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2011年7月12日 (火)

社会における個人を考えた場合、役というものが出てきます。

子どもの頃、学校の行事とかでありましたよね。
大人だとバーベキューをする時とか、
「あ、おれ○○するから」と早々に立候補するひとは社会適応性大です。
ぼくみたいなタイプは役が足らなくなったりして、どこかに混ぜてもらうようなパターンか。

役は社会にとってもともとは義務のようなものでしたが、だんだんと欲望の対象に変わっていきます。
今は少子化しているというのに高齢者が役を譲らないせいか、就職難がおきています。
役がアイデンティティとして肥大化してしまっているのですね。で、失うのが怖い。

また、組織内では役の序列があったりします。基本、仕切るひとが上。
これは仕切るのに向いているひととそうでないひとがあると思うので妙な話です。
加齢で現場能力が落ちてきているので一歩下がるというのならまだわかりますが、
役が名誉のようになってしまっているのですね。
総理大臣だろうと災害ボランティアだろうとひとつの役にかわりはないと思うのですが。

一方、資本主義社会、競争社会においては役は奪い合うものになっています。
ライバルは同業他社。人目をはばかることなくあらゆる手を使ってシェアを奪いにいきます。
社会の役の発端である分担という考えから随分変質してしまいました。

現代社会で役ってそんなに大切なものなのでしょうか。
まあお金の問題はありますが、役がなくても人間ひとりとしては存在し得ます。
あまり役にこだわらないで自分にできる範囲のことをしていくのがいちばん幸せなような気がしています。

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