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2012年2月28日 (火)

ジャクソン・ポロック展

まだ実物を見たことないかも、と思ったので行ってきました。R0010768_2

*ジャクソン・ポロック展/東京国立近代美術館
 120506まで/10:00-17:00(-20:00金)/月休/1500円

近代美術館にしては強引な入場料だと思いましたが、
作家の初期から全盛期、そして晩年にかけての作品を網羅しているので
見応えはありました。

初期作品はピカソに代表されるような、具象を引きずった抽象絵画。
これが意外とうまい。
構成や色使い、曲線のシェイプなど見事です。

しかし作者も言及しているように、これではピカソを越えられない。
でも、作家は結局ピカソが好きだったのだろうなと思います。
それゆえ、後年自暴自棄になり、悲劇的な人生を歩んでしまう。

作家がピカソを越えるためにとった手法は、テクニックの放棄です。
それまでもマレーヴィチやモンドリアンなど抽象絵画の作家はいましたが
どこか古来からの美的意識は引きずっていた。

それを作家はカンバスから筆を離すことで偶然性を持ち込むことにより否定しました。
それは無意味を表現するダダイズムでさえなし得なかったことで、
画家の才能や努力さえ無意味だと表明することでした。

それはそれまで誰もやらなかったことではないのかもしれません。
彼の場合、強力な画廊が後押ししたこと、アメリカが美術界でスターを欲していたこと
ニヒルな風貌、自棄的な生活に加え悲劇的最期が決定打となり歴史に名を残したのでしょう。

ぼくが今回の展示で作家らしさが出ていていいと思った作品は3点のみでした。
すべて1950年に描かれた横長の作品です。
それはどこか書画を思い起こさせ、リズムや間を感じ取れるものでした。

無秩序が売りだった作家が後年、ある程度の秩序から評価されるという皮肉。
結局、テクニックを否定しても新たな美的基準が生まれただけでした。
そして作家自らが開けた禁断の穴から後年、膨大なフォロワーを生むことになります。

日本のネオ・ダダなどはいい例です。
フォロワーに埋もれた結果、作家の晩期の作品はもちろん最盛期の作品でさえ
クオリティに疑問がついてしまいました。

作家は40代に入ったころから絵が描けなくなり、44歳で自動車事故で亡くなります。
誰か彼を止めることはできなかったのだろうか?
もし彼が晩年、ピカソまで戻ってくれば平和な暮らしが待っていたのかもしれません。

でも彼は具象に傾きつつも、結局線の美学までは戻らなかった。
そういう意味では潔い人生でしたが。

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