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2011年9月

2011年9月30日 (金)

南米の死生観

ボリビアの死の道でマウンテンバイクによるツアーに参加していた
日本人女性が転落死したのは記憶に新しいところです。
ボリビアではその数年前にも、結婚式を前にした日本人女性が
ウユニ塩湖にて屋根にガソリンを積んだ車との正面衝突にて命を失っています。

ペルーはボリビアの隣国な訳ですが、ボリビアほどひどくはないものの
そのツアーの危険さはかいま見ることができました。
まず片側1車線、中央分離帯なしのハイウェイ。しかもひとの横断あり。
ここを午前3時に出発して疾走している時は肝を冷やしました。
また高所でも同様、マラスの塩田に向かう道は1車線で片側絶壁でしたし
マチュピチュ村から遺跡へと登る道でも危険を感じました。

ああいう場面に幾つも遭遇すると、日本人と南米のひとでは
死生観そのものが違っているのではないかと疑ってしまいます。

2011年9月29日 (木)

女性漫画家の出産

ここのところ、男性誌や一般誌で活躍する女性漫画家が、相次いで出産しています。

古くは内田春菊から西原理恵子、おかざき真里、南Q太、かわかみじゅんこ、
小栗左多里、伊藤理佐、大田垣晴子、細川貂々などなど。
少子高齢化の時代だというのに、この世で最もハードな職業の
ひとつについている女性の多くが出産に踏み切るというのは不思議です。

で、このなかの幾人かの漫画家さんは出産、育児をネタに作品を描いています。
そこに出てくる幼児の描写はほとんどかわいくない!
読者としては出産をためらう感じになってきています。

これは正確な描写を求められる漫画家という職業に由来するのでしょうか。
それとも育児って本当にこんなに辛いものなのかな。

2011年9月28日 (水)

バラック

1週間経ってもあの衝撃が忘れられません。Dscn8711

いわゆる第三世界に脚を踏み入れるのは16年ぶりだったわけですが、
今まで見たなかではリマ郊外がいちばん荒廃していたような気がします。
それはまるでバグダッドのよう。

住宅のほとんどは劣悪なコンクリートで柱、スラブを打設したあと、
中空レンガか日干しレンガを積んだだけ。
道路面だけ塗装をしている場合もありますが、ほとんどは素材そのまま。
雨がほとんど降らないので屋根すらかかっていません。
屋上には増設予定なのか柱の上部に4本の鉄筋が伸びていて、
それがまた、未完成感を増長しています。

ガイドさんによるとペルー人は生活上必要最低限のお金があれば
それ以上に働くことはなく、欲しいものがあったら盗むという感覚だとか。
住宅にお金をかけるという発想がないのかもしれません。
まあ、それ以前に絶対的な貧困があるのでしょうが。

ベルーを始め、南米はスペインからの移民の国です。
目的は地下に眠る銀を始めとした豊かな鉱物。
もしかしたら、自分らは出稼ぎに来ていて仮に済んでいるだけだという感覚を引きずっているのかも。
また一方で、地方で勃興した共産主義勢力の粛清を逃れて、
リマにひとが流れ、人口が急増したという過去もあるようです。

しかしこのバラックはひどい。
基本的にドミノ建築なのですがとてもひとが住んでいるとは考えられない。
ポストモダン末期にバラックをひとつの美として賞賛していたひともいましたが、
そのひとたちにはこの現状を見てもらいたい。
センスのないバラックというのは本当に貧しく救われない。
居住者を見ても笑顔を浮かべているひとはほとんどいません。

あまりの悲惨さにカメラを向けることさえためらわれました。
それは震災を受けた被災地に対する感情と似通ったところがありました。

2011年9月27日 (火)

時差ぼけ

今回の旅行では14時間も時差があったにもかかわらず、
時差ぼけにならなかったね、なんて言っていたのですが、
どうやらこれは緊張感があったからのようで、
今日あたり、時間があいてくると昼に眠ったりしてしまいます。

これやっちゃうと夜、2時間おきに目が覚めるとかなっちゃうんだよな。
それでもってひどい夢を見たりする。
むー、もう戻ってから5日が経っているのですが…。

2011年9月26日 (月)

建築士定期講習

行ってきました。

この前、1回行き損ねてから行った講習とは違うのです。
あちらは管理建築士講習。1回限り。
こちらは建築士定期講習で3年に1回、受け続けなければなりません。
めんどいですね。

講習を扱う業者も増えているようで、ぼくが受けたのは東京土建ATEC。
東京建築士会で受けると15750円しますが、こちらは10000円ぽっきり。
別にビッグサイトで受けたいわけじゃないですし、
競合他社が出てきて価格が下がってくれるのは歓迎します。

2011年9月25日 (日)

ツアーの善し悪し

パッケージツアーの良い点。
・短期間に多くの観光スポットをまわれる。
・現地でほとんどお金を使わずに済む。手続きも不要。
・他の日本人観光客と仲良くなれる。
・日本語のガイドが聴ける。
・治安の悪い場所に脚を踏み入れずに済む。
・交通不便な観光スポットにもまわれる。

パッケージツアーの悪い点。
・ほとんどがバス移動なため、バスが苦手なひとには辛い。
・過密スケジュールになりがちなため、体調を崩しやすい。
・現地人との交流や、現地の空気を吸う機会が少ない。
・おんぶにだっこになり、下調べを怠りがち。
・旅行会社と土産物屋との癒着。
・達成感が少ない。

こんなものかしら。

2011年9月24日 (土)

ペルー旅行最終日

クスコ-リマ-ヒューストン-成田(8日め)Dscn8945

ハードな行程のなかついに倒れるひとが出ました。母娘参加の娘さんです。
体調異常を訴えリマの病院へ。幸い点滴を受けるだけで回復し、夜には合流できました。

朝食は6階の眺めのいい部屋でビュッフェ。出発はこの日もゆったりめで9時くらい。
バスで空港へ。リマに向かいます。まずは川沿いの公園の附属のレストランにて昼食。
白身魚のマリネである現地食、セビッチェを頂きました。あっさりとしていて美味しかった。

そのあと、リマの市内観光へ。が、内心では元気があるうちに帰ってしまいたかった。
夜まで観光して23:50の飛行機に乗り、まる1日かけて帰るなどクレイジーだ。
なもので、観光にもあまり身が入らず、サン・フランシスコ教会のカタコンベもあまり興味湧かない。
教会の木製装飾ドームはきれいだったけど。次のアルマス広場でのフリータイムも手持ち無沙汰。
ふらふらと入っていったラ・ウニオン通りはあとでガイドブックを見たら治安が悪いとのこと。
あぶないあぶない。その後、サント・ドミンゴ教会を見たあと、車窓から旧市街を眺めながら
バスは一路西へ。

着いたのはラファエル・ラルコ・エレラ博物館。住宅街のなかにあります。
ここではラルコ氏が個人的に収集していた土器等が展示されています。
興味深い装飾も多いのですが、なにせ展示数が半端なく多い。結局疲れてざっと通して見るだけ。
分室には性的な描写がある土器が展示されていましたが、こういうのは日本でも地方に行けばある。
ガイドブックの必見という言葉は大げさ。センスのいいミュージアムショップをひやかして外に出ます。

さていよいよ最後の目的地、崖の地形をくりぬいてつくられたショッピングセンターのラルコ・マルへ。
海岸線を一気に南下します。しかしこの道、空港とは逆方向。無駄な移動とも言えます。
海岸沿いは前記したように高級感ある別世界。ラルコ・マルはその最たるもので現地人は入れないそうです。
ここで1時間半ほどフリータイムとなりましたが、土産物屋を捜しにきたぼくらは失望。
六本木ヒルズのような世界中どこにでもあるような店ばかり。お腹がすいたので仕方なくスタバに入ります。
あとは時間を持て余してふらふらと散歩するだけ。8時に再集合して空港へ向かいます。

夜にもかかわらず、空港は結構なひとであふれていました。チェックインひとつにも時間がかかる。
早めに入国審査を済ませ、土産物を買います。ぼくは捜していたアルバムが見つからず残念。
マチュピチュで買っておくんだった。帰りの飛行機では2便とも眠り、身体に無理がないようにしました。
日付変更線を通過し、成田には2日後の14時過ぎに到着。やれやれ、おつかれさまでした。

ペルー旅行5日め

マチュピチュ-オリャンタイタンボ-ウルバンバ-クスコDscn8902

マチュピチュ村では多くの放し飼いの犬に遭遇しました。ひとを恐れておらずかわいい。

この日も余裕をもっての出発。朝食は前日と同じ。空は曇り。
何やらホテルの前では武装している警察官が集結していました。
なんでも土地の立ち退きにあった人とトラブルになったとのこと。
物々しい雰囲気のなか、宿をあとにします。
列車に乗り込むと、昨日と話が違いその日もビスタドームに乗れました。
ここでは母娘と同席。よくわからなかった遺跡の説明を伺ったりしました。下調べは必要だ。

オリャンタイタンボで下車して再びバスへ。まずは昼食会場のレストランへ。
きれいに整えられた施設でしたが、ここでもビュッフェ。庭ではアルパカが飼育されていました。
次は聖なる谷と呼ばれるスペインを思わせる高原へ。まず見たのはマラスの塩田。
上から谷を見下ろすとそこには真っ白な段々畑が。それはエーゲ海の島々の風景を想起させました。
次はモライと呼ばれる農業試験場へ。途中、地元民が暮らす村を通りました。
モライは円形状の段々畑。中央に向かって落ち込んでいて、石の階段を伝って下りることができます。
この2つの遺跡は交通の不便なところにあるので、ツアーならではの観光となりました。

そのあとインディオのマーケットに。また雨が降り始めました。まずは織物の実演。
そして民族衣装を着させてもらっての記念撮影のあと民芸品の露天でフリータイム。
旅も終盤に差し掛かっているので、購入しているひとは多い。
ぼくは最初は購買意欲は湧きませんでしたが、テーブルクロスにちょうどいいアルパカの織物があり値段交渉。
結果、170ドルにて購入しました。これがぼくのこの旅での唯一のお土産。

で、ようやくクスコに戻ってきました。クスコも郊外には建てかけの家やバラックが見られます。
まずは日本人が経営する土産物屋へ。連れ合いはここでたんまり購入していました。
ぼくはまた高山病の症状が出てきたりしていたので店内をゆっくり散策。
この日の宿は3つ星のメベイ。このツアーのなかではいちばん整ったホテルでした。
が、バスタオル類が1セットしかなく、追加で持ってきてもらったり。

テレビを見たりしながらまったり過ごし、7:45からフォルクローレを聴きながらの夕食へ。
食事はまたしてもビュッフェ。アルパカの刺身やステーキがありました。意外に美味。
しかしコーヒーを頼んでも砂糖やミルクを持ってこなかったり、サービスは悪かった。
ショーは前座から。前菜を食べる頃にはもう始まっていました。日本人客が多い。
民族衣装を身に着けてのダンス、黒人文化を受け継いだというユーモラスなショーもありましたが
どうにも陳腐。フォルクローレはメインを食べ終わったあたりから始まりました。
クラシックをベースとした演奏を数曲と、最後は定番の「コンドルは飛んでいく」でしめました。
フォルクローレはマチュピチュの最初の晩のレストランでも聴いており、そっちの方が良かったかも。

9時半頃戻ったホテルでは浴槽があったのでお湯をためてみると湯がぬるい上、浴槽がとても狭い。
まあ、やっぱり3つ星だからこんなものなのか。

ペルー旅行4日め

マチュピチュ村-マチュピチュ-マチュピチュ村Dscn8848

さてようやく待望のマチュピチュです。しかし天候は残念ながら曇り時々雨。

この日の朝は停電というトラブルがありました。3時頃からぼくらのいた3階部分だけ。
ホテルのフロントのひとも原因がつかめず、結局長いろうそくを2本渡されました。
ドライヤーも使えず、迷惑。2泊めは部屋をかえてもらいました。

朝食はビュッフェ。荷物をパッケージして8時頃。余裕をもって出発しました。
雨が予想されたので急遽、ポケッタブルなビニールポンチョを購入。
マチュピチュ遺跡まではシャトルバスで25分程度。つづら折れの道で車がすれ違うのも大変。

入口前でトイレに入り、列に並んで入場を待ちます。ここのチケットは同日内では何回も出入り可能。
入場し、緩い坂道を上っていくとだんだんと遺跡が見えてきます。噂に聞くより規模は大きい。
周囲の急峻な山との対比でまさに空中都市といった様相。最初は段々畑をまわります。
遺跡の背後にあるワイナピチュ山はH.I.Sのツアーでは登山禁止になっていて残念。
まあ降雨があったので安全上、登らなくて正解だったかもしれません。

段々畑ではリャマと遭遇。雨は降ったりやんだりでポンチョの着脱が煩わしい。
次に市街地跡に向かいます。ここらへんの石積みはクスコで見られたような緻密なものもあります。
その後、いろんな元部屋を見て回りますが、自分が今どこにいるのかつかめない。
さらにひとも多くてゆっくり観光できるような雰囲気ではない。だんだん飽きてもきました。

昼食は入口そばのサンクチュアリ・ロッジにて。少し並ぶ。食事はやはりビュッフェ。
席を確保するのが大変。食事をとっていると外はスコールのような大雨。
しかし食事を終えて外に出る頃にはほぼあがっていました。

再入場して向かうは太陽の門。インカ道のミニトレッキングで片道約1時間かかります。
最初は山道がしんどかったですが徐々に慣れてきました。雨はあがって少し陽が射してきた。
太陽の門からは遠くにマチュピチュが見られます。陰影のある遺跡はやはり美しい。

帰路で下ったあとは、連れ合いはトイレに、ぼくはリャマと戯れに段々畑を急ぎます。
午後の遺跡はひとも少なく、寝転んでまったりしているひとなどが見受けられました。
果たして下の方にリャマはいました。リャマが通路を歩いていてひとの列をふさぐことも。
その後、1頭のリャマが細い通路に入っていくので後を追うと、リャマ用の小屋がありました。
完全に野生というわけではないのですね。入口にて連れ合いと合流。

4時頃宿に戻り、かわってもらった部屋を確認。だいたいの荷物は運ばれていましたが、
前日夜に洗濯した下着類などが見当たらない。フロントで聞くと女性が持ってきてくれました。
どうやら屋上あたりで干してもらっていた様子。ありがたい。
このあと騒音の問題で添乗員さんと部屋を交換してもらうことにもなります。

少し休んだあとオプショナルツアー最後になる足裏マッサージに向かいます。
しかし現地のツアー会社のひとはこのシステムがよくわかっていないらしく、
お店のセレクトに手間取った上、予定の30分の施術だと費用がかかるとか言ってくる。
もう勘弁してという感じでしたが、マッサージ自体はよかった。その日1日の疲れがとれました。

夕食はガイドさんのお勧めでインディオ・フェリスへ。フレンチ風地元料理といった感じ。
名物のマス料理と前菜、パスタ、デザート、ピスコサワーを頼みました。ひとつひとつの
プレートの料理はかなり多く、1人前をふたりでシェアしても満腹になりました。味の方もGood。

2011年9月23日 (金)

ペルー旅行3日め

リマ-クスコ-オリャンタイタンボ-マチュピチュDscn8755

またも早朝の出発。しかし前夜はまあまあ眠れたので体調は悪くない。
朝食は前日と同じくパンとコーヒー、ジュースと質素なもの。
7:10にリマを発って1時間強で空路クスコへ。機内では母娘の母様と同席。
娘さん22歳なのに母様はおそらくぼくより歳下でびっくり。

リマと違い、クスコでは降雨があるため、建てものにはレンガの勾配屋根が付いています。
これがあるだけでどれだけ雰囲気が良くなるものか。棟には地元のシーサーが飾られています。
クスコでのガイドは日本語ペラペラな現地の方。たくさん記念写真を撮っていただきました。
貸し切りバスはやや小振りなものに。でもこちらの方が居心地は良かった。

空は快晴。高地だというのにさほど寒くはない。気になっていた高山病はとりあえず大丈夫な様子。
空港前で記念撮影をしてから市内観光へ。まずはコリカンチャ、太陽の神殿へ。
カミソリの刃1枚も通さないと言われる緻密な石積みなどを見学。
今は上部はスペインの教会に造りかえられています。移動して12角の石を見学したあと
市の中心部、アルマス広場でしばしのフリータイム。と言われてもすることはさほどない。

ここからバスでさらに高地を目指します。途中、クスコのパノラマやちょっとした遺跡に出会うも
停まることはなく通過。クスコをちゃんと見て回るには数日かかると実感。
次の停車地はアワナ・カンチャ生活博物館。ここで待望のアルパカとご対面。

ここにはアルパカの他にビクーニャ、リャマも飼われています。
牧場の柵内では餌を持ってアルパカと戯れ放題。いや楽しくて時間を忘れました。
アルパカは餌には敏感に反応し、すごい力で草を食いちぎりますが、興味がなくなると
あっちを向いてしまいちょっとつれない。でも体毛のモフモフ感がなんとも気持ちよい。

あまりに興奮したせいか、しまいには高山病の症状らしきものが出てきてしまいました。
そこからは自制。附属する織物店はざっと見渡すだけ。そこからは幾つもの村を抜けて
バスは徐々に高度を下げていきます。村の人々は意外と民族衣装を着ている方が多い。
衣服も建てものも装飾が文化であり生活に潤いをもたらすものだと実感しました。
この日の昼食は車内にておにぎり弁当。久しぶりの日本食がおいしかった。

山腹にちょっとした遺跡があるオリャンタイタンボでバスは終着、ここから高原列車に乗り込みます。
連れ合いがバスに忘れ物をしてしまい、添乗員さんにとってきてもらいました。
ぼくの方は強い日差しに帽子を買おうか迷っていましたが、日本に帰ったらかぶらないだろう
ということで見送り。3時過ぎに乗り込んだ列車はビスタドームというタイプで、
天井が高く、天窓があり景色をパノラマ状に楽しめるものでした。軽食付き。

山間の川沿いに列車は徐々に高度を落としていくのですが、山間はだんだんと狭くなり
山も急峻になっていきます。まさに山奥に向かっていく感じが良かったです。
1時間半ほど列車にゆられて到着したマチュピチュ村はバラックでできた温泉郷のようでした。
列車乗車時にパスポートの提示を求められるので、治安は良いはず。

まずは土産物街を通ってホテルへ。グレードはリマと同じくらい。ベッドが大きいのは嬉しい。
ホテルの名前はインティ・オルキデアス。この日はオプショナルツアーを予約していたので
部屋では簡単に準備だけしてまずはツアー最初の温泉へ。

しかしこの温泉、日本のと違ってぬるく屋外温水プールという感じ。温泉に到達するまでの
坂道は情緒ありますが、温泉では子どもがはしゃぎ回り、湯も濁っているなどあまりお勧め
できるようなものではありませんでした。夕食時間の都合で30分のはずが10分足らずしか
入れなかったのでなおさらです。入っている間、手持ち無沙汰だったので連れ合いと
マッサージをしあったところ、まわりの外国人客が真似をし始めたのが面白かったくらい。

ツアー2つめの夕食は結局同行の他の客と同じ店となりました。
しかし向こうはコース料理など頼んでいるのにこちらはビュッフェ。
ひとり8000円も出してこれはないだろう。そそくさと食べて店を後にしました。
この間、ガイドのサポーターさんがずっと付き添ってくれたので、一応チップを少々。

ペルー旅行2日め

リマ-ピスコ-ナスカ-ピスコ-リマDscn8697

朝食のパンをかき込んで3時に大型バスにて出発。ここからピスコの飛行場まで約3時間半。
車外はナトリウムランプが輝くだけでほとんど何も見えない。ここでも眠れず。
途中でトイレ休憩を挟み、飛行場に着く頃にようやく夜明け。空は曇っています。
季節は冬ですがさほど寒くはない。

ナスカへの飛行機は飛ぶかどうか微妙なところだそう。待合室でしばらく待機し、
ゴーが出たのは8時過ぎだったか。セスナは12人乗りで、2グループに別れて乗機。
席は2列のみで中間席がなかったのがラッキー。離陸してしばらくは雲の上を飛びます。
アンデス山脈などのダイナミックな光景が見られる一方、厚い雲は延々続いていて嫌な予感。

が、ラッキーなことにナスカに近づくにつれ、雲はまばらになっていきました。
ここからは高度を落とし、地上絵ごとに右と左の窓から眺められるように大きく旋回します。
これが身体的にはなかなかきつく、酔う寸前までいきました。
地上絵は11個くらい見られました。思っていたよりもスケールは小さい。
輪郭線は明瞭なものもぼやけた感じのものもあり。感心したのはその素猫センス。
パウル・クレーを想起させるそれは何ともユーモラスでした。

1時間半ほどの飛行を経てピスコに帰着。近くのレストランに向かいます。
周囲のバラックから著しく浮いているハイセンスなそこには日本人観光客しかいませんでした。
2階席窓際から見渡せる太平洋はなかなかの絶景。食べたのはロモ・サルタード。
牛肉とタマネギを炒めた現地食ですが、牛丼のような味がして食べやすかった。
現地のカクテルであるピスコサワーも試飲しました。これも美味。

リマへの帰途はまたバスで3時間半。片道1車線のパンアメリカン・ハイウェイを時速
100キロ近いスピードで走行。道ばたには所々に墓があり事故が多いことがわかります。
景色は延々続く砂山と質の悪いコンクリートスラブに中空レンガを積んだだけのバラックだけ。
その荒れた風景にどんどん心はすさんでいきます。体力的にも前日の昼から徹夜なので限界。
で、意識がぶっ飛びました。なんだか遊体離脱しているような奇妙な感覚。

目が覚めたのは、途中に寄った土産物屋。気持ちわるくて購買意欲がわきません。
試しに買った現地のインカコーラにもちょっと口をつけただけで受け付けない。
このドリンク、味はコーラなのですが色は黄色で独特な香りがするものでした。

バスには排ガスの匂いが充満していて気持ち悪く、これはリマ市内の外気でも同様でした。
リマ郊外にはスラムと思われる住戸の山が見えます。市内の住宅は塀で高く囲まれ上部には
高圧電線が張り巡らされています。ガイドさんの話によるとやはりリマはかなり治安が悪いらしい。
市内を走る路線バスでさえ高いフェンスで囲まれています。

宿に戻ると夕食まで2時間ほど。連れ合いが歩きたいというので、少し離れたショッピングセンター
まで散歩。幸いこの地区は治安が良さそうで危険な目にはあいませんでした。
が、それでも沿道の幼稚園や学校はかなり厳重な警備を敷いていました。
ミネラルウォーターを買って戻るついでに海まで足を延ばします。
そこは整備された公園になっていて、高級そうな犬が集い、パラグライダーが浮き
サーファーが海に点在している、まさにリマの別世界でした。ここでようやく体調が回復。

夕食は宿でボジョ・ア・ラ・ブラサ。チキンの炭火焼にフライドポテトが付いてきます。
最初はこのポテトが受け付けませんでしたが、肉を食べるうちになんとか食欲は回復。
同席したのはハネムーンのカップル。新婚でペルーとはなんともチャレンジャーだ。

ペルー旅行1日め

成田-ヒューストン-リマ

成田空港第1ターミナルに12:55集合。今回はH.I.Sのインプレッソによるツアーに参加。
海外でのツアー参加はカナダ以来2回め。連れ合いのスーツケースが重いが、ツアーだと
だいたい運んでもらえるので楽。ちょうどいい成田エクスプレスがないので、
日暮里からスカイアクセスに乗車。乗車前にコンビニで昼食の買い出し。

集合してみると総勢14名。添乗員さん、母娘、女子3人組と女性が多い。年代は若め。
コンチネンタル航空のチェックインはコンピュータがうまく作動せず時間がかかる。
ツアーの説明を受け、保険に入り、ドルへの両替を済ますともう時間が不足気味になり
トイレに寄ってから出国審査へ。ヒューストンへの飛行時間は11時間55分。
半分くらい眠っていました。席にはモニターは付くも、アイマスクなどのお休みセットはなし。
座席スペースも狭く、近年レベルアップしているはずの機内食もおいしくなかった。

ヒューストンでの乗り換えは2時間。かなりタイトなスケジュールの上、
入国審査で顔写真をとられたり、指紋を採られたりしてそれがうまくいかなかったりして焦る。
ターミナルを移動してUSエアに乗り換えます。こっちは席スペースにはゆとりあり。
しかし個別モニターはなし。前方モニターではカンフーパンダ2が流れていました。
飛行時間は6時間35分。ここで眠れなかったのが後々の体調にひびいてきます。

リマに着いたのは現地時間で22:25ころ。時差は14時間あります。
夜中の到着だというのに入国審査には長蛇の列が。そしてなぜか日本人が多い。
リマの空港は結構近代的で意外。10ドルだけ現地通貨のソルに両替して荷物をピックアップし
現地ガイドと落ち合い、大型の貸し切りバスに乗り込みます。空港を出た時点でもう
12時はまわっていただろうか。車窓から見る街並は暗くてよくわからないが、ぼろい感じ。
ホテルまでは20-30分くらい。

ここで翌日、というか当日の集合時間が3時という衝撃的スケジュールが判明。
部屋に2時間弱しかいられないので、眠れない。とりあえずシャワーだけ浴びる。
ホテルは5つ星中3つ星だが南米だけあってぼろい。シャワーは熱くなったりならなかったり。
トイレの紙を便器に流せず、ゴミ箱に入れるというのも衝撃的。ホテル名はサンタ・クルーズ。

2011年9月22日 (木)

ペルーより帰着

今回はH.I.Sのツアーに参加してきました。
海外でのツアーはカナダ以来2回め。

ヒューストンでの乗り継ぎ時間を含めると、移動時間はまる1日近くなり
初日と最終日は徹夜+仮眠する覚悟がいります。
それに加えてツアーだと短期間に詰め込まれた移動距離が半端なく、
サバイバルツアーのような様相を呈していました。

見たものでは、山岳列車によるアクセスも含めてマチュピチュは必見。
あとは、まあ好みによるかなあ。
詳しくはまた後日に。

2011年9月17日 (土)

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2011年9月15日 (木)

行ってきます

さて、遅い夏期休暇でペルーに行ってきます。

交通事故やテロがないことを祈ってやってください。

2011年9月14日 (水)

見ずに死ねるか

20代の頃は見ずには死ねない海外建築というのが幾つもありましたが、
さすがにもう行き尽くした感があります。
視覚的欲求は低下し、時代も変わりました。

ぼくらが大学を卒業した直後にバブルの波がやってきて、
海外建築家が日本に作品をどんどん建てるようになりました。
それまでそんなことは考えられませんでした。
日本は出る建築家も入る建築家もいない鎖国状態で、
卒業旅行で初めての海外、イギリスでジェームズ・スターリングによる
ケンブリッジ大学図書館を見る直前のわくわく感と言ったらなかった。

もっとも海外建築に対する過剰な期待感というのも同時に自覚し、
その錯覚をつぶしていく旅ともなりました。

今は優秀な日本人建築家はどんどん海外へ進出していき、
そのひとから大学で直接教えを請うこともできるという、
学生にしてみれば何とも贅沢な環境になっています。

なんともうらやましいですが、その分視覚的渇望感というのは
減退してきているのではないかしら。

2011年9月12日 (月)

引退?

なでしこジャパンの宮間選手は朝起きてサッカーをやりたいと
思わなくなったら、サッカーを辞めるというような発言をしていました。

ぼくの場合はどうだろう。
アイデアが次から次へと湧いて、実施設計終了後も設計変更しようとしたのは、
自邸のt邸が最後だったかもしれません。
自邸の竣工は自分に精神的ダメージを与えました。
このへんは室内(2003年4月号)に詳しく載ってます。

勢い良く設計できたのは2001年の幾つかの住宅プロジェクトとコンペまでかな。
それ以降はそれこそ朝起きて、建築をやろうなどとは思わなくなりました。
それでもこの10年は過去の遺産でなんとか仕事をしてきました。

しかし補充されない感性は鈍くなっていくようで、
今回大分県立美術館のコンペ案を練っていて、
自分の感性はもう今の建築界では求められていないのではないかと思いました。
この大規模なコンペはまたとないチャンスのはずなのに一向に気乗りがしません。
残りの日程を考えてもおそらく提出しないでしょう。

よく続けるのが才能だと言われていますが、これは未練があって
辞められないのが才能だという意味だと思います。
いまのぼくには建築に対してさしたる未練がありません。
大きな美術館を是非とも建てたいという気持ちは薄いです。

引退するべきかなあ。
まあ、今は気分が滅入っているせいかもしれないし、
そんな重要なことは即決すべきではないとは思いますが。

2011年9月11日 (日)

9月の定例多摩川オフ

いつものように朝はうだうだと。Dscn8662
しかしこれに出ないと本当に運動しなくなってしまうので、重い腰をあげる。
出る直前に雨がぱらついたものの、天気はなんとかもった。
気温の方は最初の方は低かったが、じりじりと上がっていきました。

10時過ぎに集合場所に着いてみると、なんとまだひとりしかいない。
先月のオフの再現か?と思われましたが、なんだかんだでひとは増えて、
昼食場所の府中では結構な人数に。

最初は空腹のせいもあったが、やはり脚がまわらない。
多摩川CRでも先頭隊長についていくのがやっと。
帰着の頃にはまた骨盤が痛くなるし、本当に筋肉が劣化している。

府中ではdさんの娘さんが自走で合流。
補助輪もとれて片道8kmを走る小学1年生。恐るべし。

昼食は結局先月と同じく体育館附属のレストランに入りました。
みんなてんでバラバラに追加注文をして個別清算したものだから、
あんみつ2人分が未払い扱いになってしまったそうな。
幹事のtさんが交渉に行くもNG。たてかえてもらいました。
災難でしたね。

帰路は久しぶりに東八道路経由でaさんと久我山まで同行。
かなりまったりペースで走ったものの帰着する頃はやはり熱中症気味に。
aさんは無事に帰着できただろうか。

2011年9月10日 (土)

漫画デビュー?

新字体の滝も含めて瀧という姓はめずらしく、知人でいたことはありません。Takisan
役名では特撮ものでは仮面ライダーの滝和也、漫画でキャプテン翼の滝一くらいでしょうか。

フィールヤングに連載されていた午前3時の無法地帯とその続編である
午前3時の危険地帯、ねむようこ作には旧字体の瀧さんというのが登場していました。
この顔がなぜかぼくに似ているんだ。
デザイナーという職も近いところがあるし、サブキャラだし、
さすがに真夜中に裸にはなりませんが。(笑)

偶然かと思いますが、こんなこともあるんですね。

2011年9月 9日 (金)

明石家さんま

紳助が退場して吉本の司会では単独トップに立ちました。

ぼくがはじめてさんまと出会ったのは高校受験のとき。
受験校の試験日が申込順に決定されるとかで、
同じ受験生の車で深夜、その高校に向かっていました。

そのころさんまはオールナイトニッポンの第2部を担当していて
そのとき初めてそのしゃべりを聞きました。
が、その内容というのが下ネタばかり。(笑)
あー、面白いんだけどな、と思っていましたが案の定、
どちらかの母親がぷちんとラジオを消しました。

あれから31年、いまだに面白いのだからたいしたものだ。
ちなみにタモリも当時オールナイトニッポン第1部を担当していましたが、
どこかマニアックな感じがあまり好きになれませんでした。

2011年9月 8日 (木)

レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ

6年めの結婚記念日で行ってきました。
ジャンルとしてはコンテンポラリーフレンチと呼ばれるらしい。

青山にある店は小さめ。内装はシンプルモダンという感じ。
サービスは不満はない。ただかゆいところに手が届くという感じではない。
なのでゴージャス感とかお姫様気分とかを求めていくと肩すかしをくらうかも。

しかしレストランの本懐はなんと言っても料理です。
この点、東京の名だたるグランメゾンをおさえてトップレベルと言ってもいいでしょう。

それはフレンチとかコースとかに対する先入観をことごとく覆すものでした。
メニューは一応あるのですが、出てくる順番はばらばらで途中にメインが入ったり、
パンがひとつの料理として供されたり。またこのパンが一工夫も二工夫もされています。

料理は日本で採れた素材をそのナマの味を生かした感じで調理されています。
それはフレンチというより日本食と言った方が近いかもしれません。
素材にうなぎなんかも使っていますし。

で、これもまたどれもが美味しいんだ。その取り合わせはまさに創作。
プレートごとの料理は少ないのですが10皿程度出てくるので満腹になります。
プチフルールがワゴンサービスなのも嬉しい。

見た目的にもテーブルでの調理があったり炭を使ったものがあったりと飽きません。
まさに視覚的味覚的な一大アミューズメントといった感じ。
独創というのはこういうのを指すんだな。

ディナーは1コースのみ。おそらくランチもそうかと。
メニューは毎日変わっているのだと思います。
ディナーコース1人21000円は高いですがそれだけの価値はあります。

おそらく、今最も旬なレストランのうちのひとつ。
記念日に、それもなるべく早いうちに行かれるのをお勧めします。
あれだけのクオリティをキープするのはなかなか難しいと思うので。

http://www.narisawa-yoshihiro.com/

2011年9月 7日 (水)

旅行の準備

ペルーへの旅行を1週間後に控え、準備をぼちぼち始めています。
スカイライナーのチケットとって、オプショナルツアーの申込して。
今回はマチュピチュのワイナピチュには行けないとのこと。ちょっと残念。

コンペの方は要項は読んではいますが、手の方はまったく動かず。
ぼんやりした平面、断面イメージはあるのですが、出すのかどうかは微妙。

今晩は少し前倒しの結婚記念日を祝ってきます。
ミシュランガイドにも載る某フレンチなのですが、値段が高い!
それだけのものが果たして出てくるのか、楽しみです。

2011年9月 6日 (火)

スポーツ観戦

ぼくはあまりスポーツ観戦をする方ではありません。
自分自身がスポーツ音痴で縁が遠く感じられるせいでしょうか。
しかし4年に1度のオリンピックはなぜか例外です。

ここのところはなでしこジャパンにめずらしく引きつけられているのですが、
スポーツ観戦という娯楽もよくわからないところが多い。
何が魅力的なのか。

応援するチーム、ひとがいると熱が入りますが、いなくても楽しめます。
しかし対戦している双方の技量が低いとつまらなく感じます。
自分でプレーしたことがないので実際はわからないはずですが、
そこらへんは見ているだけでも推測がつくようです。

つまり極限でのすごい技見たさに観戦しているように思います。
トップレベルの選手同士が競い合う五輪にひかれるのもそのせいでしょう。

うらやましいのはその技量が頭打ちになることはなく常に上昇しているということ。
100m走でもマラソンでも限界かと思われた数字も数年後には塗り替えられます。

対して同じ娯楽としての美術、建築などはとっくに頭打ち。
美術ではキュビズムのピカソ、建築ではアールヌーボーのガウディが最後でしょう。
一般の旅行ガイドで記述があるのはおそらくここまで。
その後は専門家でしかわからない迷路にはまり込んでいます。

2011年9月 5日 (月)

pandaniの輪行袋

週末は台風来襲で出るに出られず、久しぶりに自転車系のサイトをまわったりしていました。34546667

まず、海外通販。今や1ポンド125円まで下落しています。
1ポンド140円台だった3年前に2chにてささやかれた予想が現実化しています。
wiggleでは値引きも相まって、デ・ローザのネオプリマートのフレームが13万円。
29万も出してトマジーニやデンティのフレームを正規に買うのがばからしく感じてしまいます。

その他にpandaniのサイトなんかも覗いてみました。
相変わらず精力的に新製品を生み出しているようですが、
新しいポケッタブルな輪行袋というのが目を引きました。
さすがpandani、センスがいいです。値段も6800円と手頃。
ただコストのほとんどがプリント代とのことで素材には期待できません。
ポケッタブルなんで多分極薄。
オーストリッチの輪行袋でさえ、ガムテープで補修している自分にはちょっと無理かな。

2011年9月 4日 (日)

婚活

*実はボク、コンカツ中です/細川貂々/ホーム社

婚活という名詞はよく聞きますが、その実体を書いたエッセー漫画。
39歳編集者という設定は実在のモデルがいるそうです。
いろいろな婚活を体験しながら次々と敗れ去っていく。

具体的に彼が婚活する理由は孤独死したくないから。
相手に求める条件は
・22歳-40歳まで
・短大専門大卒以上
・たばこをすわない
・共働き希望
・容姿(自己申告で)5点中4点以上

ざっと目を通して、自分と似たような価値基準のひとだと思いました。
でもそれは違うだろうとういうのも何点か見受けられました。

・孤独死したくないというのは、配偶者より先に死ぬということですが
 必ずしもそうなるとは限らない。死ぬのはいつだってひとりだし。
・容姿を求めるのはよくわかりますが、それをお見合いの条件として
 明記するのはどうか。4点以上というのはかなりな自信家でしょうし
 だいたいこういうのは自分のコンプレックスの裏返しなので
 おまえの自分の顔はどうなんだと突っ込みたい。
・漫画では結局誰とも結ばれず、「つづく」で終わるのですが、
 会えた人数は結構多い。これを婚活ではなく恋活にしていたら
 少しは実りがあったかも。恋愛を抜かして結婚などというのは
 手を抜き過ぎなように思います。

2011年9月 3日 (土)

ブルガズアダ

麻布十番にあるトルコ宮廷料理の店。
1、2ヶ月前くらいに訪れました。

ビルのワンフロアでこぢんまりしていて、
オリエンタルな雰囲気に満ちています。

ディナーコースは3つ。
ぼくらは真ん中の8800円のコースを選択。

ドリンクはトルコの蒸留酒、ラクというのを頼みました。
カレーに入れる香辛料のような香りがします。
味も独特で好みは別れるかも。ぼくはちょっと…。

料理は全般的に少なめで、種類が多く出てきます。
特に前菜は大きなプレートに10種類位以上の品が乗っかってきます。
いずれも何百年か変わっていないレシピとのこと。

味は全般的に保存食品という印象があり、香辛料がきいています。
薬膳風と言うか独特で、これも好みが別れるところか。

料理が出てくるのが遅いのも含めて、まあ話題造りに行ってみてもいいか、
という感じのお店でした。

http://www.burgazada.jp/

2011年9月 2日 (金)

乗鞍の写真

ゴール時の写真です。Picture2

後輪、空気抜けてる?
微妙ですが完全には抜けていないようです。
雪渓前の写真だともっと空気入っているようだし、
パンクはかなり終盤に起きたか、空気の抜ける速度が遅かったようですね。
いずれにせよ、悪いタイムのいいわけにはならなくなった。(苦笑)

2011年9月 1日 (木)

教育現場

教育現場から離れて随分とたつのでどんな感じだったか忘れつつあります。
加えて近年の情報機器の発達によって現場がどう変わったのかもよく知りません。

まず設計ではCADが普及し、ドラフター、平行定規というのは廃れています。
昔は最初の方の課題は学校の製図室で行われ、T定規を使っていました。
今は学生に1台、PCが与えられているのでしょうか。
CADを習熟していないと、就職したときに著しく不利になる時代です。

学校の一般の授業というのはどうなのでしょう。
黒板に板書、それとノートに書き写すというのは変わっていないのでしょうか。
ノートPCを持ち込んで打ち込むというのは禁止?
OKであっても図式などはWordとかでは再現は難しいでしょうね。

そもそも黒板というのはいまだに利用されているのか。
講演とかではパワーポイントが主流な時代です。
データを学生に配ってしまうという手もあるかと思いますが、
学生がノートに書き写すという行為が学習効果となっている気もします。
どうなのでしょうね。

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