2011年7月 1日 (金)

ガラスの箱

いまだに当選案の発表がない上州富岡駅舎コンペ。

6月21日のブログで「木造+ガラスでかわいく透明感のあるものが
似合うのでは」と書きましたが、公開プレゼンテーションに行かれたひとのブログを見ると、
「今回の1次通過者に共通してみられるのはスケルトンということ。ガラス建築がとても多い。
街との繋がり、一体的利用などの考えからであろう。とにかくスケスケ」とのこと。
あら、案外的外れでもなかったのねと、事前に敷地調査をしなかったことをちょっと悔いました。

フラットルーフにガラス壁、もしくは切妻屋根にガラス壁というパターンがほとんどのようですが、
しかしそれを前提に案を練ってみても納得できるアイデアは湧いてきませんでした。
結局、柱と地上部のレベル差くらいでしか勝負できない。
あとは本当にディテールやプロポーションとかの話になってしまう。

そうなると苦手なんですよね。
オープンコンペは斬新な案を期待して行われるのではないでしょうか。
審査が保守的になってしまうというのはどうなのだろう。

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