« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月

2011年8月31日 (水)

政治家

なぜ菅さんがあれほど総理大臣の座に固執したのか、
わかったような気がしました。

総理というのは政治家にとって「あがり」のコマで次はもうない。
会社なら社長を辞めても会長とか相談役とかあるにはありますが。
金丸さんとか小沢さんとかの政治生命が長いのも総理にならなかったからではないか。

総理を辞めたあとも政治家を続けるというのはあまりみっともいいものではない。
小泉さんのようにすっぱり引退するのがいちばん決まっている。
それか大平さんや小渕さんのように任期途中で倒れるというのも、
政治家人生にとっては案外幸せなのかもしれません。

2011年8月30日 (火)

成虫して1週間ほどで死んでしまうと言われている蝉は、
はかない、とか、かわいそう、とかの印象を持たれる方が多いかと思います。

しかしぼくは最近はこう考えています。
10年近く地中に潜伏する幼虫期間というのは必ずしも不幸とは言えないのではないか。
何せ他の世界を知らないわけですから、毛布にくるまれた赤ん坊のようなのかもしれません。

成虫したら短期間で子孫を残すために懸命に鳴く、それこそ過酷な競争社会が待っています。
大人にならなくてもいいなら子どものままでいた方がいいのかもしれません。

2011年8月29日 (月)

全日本マウンテンサイクリングin乗鞍当日

深夜には雨音が聞こえていましたが、明け方にはやんでいました。Dscn8648

4:30起床で5時から朝食。そそくさと切り上げて清算などをしながらチェックアウト。
集合時間の6時には会場入りすることができました。天気は曇り。
まず荷物預け。6時半から開会式。その後、会場をぐるっとまわってみましたが、
FCYCLEのメンバーとは遭遇できませんでした。

7時から順繰りにスタート。ぼくのスタートは7:40分頃。
が、チップの計測開始場所が分からず、サイコンのリセットをしくじる。
仕方なしに7:41のスタートだったかと記憶することに。

コースはやや急な勾配のあと緩斜面に。そのあとで激坂があったあと、平均的な斜面になると
コースマップを記憶していました。
しかし激坂があったあとでも、勾配は一向に緩くならない。緩く見えてもしんどい。

前日の会場でのヒルクライムのレクチャーで、苦しくなったら腕を引いて上半身を使えと、
言っていたのでその通りにしていると、いつもの骨盤痛は出ませんでした。
が、かわりにその周囲の尻から内股にかけての筋肉が痛みだし、
呼吸系に余裕ができてきても、ペースアップすることができませんでした。
脚をつきたいなあ、休みたいなあという気持ちは草津の時と同じ。
もうこの時点でタイムには期待していませんでした。

天気は上るにつれて晴れに。道ばたではメカトラでストップしている選手が目立ちました。
最後まで苦しんでゴールしたのは10時前。
このとき誰かに声をかけていただきましたが、どなただったのかは不明。
しばらくは痛みからの解放感に浸っていました。

荷物置き場はいつものごとく大渋滞。天気がいいので写真を撮ったり、
下りに備えてウィンドブレーカーを着込んだりします。
列が広場を一周しスロープを下りてやれやれもうすぐだと思ったところで、なんと後輪がパンクしているのを発見。
それまで全然気づきませんでしたが、上りの中盤あたりでプシュッという音を聞いた記憶があります。
しかし降りて確認するわけにもいかず、おそらくそこからスローパンクの状態で、10kmは走っただろうか。

ああ、それで後半重かったのかと思いましたが、リムが心配です。
コリマのカーボンディープリムでしたが、見た感じではクラックは入っていない。
ハブもどうやら無事の様子。超低速だったのが功を奏したようです。

しかしこれから下るのにパンク修理は必要です。
仕方なく列を離れ、レースで疲れきった身体で作業を始めます。
チューブラータイヤをリムからはがすところで少し苦労しましたが、
時間はかかりながらもタイヤ交換は終了。
その頃にはもう広場にはひとは残っていませんでした。
やー、レース中のパンクは初めての経験。けど完走できてよかった。

写真を撮りながら11時過ぎから下山を開始。
麓の会場に着いたのは12時頃。計測チップを外して渡してからトイレへ。
お土産を買ってソフトクリームを食べたところでkさんと遭遇。
他の2人は見かけていないとのことだったので、宿へ。
するとcさんがいらっしゃいました。yさんはバスの時間があるので先に出たとのこと。
帰りの高速の渋滞が予想されたので、ぼくは風呂にも入らずそそくさと準備をして12時半に出発。
ここでkさんとはお別れです。

細い道はやや渋滞しながら新島々へ。ここでコンビニとGSに寄ります。
松本へもやや渋滞気味でしたが、ストレスを感じるほどではありませんでした。
中央高速は大月のあたりまでは順調で、こりゃ案外早く着くかもと期待したりしていましたが、
やはり日曜の午後、小さな渋滞のあと小仏トンネルを先頭に10数キロの渋滞。
ひどいところではぴったり止まって動かないところもありました。

でもまあ仕方ない。意外な自転車マニアだったcさんと70年代の自転車談義などしながら過ごします。
トンネルを過ぎてからはだいたいスムースに車は流れ、永福ICを降りてぼくはここで降車。
時間は6時前。7時の夕食に余裕で間に合いました。

cさん、お世話になりました。ありがとうございました。

全日本マウンテンサイクリングin乗鞍前日

遅くなると中央高速が混むという予測のもと、6:45に甲州街道下高井戸で、cさんの車にピックアップ。Dscn8642
そのまま、永福ICから中央高速へ乗ります。
途中のサービスエリアで朝食の買い出し。
早出の狙いはあたり、松本ICまで渋滞なしにスムースに到着しました。

余裕ができたので、新島々のあたりで昼食をとることに。
まだこの時点で10時過ぎくらいでした。
外観はいまいちでしたが、ようやく見つけたそば屋に入ります。
鴨汁つけそば+うどんを頼みましたが、これはなかなか美味しかった。

満足して店を出、今度は翌朝用の買い出しのためコンビニを捜すも、
新島々を過ぎてしまうと、店のある気配がありません。
結局、道の駅にて購入しました。
しかし後に宿で確認したところ、朝食時間の前倒しは可ということだったので、
この買い出しはあまり意味のあるものではありませんでした。

ここから乗鞍まではアップダウンと幅の狭く長いトンネルの連続。
自転車を追い抜くのも難しいので、自転車で走るのはお勧めできません。

現地に着いたのは12時過ぎ。今回の宿はBELL鈴蘭小屋です。
チェックインはまだなのでとりあえず会場まで歩いていって受付を済まそうとしますが、
これが実は1時から。時間つぶしにお店のブースを見て回ります。

受付が始まると早くも長蛇の列が。特にぼくの参加するEグループはひとが多かった。
まだチェックインまで時間があったので、ちょっと走ってみることに。
宿からちょっと上と下の激坂のはじまりから上ってみましたが、
いや、これはしんどい。明日が思いやられました。

cさんは引き続き走られていましたが、ぼくは切り上げて宿にチェックイン。
和室で布団4枚引いていっぱいいっぱいという感じ。でもまあ悪くはない。
と、ここでヘルメットに貼ったゼッケンを紛失していることに気づきました。
来た道を引き返して捜しますが見つからない。仕方なく大会本部で手書きのゼッケンを再発行してもらいました。

宿に戻ると、cさんと輪行で到着したyさんが部屋で合流。
ぼくは一足先に風呂に入ることにしました。
湯温はぬるめですが、白濁した硫黄泉。露天もありなかなかよかった。
ただ、洗い場にシャワーが付いていないのは若干難あり。

部屋に戻ると最後のメンバーkさんも無事到着していました。
皆さんが風呂に入ったあと、宴会場で夕食。
典型的な旅館料理。味もまあそれなり。
ただ最近小食になっているぼくにとっては量が多く満腹になりました。

部屋に戻ってからは歓談しながら就寝。
なかなか寝付けませんでしたが、いつの間にか眠っていました。
明日は晴れますように。

2011年8月28日 (日)

乗鞍より帰着

帰着しました。
行き帰りの車に同乗させていただいたcさん、
ご同行頂いたyさん、kさんありがとうございました。

乗鞍は若干ガスがありつつも晴れ。
ダイナミックな景色を堪能してまいりました。

タイムはおそらく2時間18分くらい。
ま、今年はほとんど走ってないし、トラブル含みだったのでまあいいか。
そこらへんの話はまた明日。

2011年8月26日 (金)

明日から乗鞍

全日本マウンテンサイクリングin乗鞍に行ってきます。

一昨年以来の2回めの参加。
前回は天候が優れずガスっていたのでリベンジ。

でも今回も降水確率30%の曇時々晴れの微妙な予報。
それに加え明日の朝、東京では結構雨が降るらしい。むー。

乗鞍は遠くて交通手段も限られているので、
1年のうちこの日くらいは晴れて欲しいです。

今回はcさんのご好意により、車に同乗させていただくことになりました。
お世話になります。恐縮です。

2011年8月25日 (木)

お祭り

今、明大前の駅前ではお祭りの準備が進められています。
毎年結構賑わうそうですが、ぼくは行ったことがありません。

お祭りってみんなが好きそうですが、ぼくはそうでもない。
御神輿など、多くは普段余り日の目を見ない肉体労働者の
ハレの場という感じがありますし、
夜店や屋台を楽しむ歳でもないですしね。

じゃあ子どもの頃は?というと、これも楽しむタイミングを逸した感じ。
家族で出かけるということがあまりなかったですし、
あっても、あれ欲しい、あれやりたいと言い出すことができない子どもでした。
金魚すくいとか、射的とか、りんご飴とか魅力的だったのですが。
せいぜいぼんぼん(っていうんだっけ)を買って帰るくらい。

親離れしてからは、一緒に祭りにいくような友達がいなかった。
これは大学祭も同じで、ひとりでまわっているとなんか食べ物屋ばかりで
つまらないなあ、というのが毎年の感想でした。

祭りで良かったことというと、高校1年のとき初恋のひとの
美しい浴衣姿を見ることができたことぐらいかしら。

2011年8月24日 (水)

突然の別れ

連れ合いの知人が彼氏に、
あ、おれ今度結婚することになったから。君は恋愛対象としてはいいんだけどね。
みたいなことを突然言われ、振られてしまったそうです。

ネットや雑誌などではよく目にする話ですが、実際に身の回りで起こったのは初めてです。
で、連れ合いに恋愛相手と結婚相手って違うものなの?と問いつめられましたが、
いや、これはあくまで特殊なケースで、その男が変だという答えをしましたが、
二股かけていたのはともかく、後で考えるとわからない話でもない。

結婚はイコール家庭を築くということで、出産、子育てという役割が付いてきます。
そんなときに共同作業者である配偶者にはそれなりの人格が求められるでしょう。
また子育ては何かと物入りなので、経済力というのも無視できません。
今まで自分の人生で主役だったのが、父親としてのサポートとしての役割に変わるというのは
結構大きな決断だと思います。
それに際してパートナーに求める条件が変わるというのは自然なことなのかもしれません。

2011年8月23日 (火)

コンペ

ないないとつぶやいていたら、一気に来ました。3つも。Photo1083

・小石川植物園フェンス・デザインコンペティション
 8月15日提出。
 出しませんでした。実質的に2次元平面のデザインを問われるコンペなので、
 勝ち目がありません。それに次のコンペとかぶっていました。

・生方記念文庫建設基本設計業務委託プロポーザル
 8月31日提出。
 やるつもりで資料一式、プリントアウトしましたが、
 1次が通った場合の2次審査が旅行の日程とかぶることが判明。
 断念しました。ま、2つの移築建屋のレイアウトとつなぎ方、
 動線の設定くらいしかいじれないので、そんなに惜しくはありません。

・大分県立美術館プロポーザル
 9月26日提出。
 で、これが本命で現在進行中です。
 期日に余裕があるように見えますが、途中に旅行が入るので案外タイトです。
 このコンペで気になるのはその規模。総工費なんと80億円。
 1次審査が通った場合、設計体制を提示しなければなりませんが、
 個人単位で進められる作業量ではありません。
 自分で組織を組むか、既存の組織と連携するか。
 前者は今から経営者になるということですが、ちょっとイメージできません。
 もうちょっと若かったら突っ込んでいったかもしれませんが。
 後者を想定しておいた方が無難でしょうね。

写真はこの前提出した上州富岡駅舎コンペ案。

2011年8月22日 (月)

乗り物酔い

今まで戻すところまでは行ってませんが、学生時代の夏合宿にて
東京-釧路間を船で2泊した時は辛かったです。
2等船室でしたがとにかく気持ちわるい。麻雀をしていた時がピークでした。
が、後年、北欧でヘルシンキ-ストックホルム間を1泊で乗った時は平気でした。
内海だったので、やはり波の有る無しによって随分と違うようです。

飛行機で唯一酔ったのはアメリカでの小型機。これも揺れがひどかった。
外を見ていたのですが、高所恐怖症も併発してしまい、機内でうずくまっていました。
ちなみに高所恐怖症は熱気球に乗ったときにも発症し、視線を水平より下に向けることができなくなりました。

バスでは酔わないですが、車内に充満する独特の臭いが苦手です。
学生時代にスキー旅行で車内で一泊する場合、眠れた試しがありません。

と、なるとまともに乗れるのは電車、列車くらいになってきますが、
インドで12時間以上、各駅停車の木製の椅子に座らされたときには
体調を壊しました。そんなときに限ってゲイの男性に迫られたり…。

2011年8月21日 (日)

美術ボランティア

今、美術館のコンペに着手したところなのですが、
前に書いた、世田谷美術館での白衣を着た企画展ボランティア(タレル展)の他に
水戸芸術館での現代美術メーリングリストの管理人というボランティアもしていたのを思い出しました。

期間は2001年から2005年まで。
もともとは東京のICCというところでnさんという方が立ち上げられたMLで、
それが1995年に水戸芸術館に移転されたものです。
ぼくはメンバーとしては1997年初頭から参加しています。
このHPのtextにあるアート関係の文章はほとんどここへの投稿文です。

参加当初はかなり活発なMLで常連さんも多く、合宿形式のオフミなども催されていました。
水戸芸の学芸員に逢坂さんと黒沢さんがいらして、黒沢さんはMLに書き込みされてもいました。
その頃はぼくもかなり頻繁に水戸芸術館に通っていました。
芸術館が日本のアートシーンの中心にある感じがあって
移動に要する費用も時間も苦にはなりませんでした。

2001年にnさんが多忙だということでML上でフォローが公募され、
ぼくとkさんが任命され、管理人3名体勢となりました。
この頃にはもう黒沢さんはおらず、MLの常連さんも徐々に離れていっていました。
その後も小規模ながら東京で何度かオフミを開いたりして活動していましたが、
nさんが結婚を機に活動から身を引くという段になって、MLはほぼ停止状態となりました。

水戸芸術館という公的施設のMLではありましたが、基本はnさんの情熱によって成り立っていたところがあり、
nさんの辞任というのはありえないことでした。
その壊滅的状況を目の当たりにして、ぼくも管理人を降りることとなります。
結局はひとなのですね。いくら立派な施設やシステムがあろうとも。
その後、逢坂さんも水戸芸を離れ、ぼくも水戸に通うということもなくなりました。

今のアートシーンの中心にある施設というのはどこなのでしょうね。
一時、金沢の21世紀美術館が長谷川さん、黒沢さんらによって立ち上げられ、
注目を集めましたが、お二方とも今は東京に戻ってこられているようです。

2011年8月20日 (土)

無理!

昨日、連れ合いのお供で銀座のラテンバーというところへ行ってきました。

夜7時から1時間半のサルサダンスの初心者レッスン。
地下のこぢんまりとしたお店でした。ホールもそんなに広くない。
生徒は徐々に増えて13名に。うち女性は5名でした。

まったくの素人はぼくだけみたい。最初はステップの練習。
ベーシック、サイド。あと左右に開いたり、1回転したり。
あ、その前に呼吸と姿勢のレッスンもあった。でも次に移ると端から忘れてしまいます。
ステップもなんかぎこちない。やあまるっきり役所広司状態だ。

しかしレッスンはずんずん進んで、次は男女ペアになってのステップ。
組む姿勢から、女性がくるりと1回転したり、男女の立ち位置が反転したり。
やあ、もうお腹いっぱいです。まだ続くの?というかんじ。

男女ペアは度々ローテーションして相手が変わっていくのですが、
ぼくがへたくそなせいなのか、表情がぴりぴりした感じのひともいます。こわいよー。

終わった頃にはもう汗だく。確かにいい運動にはなる。
しかし一息ついて、バーでドリンクを飲んでいるうち、居心地の悪さを感じてきました。
陽気な音楽がかかっていて、お酒飲んで、踊りませんか?と誘って情熱的なダンス。
ああ、もうそこは完璧にラテンの夜。いかにも場違いです。
結局、ぼくらはフリーでは踊ることなく出てきてしまいました。

うーん、ああいうところは個人で行って、男女が打ち解けて親密になるための場ではないのか。
ペアで行ってもあまりメリットを感じません。
別に連れ合い以外の女性と踊りたいわけではないですし。

ダンスの楽しさも特に感じませんでした。もともと運動音痴ですし。
で、結論はもう無理ってことで。連れ合いが行くのはいいですが、ぼくはもういいや。

2011年8月19日 (金)

撤退

最近、近所のコンビニやマクドナルドが相次いで撤退しています。

コンビニ:明大前
・ローソン>小型スーパー
・サンクス>空き店舗

マクドナルド
・下高井戸>マツキヨ
・永福町>コンビニ
・東松原>居酒屋

やっぱり不景気のあおりなのでしょうか。
ドトールはがんばっていますが。
利便性のいい立地だからといって、1階店舗は安泰という時代ではなくなりつつあるようです。

2011年8月18日 (木)

旅のはじまり

ぼくの一人旅のはじまりは自転車とともにありました。

最初のお供は小学5年生のときに買ってもらったジュニアスポーツ車。
これに改造を加え、徐々に足を延ばすようになります。
まずは町田、横浜といった近場から。
事前予告なしに行って、帰ってから母親に事後報告して自慢するのが好きでした。

中学に入ってから距離は伸び、江ノ島やヤビツ峠あたりまで範囲はひろがりました。
そしてSILKを購入した3年時の夏、日帰り最遠の風張峠、奥多摩湖まで到達しました。
距離にして175kmほど。ギアは42T×21Tまでしかなかったので、奥多摩有料道路では押しました。

その後、高校3年間は自転車は封印し、大学に入ってからサークルの合宿で、
信州、北海道、紀州、九州とまわることになります。信州と北海道はキャンプ。
実質的な海外デビューは大学の卒業旅行。そこからはじけるように世界各国に行動範囲は広がりました。

今まで行った国、地域はイギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、スイス、イタリア、ドイツ、
オランダ、ギリシャ、オーストリア、チェコ、ハンガリー、ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、
トルコ、エジプト、モロッコ、ケニア、インド、ネパール、バングラデシュ、モルジブ、
タイ、インドネシア、マレーシア、香港、中国、韓国、タヒチ、オーストラリア、アメリカ、カナダ
この夏、これに南米初のペルーが入る予定。

2011年8月17日 (水)

自己責任

ナイアガラの滝、カナダ側で日本人女性が転落し、行方不明となっています。

現地は2年前にぼくも訪れていて、ここから落ちたらひとたまりもないな、
危険だなと思った場所でした。
そこは滝になる数十メートル手前で、腰掛けられるだけの高さの手摺しかありません。
川の流れも速く、見ているだけで肝が冷えましたが、事故時は夜だったとのことでよく見えなかったのかもしれません。

日本だったらおそらく身長以上の高さのフェンスがつけられると思います。
しかしそうしてしまったら景観も何もありません。台無しです。

イタリアのベネチアは運河が有名ですが、岸と海との間に手摺がないことも多いです。
これもまあ日本では考えられませんが、自己責任の考えに基づいて可能になった、素晴らしい親水空間です。

2011年8月15日 (月)

ヌードデッサン

大学の彫塑の授業で、ヌードデッサン及びその粘土彫刻制作というのがありました。

2年度の時だったかな。
まだうぶだったぼくは、性器が反応したらどうしようとかいらぬ心配をしたりしていました。

果たしてそのとき、そんなことは起こりませんでした。
時は冬。
モデルの方の身体に障りがないよう、強めに暖房がされていて、
それがモデルさんの体臭を生々しく伝えてくるような感じがしました。

ああ、やはり好きなひとの身体でないと反応しないものなんだなと、
若いながらまともっぽい感想を抱いた記憶があります。

彫塑の授業ではこの他に、茶室探訪という課題もあったりしました。
おそらく中村順平さんの影響を引いた、古き良き時代の母校の授業の一幕です。

2011年8月14日 (日)

8月の定例多摩川オフ

先週、夏オフだったし、お盆のど真ん中だからひと少ないだろうな、など思いながらうだうだ。Dscn8641
しかし今日乗っとかないと2週間後の乗鞍がまじでヤバいと思い、重い腰をあげました。

10:20くらいに集合場所に到着してみるとやはりというか、2名のみ。
しかもmさんはここで離脱だそうで、幹事のkさんと2人で上流を目指します。
登戸でsさんmさん夫妻とtさん合流。しかしご夫妻はここのみで離脱。
3名で府中を目指します。今日の多摩川CRはすいていました。

ここらあたりから脚がまわらなくなってきて、kさんについて行くのがやっと。
ハンガーノックかなと思いましたが、違ったようです。

府中でtさんと別れ、kさんと昼食をとります。
結局、その後参加者は現れませんでした。
レストランで涼んでいても汗がとまらない。
カレーにアイスコーヒー、ソフトクリームまで食べてさて帰路へ。

脚が重い。だんだん骨盤まで痛くなってきました。固定車でははじめて。
帰宅した頃にはもうバテバテ。
やばいなあ、ほとんど平地なのに脚が売り切れてしまいました。
乗鞍、どうなるんでしょ。

2011年8月13日 (土)

自由

子どもの頃、渇望していたのは自由です。

それだけ経済的にはまあ恵まれていたわけですが、
とにかく規則というものが大嫌いでした。
なもので、服装自由だった中学では髪を長めにのばし
ハードロックを好んで聴いたりしていました。

そのとき、世の中で最も不幸に映った人たちは皇族です。
反抗する機会も与えられず、あらかじめ決まった人生を
歩むしかないというのはこの上なく辛いことのように思いました。
ま、これが戦時中とか被災後とかならば価値観も違ったのでしょうが。

幸いなことなのか、世の中はここまでこの初期設定をくつがえすほどの変化はおこしていません。
ぼくはそれがある程度達成されている現状を喜ぶべきでしょう。
しかし、おそらくあと30年はあるという人生でこれが維持可能なのかは誰にもわかりません。
それが良いことなのか悪いことなのかも。

2011年8月12日 (金)

立派

御巣鷹山の日航機墜落事故から26年。

亡くなった方の遺書、走り書きを載せたサイトがありました。

http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-isyo.htm

(前略)しっかり生きろ 哲也 立派になれ

ぼくらは立派に育ったのだろうか。

2011年8月11日 (木)

サルサ

連れが最近通っていて誘われ、行くような雰囲気になりつつあります。

ダンスはなあやったことないからshall we dance?の役所広司状態になるのは目に見えている。
まだよくわかってないけどはまることはないと思うなあ。

2011年8月10日 (水)

GIOS

これから自転車をはじめようとするひとに勧める自転車はというと、Photoa
意外と思われるかもしれませんが、ぼくの場合ジオスです。

ジオスのホリゾンタルスチールモデルの最廉価版がソラ組みでフルボ、102900円。
色はジオスブルーの他にブラックもあります。重量10.3kgはまあまあでしょう。

もうちょっとお金があれば、ビンテージヴェローチェ、176400円。
カンパニョ-ロで組まれ、イタリア3色カラーやホワイトもあります。
ホリゾンタルスチールでフロントフォークメッキ。9.5kg。

決して旬なメーカーではなく、おそらくフレームは中国製だと思いますが、
エントリーモデルでも古き良きイタリアの血筋を引いているように見えます。
某E氏の独特のイメージが付いてしまっているのが難点と言えばそうか。

2011年8月 9日 (火)

印象

最近は建築雑誌もめっきり買わなくなって、書店で斜め読みする印象ですが、
敷地に余裕のある平屋が増えてきましたね。たぶん立地は土地代がタダみたいな地方なのでしょう。
狭小とかローコストとかのキーワードも聞かなくなりました。
無理して都心に一戸建てをつくるよりマンションに流れているのですかね。

マンションは室内気温が安定しているのが特徴ですが、何せ間取りのパターンが少ない。
どうしても収支と床面積など、お金の話が出てくるからでしょうか、
新建築誌の集合住宅特集を見てみてもどうにもさえない。
古いマンションをコンバージョンするというケースも増えてきているようですが、
耐震性を考えるとあまりお勧めできません。

都市の建築家、受難の時なのでしょうか。

2011年8月 8日 (月)

もう人生の折り返し地点を過ぎたにもかかわらず、ぼくの周囲には死がほとんどありません。
交遊範囲が狭いというのもあるのでしょうが、小学校から就職先までの同期で亡くなった方はごく少数です。
葬儀に出席したのは身内の祖母、祖父、おば、おじくらい。

例外だったのは初めて勤めた事務所。
社長が教祖みたいな存在で、設計業務以外でも様々な活動を強いられ振り回されました。
初めて亡くなったのは、外注のパース屋さん。胃がんで一時は復帰したのですが。
まだ30歳前後だったかと思います。
次はチーフ格の中年男性。事務所を辞められて独立した直後に亡くなりました。脳内出血だったかな。
そしていちばん身近だった30代後半の先輩の死。心筋梗塞であっという間でした。
最後のひとりはぼくが事務所を辞めてから亡くなったのですが胃がんでした。
ぼくにとっての上司にあたり、頑固オヤジでしたが、いざ事務所を辞める旨を伝えると、
実は自分は教師になりたかったなどと、心を開いて話をしてくださいました。

以上、4年半の在籍で実に4人の方が亡くなっています。
ぼくの経歴でもいちばん抹殺したい時期ですが、死に取り付かれたような組織でした。
とっとと辞めて正解だったと思います。

2011年8月 7日 (日)

突然変異

ココ・アヴァン・シャネルなるDVDを見て、才能というのはどこからくるのか考えさせられました。

シャネルは母親の死後、父親に孤児院に預けられ、姉とともに育ちます。
2人で酒場でショーを行っていたところ、将校に見初められ半ば押し掛けで同居します。
いわば愛人。縫製の手先は器用なものの、服飾デザイナーへの夢はまだなく、悶々とした日々を過ごします。
自分の服は自分でつくっていたようですが、当時のモードからは恐ろしくかけ離れていて、理解者は少なかったようです。

このときシャネルが発する言葉は、嫌悪感に忠実なの、ということ。
コルセットで腰をくびれさせ、装飾のついた大きな帽子をかぶり、服の裾は地面をする。
そんななかでいわば男性的な女性服をつくっていくシャネルのセンスは
生まれもっての突然変異だったのではないか。

おそらくその突然変異が同時多発的に起こることによって世界は変わる。
シャネルがパリに帽子店を開いたのが1909年、装飾は罪悪であると述べたアドルフ・ロースが
ウィーンにロースハウスを建てたのが1910年、モダニズム建築のはじまりです。

生物は突然変異を繰り返すことによって進化してきました。
文明のできたここ数千年では残念ながらそれを見ることはできませんが、
文化のレベルでは既に何回か起こっていたのかもしれません。

2011年8月 6日 (土)

自己顕示欲

沢木耕太郎が著書、無名にて創作に必要な才能として、続けること、執着心と並んでこれを挙げています。

自己顕示欲とは--はてなキーワードより抜粋

自分の存在を社会にアピールしたいという欲求。
自己顕示欲の強い人は、一般的に「目立ちたがり屋」と言われる。

レベルに違いはあれど、誰にでもある欲求のひとつ。
アピールに対する周囲の反応があればあるほど助長される性質を持つ。

「自己主張」と似ているが、「自己顕示欲」の方が欲求が明らかで、
好ましくない意味の使い方をされることが多い。
一方で、人前でアピールが必要な職業を持つ人には、なくてはならないものである。

インターネット、また、ブログやtwitterの普及によって「社会にアピール」
をする手段が増えたことで、自己顕示欲を昇華させるシーンも増えているようだ。

--
まさにぼくもブログもtwitterもやっているので、自己顕示欲は強いのでしょう。
でもそれがどこから来ているのかは謎、自分でもわかりません。
自己顕示欲などないほうがどれほど楽かと度々思うのですが。

2011年8月 5日 (金)

がんばらない

のでお休み。

2011年8月 4日 (木)

夕立

昨日は夕食をとって帰る道で夕立に合いずぶぬれ。
今日も昼食の帰りに少し降られました。
今は青空が見えていますが、予報だと今日明日はこのあとずっと雨。

気温もここのところあまり上がりませんね。身体には嬉しいですが。
長期予報だと残暑が厳しいと言われていますが、このまま行きそうな感じもします。

だいたい昔の夏ってこんな感じじゃなかったかな。
事務所で冷房をかけるのは一夏に数回という感じだったかと。
逆にここ数年の猛暑の方が異常だったのでは。
去年は7月だけで熱中症で100人以上亡くなっていたくらいですから。

2011年8月 3日 (水)

おごる?

テレビ東京の番組でナイナイ岡村のお見合い企画が組まれていて、
前回放送分で3人めにして初めて外でのデートと相成りました。

終始無難な感じで穏やかな空気が流れていたのですが、
最後の会計の段になって岡村氏が「いやです、いやです。払わせません」と
全額自腹で押し通したときにお相手の女性の表情が凍りつきました。
この女性、アロマ関係の会社を経営していて歳はたしか38。
もちろん、十分な支払い能力があります。
岡村氏は後に「払うつもりないのに一応財布を取り出したのが良かった」
と語っていましたが、果たしてそうなのか。

まだ基本的にどちらが断ってもいいお見合いの延長にあるのだから、
女性としては対等な立場に立ちたかったのではないか。
そこを無理におごるというのは女性の社会人としてのプライドを下手すれば傷つけることにはならないだろうか。
それより女性を駅かタクシーの拾えるところまで送る方に気を回した方が良かったのではないかなあ。

まあ、ここらへん微妙なところではあります。

ぼくは最初の職場でアルバイトに来ていた女の子と昼食をとりに行った時、
相手がおごられるものだと思い込んでいたのに気づかず、
自分の分だけ支払いをして店を出ようとして店員さんに呼び止められたことがあります。

今考えるとバブル真っ盛りの頃だったからかなあ。
ちなみにぼくはアルバイトをしていておごられたことは一度もありませんし、
それが当然のことと思っていました。

2011年8月 2日 (火)

逃亡者

前にちらっと書きましたが、最初の職場ではあらかじめ決められた建築ボリュームに、
それを大きく崩さずデザインを付与するという仕事をしていました。
この部署にいきなり新人があてがわれたりしていたのですが、
大学でそんな実務的なトレーニングなど積んできたわけがなく、
結果、ダメ出しの連続で疲弊し、遂には出社拒否に至るというケースが続出していました。

そういうときはだいたいチーフが迎えに行っていたのですが、
1回だけぼくの同期が出社拒否をしたとき、会社に連れてくることを命じられました。
で、彼のアパートに行ってみると、なんと女のひとと真っ裸で眠っていました。

会社があるのはわかっているのだから、彼女も彼氏を起こせよと思いましたが、
まあ、ひとまず連れ出すことには成功。
しかしなんと会社まで連行する途中で逃亡されてしまいました。
へ?別に犯罪者じゃないんだから、なぜ逃げる?
仕方なしにひとりで社に戻り報告すると、もう一回迎えに行けと言う。

しょうがなくアパートを再訪すると、彼女が前記の格好のままテレビを見ていました。
目のやりどころに困りながら彼の行方を聞くと、わからないという。
このときは結局、次の日には彼は出社したんだっけか。

後のこの二人は結婚し、会社の同僚と結婚式の2次会に出席したのですが、
新婦の挨拶で、この会場を見渡す限り私は彼を選んで正解だと思いました、
みたいなことをぬかしました。
直後に彫刻家である新婦のお父様がたしなめられていましたが、ああその程度の社会性しか持ってないのね。
あのとき彼を起こさなかったわけがわかった気がしました。

2011年8月 1日 (月)

寄付金や義援金

昨日、テレビを見ていたら、被災地で仮設住宅に入居しているお年寄りが
無職で電気料金を節約するため、室内気温39度でもエアコンを作動させていない、
という状況をニュースで知りました。
あの世界中から寄せられた莫大な額の寄付金、義援金はどこに行ったのだろう?

まず、個人に渡されるのか、国、自治体のものになるのか。
個人に行くものは死者を出した家族への見舞金なんかもあったりするのか。
怪我、病気をしたひとの治療費は含まれているのか。
仮設住宅の建設費は国か自治体が負担して、入居費用は不要。
でも水道光熱費は自己負担のようです。食費の援助はあるの?引越し費用は?

家を再建するための助成金になったりするのでしょうか。
漁業や農業、商業に対してはどうなのでしょう。
失業手当はおそらく出るのでしょうが、それも1年間だけ。
それで大丈夫なのでしょうか。

区画整理による土地買収は国、自治体の負担でしょう。
瓦礫撤去、廃棄処分も同様。新たにつくられる堤防もそうでしょう。
道路、鉄道の復旧というのもあります。インフラの復旧もまだですね。
そこらへんの負担で消費税増税の話が出たのかもしれませんが、
それでまかないきれるのか。

だいたい寄付金、義援金をどう扱っているのか、担当者が見えません。
使い道は明確な形で公開するのが義務だと思うのですが。

避難所が閉鎖されれば食料の援助等はなくなるのでしょうが、本当にそれでいいのか。
いらないと言われた冬服でさえ、必要となる時期が近づいています。
被災地では今、何が必要とされているのかも見えません。

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »