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2012年9月

2012年9月30日 (日)

大弛峠越え

昨年、通行止め期間に入ってしまい行けなかった大弛峠。Dscn9237
涼しくなるのを待って、昨日行ってきました。
2日後には台風が来てダート路面が荒れてしまうので、ピンポイントな日程。

ルートは塩山(7:30)-大弛峠(13:30-14:30)-秋山分岐(15:30)-野辺山(17:00)
当初は中津川林道で秩父に出ることを考えていましたが、現在通行止めなうえ
MTBであまりにペースが遅かったので、小淵沢方面にスイッチしました。

早朝、各駅停車を乗り継いで塩山7:22着。麓はまだ曇っている。
塩山市街はゆったりと進みますが、トンネルのあたりからいきなり直登のはじまり。
ここで飲料を補給しますが、その後大弛峠まで給水ポイントはありませんでした。

クリスタルラインのうねった山道に入ってからは勾配は緩くなります。
しかしこの日は一向に標高を稼ぐことができません。
1000m上るのにだいたい3時間かかっていました。
走り込んでいないというのが大きいと思いますが、
ファットバイクのような重いホイールが常に加速を要求される
ヒルクライムに向いていないというのも強く感じました。

休んでは走りを繰り返してなんとか中間地点の琴川ダムに到着。
この少し前あたりから木陰が減ってきて、日光による消耗も辛かった。
ダムには何もありません。公衆トイレくらい。人影もなし。
そういえばサイクリストもあまり見かけません。
この日、すれ違ったのは3名のローディーだけ。

ダムを過ぎるとまた直登の激坂。それをしのぐと大弛峠まで14kmという表示が。
しかしここからしばらくはごく緩い上りのワインディングとなります。
標高は1700mくらいだったか。涼しくて気持ちのいい道なのですが
峠との標高差はわかっているので、後半の坂がだんだん怖くなります。

このあたりで今回は鹿と遭遇。
道路脇の崖の上にいる大きな雌鹿がじーっとこちらを見つめていました。

さて、ようやく最後の上りが始まりますが、ぼくはもうへろへろ。
相変わらず休んでは走ってを繰り返していましたが、さすがに進まないので
最後は一切の情報を遮断してペダルを踏むことに集中しました。
なので、ここらへんの風景の記憶はありません。

峠は路駐された車が多いだけの、本当に何もない所で想像と違っていました。
食堂、売店は小さな山荘がひとつあるだけ。水道は使えません。
山奥という表現がぴったりの雰囲気でした。

食堂で飲料を補給したあと、夢の庭園なる所に向かいます。徒歩15分。
この山道がすべて上りで、半分くらいは木製階段になっていました。
6時間峠道を上ってきたばかりの脚にはやはり辛く、老人のような動き。

果たして夢の庭園はそれまでちらちらとしか見えてこなかった
南側の風景が一気に開けた気持ちのいい場所でした。
これから下る北側の風景も眺めることができます。
しばし休憩。標高が高いのに半袖でも暖かい。紅葉は始まったばかりか。

トイレに寄ってから、いよいよ本日のメインイベント、ダートの下りです。
北側の下りの上半分くらいがダートで、所によってはかなりガレています。
ランドナーのタイヤだったら押すかもと思うパートもありました。
ここですれ違ったのはオートバイ数台だけ。車でも辛いかな。

この日は当初は中津川林道を含めて考えていましたが、上りも山道もダートの下りも、
行ってみれば大弛峠だけで十分でした。普通の峠道の倍くらいなイメージ。
ダートの距離は中津川の半分程度ですが、同じくらいの満足感がありました。

川上村秋山の分岐に着いたのは3時半。
三国峠に向かうと日没後のダート下りになると計算されたので迷わず左折。
30分ほどで信濃川上駅に到着します。

ここでふと、ツーリングマップルで清里から小淵沢まで気持ちのいいルートがあったのを思い出します。
うろ覚えで地図もありませんでしたが、まだ日も高かったので小海線沿いを清里方面に。

随分走って、ようやく野辺山駅に到着。ここで信濃川上と野辺山間が1駅であることを知り愕然。
200mくらいの上りだったけど1時間近くかかったのではなかろうか。
いずれにせよ、ぼくの距離感覚がまるでずれていることがわかったのでここで終着、輪行としました。
ジャージー乳のソフトクリームと土産にありつけたのでまあ良しとしましょう。

・走行距離:73.3km
・獲得標高差:2053m
・最高標高:2371m(大弛峠、車で行ける日本最高地点)

2012年9月29日 (土)

冬用グローブ

冬用グローブはマヴィックのものを含め、2つ持っているのですが、Lbk
いずれも氷点下の気温で使用した場合、指先に痛みが入るほど耐寒性能は低い。

で、今考えているのがモンベルの防水グローブOutdryサイクルグローブです。
ゴアテックスのような生地で冷気もシャットアウトするのかなと思っていますが、
一点、色がブルー系のものしかないのがちょっと残念です。

この製品を使っている方はいらっしゃいますか?
また、もし耐寒性能でお勧めの商品がありましたら教えてください。

--
手持ちのマヴィックのグローブは防水性があるとのこと発覚。
防水=保温ではないのですね。

2012年9月28日 (金)

今日の雑草

ツユクサです。Dscn9231
朝、開花して午後にはしぼんでしまう朝顔のような雑草。

今年も雑草は順調に生え放題で、気になるものは随時抜いているものの
来客に「入っていいものか迷った」と言われる程度。
バッタやカマキリが生息しています。

近所に住む変人おばさんが見かねてか、勝手にドクダミを引き抜いていったこともあり。

2012年9月27日 (木)

山サイ情報

今の時代に山岳サイクリングをするのは、地球の歩き方でさえ取り上げていない61m00
辺境の国をいきなり訪ねるようなものなのかもしれません。

まあ一応旅では旅行人バックナンバーというものがあり、
山サイだと山サイ研HPがそれに当るのかもしれませんが、
とにかく手に入る情報量が少ない。

それは過去に起きたMTBブームのときにマナーの悪いバイカーが各地の山を荒らし、
自転車立ち入り禁止になったことが原因のひとつになっているようです。
今でもブログの記事で走った山道名をさらすのはタブーになっているほど。

その影響か、これほど自転車がブームになっていろんな雑誌が発行されているのに、
山サイに関する記事はほとんど見られません。
MTBブームのときには自転車を離れていた自分にとって、これはきつい。

結果として、山サイを企画するネットコミュニティに参加するほか手段はありません。
で、都合が合わなかったりすると、その行動計画やレポートに基づいて単独で挑むことになりますが
ここで幾人かの方から注意を受けています。

山をなめてはいけない。少なくとも非常時対応の装備は必要である。
これはその通りで、山岳遭難での死亡率は単独行動で跳ね上がるというデータがあります。
また、山岳遭難死者数は年間300名ほどにものぼります。

ここまでで、山サイに挑む者は登山の知識、セオリーを押さえねばならないと思い至りました。
同時に防水性能の高い雨具や靴などを物色しています。
知識に関しては手始めにすでに絶版となっている山サイ研のMTBツーリングブックコースガイドの中古品をAmazonで購入しました。

2012年9月26日 (水)

神奈川の道

青葉区の青葉台はぼくの実家のある町で、1967年から住んでいました。Aobadai

街はバブル期を経て大きく様変わりし、古き町の面影を残すのは、
駅前の3棟の高層公団住宅と裏の団地、そして環状4号道路くらいです。

その4号道路は町の大動脈で、駅のターミナルから多くのバスが走るようになった今でも
依然、片側1車線の両面通行道路で40年以上変わっていません。

また先日、母の入院先を訪ねるのに相模大野駅からバスに乗りましたが、
ここも青葉台と同じような感じで道幅が狭く、渋滞を起こしていました。
場所によっては歩いた方が早いのではと思うくらい。

世田谷通りも多摩川を越えたところから狭く、自転車では走りづらくなるし、
相模湾沿いの国道134号も観光地としては狭いですね。

一方、新設された道はどうかというと逆にオーバーサイズで、
車による利用を前提としたような設計が多いと感じます。

国道246号はぼくが中学生の頃は青葉台から秦野まで自転車で普通に走れましたが、
その後、厚木付近で大規模な立体交差道路が新設され、
ここは自転車で走るには怖くて、以降、秦野まで走ることはなくなりました。

港北ニュータウンも同様、ぼくの父親の入院先を訪ねた時は、
案内図の略図から読み取れる距離と実際のそれがかけはなれていて驚きました。
道路は広すぎるし、街区の区割りもスケールオーバー気味。

東京の道路は戦後、少しずつバージョンアップされていき、違和感は少ないです。
基本、郊外な神奈川に同じものを求めるのは酷かもしれませんが、自治体としてはお金はある方でしょう。
ひと、車、自転車が自然と共存できるようなスケールというものを、今一度、検証してみませんか?

2012年9月25日 (火)

スーツケースの修理

海外旅行保険の携帯品補償で修理に出していたスーツケースが1ヶ月ぶりに戻ってきました。R0011785

今回はまず航空会社から破損証明を受けることから始めました。
本来は預け荷物受取場でクレームをつけるべきなのですがその余裕はなかった。
帰宅後、航空会社の成田支店に電話し、メールで破損状況の写真を送ると、
すんなりと証明書をPDFで発行頂きました。

スーツケースの破損はよくあるケースのようで、保険会社から専用の書類が送られてきました。
それを記入したものと破損証明をスーツケースの中に入れて、
保険会社からもらった着払いの伝票で宅配に出します。

送付先はANAのスーツケース修理部門で大阪でした。
スーツケースは東急ハンズで購入したメーカー名も品番も見当たらないものでしたが、
そこは日本の修理専門部隊、文句のない仕事です。

キャスターは既存の車輪と全く同じものが取付けられていた上、
もう1カ所も車輪交換されていました。うーん、完璧。

修理不可だったらもう少し軽いものに買い替えるか、なんて話していましたが、
しばらくは今のものを使い続けることになりそうです。

2012年9月24日 (月)

乗鞍エコーライン・スカイラインオフ2日め

頭痛が酷くて何度も起きた夜が明ける頃、3時半、外はみぞれ降ってるよーとのこと。R0011783
トイレ横の窓に確認しに行くも、雨はともかくガスはひどい。
と、いうことでご来光目当ての登山は中止。

でもその後、天候が回復すれば頂上へと思っていましたが
テレビに映された天気予報の日本地図は中央部がすべて青(雨)という現実を突きつけられる。
これはもうバス輪行で来た道を引き返すしかないという結論に。

バスは畳平の客も使うだろうからなるべく早く行こう、ということで
7時からの朝食を済ませたあと、そそくさと荷物をまとめます。
外に出てみると雨はパラパラという感じ。
雨具を着込んでいればさほど辛くはなさそう、ということで畳平に向けて出発。

途中で多くの登山客とすれ違いました。こんな天気でも登るんだ。
と、畳平に着いた段階で2名が自走下山することに。
ぼくはすでに指先がしびれていた上、カーボンリム用ブレーキシューが全然効かないので辞めておきました。

バスターミナルに着くとあと5分で1台バスが出るとのこと。
前後輪を外してエンド金物をつけ自転車はバス下部トランクに。
ホイールは車内持込みにして他2名とともに乗り込みます。

バスはあっけなく観光センターに到着。でも自走組の方が早かった。
麓は上とうってかわって酷い雨。
自転車をきちんと輪行状態にしたあとセルフのカフェに逃げ込み、
一息ついたあと、自転車を車に詰め込みます。

自走組の輪行が終わるのを待って、隣の温浴施設、ゆけむり館へ。
1日半ぶりの風呂は気持ちよかった。
ここで畳平で次のバスを待った2名が到着、と思いきやひとりだけ。
なんでももうひとりは宿に携帯を忘れて取りに戻ったとのこと。あらら。

待つ間、併設された広々としたラウンジでくつろぎます。
その間に預けてあった車を取りにいってもらっていたりしたら最後の1名到着。
なんとか皆、風呂に入ることはできました。

さて車は一路松本へ。道は渋滞することなくスムーズに進みました。
松本では幹事のiさんお勧めの田楽のお店、木曽屋へ。
皆さん、田楽定食を頼みました。

ちょっと出てくるまで時間がかかりましたが、山椒を降った田楽は美味。
ただ、この日は全く運動していなかったので、太る要素にはなったようです。

途中、ガソリンスタンドに寄って、駅に着いたのは14時頃。
丁度、14:49のスーパーあずさがあったので早めにホームに並んで席を確保。
無事、ボックス席2つとれたところで乾杯。
談笑しながら帰路につきました。

今回の企画のキモは2日めの登山とスカイラインの絶景でした。
お預けを食った分は来年リベンジですかね。
またよろしくお願いします。

・走行距離:23.6km
・獲得標高差:1203m
・最高標高:2790m
*すべて1日めのデータ

乗鞍エコーライン・スカイラインオフ1日め

FCYCLEのiさん企画のオフ。当初の予定は以下の通りでした。R0011776

1日め
松本駅からレンタカー→乗鞍高原(番所)にて
自転車組み立て→エコーライン→畳平→肩の小屋

2日め
起床→登山開始→山頂→下山→朝食
→畳平→平湯峠→平湯温泉
→安房峠→沢渡・車を回収→松本

ぼくは乗鞍エコーラインはヒルクライムで2回経験。
エコーライン、スカイラインを通して走ったのは学生時に1度だけ。
その時は乗鞍登山もしましたが、ほとんど記憶にありません。
今年のヒルクライムはインドで崩した体調が戻らず断念し、かわりに参加しました。

天気予報はおおむね好調に推移していたのですが、前日の18時になって一気に雨予報に。
慌てて雨具を詰め込み、かわりに火器をあきらめます。
行きのスーパーあずさにて、2日め雨の場合どうするか話しましたが、
そのとき冗談のように出た解決方法を結局は選ぶことに。

松本駅に集合したのは全6名。3台の車に分乗して乗鞍を目指します。
ヒルクライムのスタートにもなる乗鞍観光センターには12時過ぎに到着。
自転車組み立て、食料摂取、ブリーフィング後、12時半過ぎにスタートしました。

1年ぶりの乗鞍は、周りに自転車の群れがないこともあってペース配分が難しい。
とりあえずリアをローから3枚目に固定して踏んでいきます。
いきなりの坂はやはりちょっとしんどいですが、勾配はさほどではない。

8km走って最初の休憩ポイントである三本滝ゲート到着。
ここまではノンストップでしばらく後続を待ちます。
涼しい気候の割には随分と汗をかいていて、水分補給も多かった。

次の8km、位ヶ原山荘まではコース内で最も勾配がきついパート。
高度差の大きなタイトなコーナーとつづら折れまでのとりつきの直線が辛かった。
本当はこのパート内に1つ休憩ポイントがあったのですがわからず、スルーしました。
ギアは上記の直線のあたりでローまで落として、何度か短い休憩を入れました。
意外と勾配の細かな変動が多いと感じました。

位ヶ原山荘に着くと前方の岩山はるか上に畳平あたりの道が見えます。
ここからだと高度差310m程度なはずですが、もっと高く見えます。
山荘の存在を確認したのは初めて。飲料を補給し、後続が来るまでのんびり過ごします。

再スタートして森林限界を越えたあたりから呼吸が苦しくなってきました。
標高は既に2400mを越えています。やっぱり空気が薄いのか。
最後の5kmのパートは勾配の変動は多いものの、基本的には緩め。
しかしなんでこんな緩斜面でというところで息が切れてしまいます。

結局ここでは写真撮影での停車も含めて、無数の休憩が入りました。
ヒルクライムの時は前日入りしているので、身体が高度適応できているのでしょう。
それに加え、あと4km、3kmと看板が入ってきて全体がラストスパートモードに入るので、
ノンストップで走れたのだと思います。

ここでの熊との遭遇は昨日の日記参照。
天気は麓と同じで半分青空、半分雲もしくはガスというかんじ。
低木はもう既に所々で色づいていました。雪渓は小さくなったなあ。

畳平に着いたのは4時過ぎ。実に3時間半をかけてのツーリングでした。
ここで初めて大きな駐車場と、大規模なレストハウスを発見。
これってヒルクライムのときには使わせてもらえません。
富士や草津はOKなのになんで?いつも山頂では窮屈な思いをしています。

レストハウスでソフトクリームやお土産を買って、全員揃ったところで宿方面へ出発。
宿は剣ケ峰麓の肩の小屋。30分ほど自転車を押して進みます。
この頃にはもう日が落ちてきていて、ガスも濃くなってきます。

道はダートですが幅があり路面もフラットで歩き易かった。
周囲は低木以外は荒野のような雰囲気のなか、下界では見られない鳥が飛んでいたりして、
ぼくの好みの風景が広がっていました。

やがて見えてきた肩の小屋は入ってみると大菩薩峠の介山荘のようで、
かなりきちんとつくられていますが、水が足りないという点も同じ。
今回は渇水のため風呂、シャワーは使用不可でした。
ここで1名合流して、計7名に。

ともあれやれやれと一息つき、腰を下ろして荷物を開けます。
頭痛がしたので薬を飲みます。たぶんこれは高山病。
標高2700mでの宿泊は、過去クスコに次いで2番目の高所です。

9時消灯ということもあり、6時に夕食をとったあとは特に何をするでもなく、
皆さん、就寝モードに入っていたようです。

2012年9月23日 (日)

熊さんに出会った

昨日、今日とFCYCLEの乗鞍エコーライン・スカイラインオフでそれはそれでいろいろありましたが、
とりあえずの私的ハイライトは熊との遭遇でした。

エコーラインの位ヶ原山荘を出てしばらく上ったところ、
標高にして2500mのあたり、高木が姿を消して背丈ほどの薮が多くなったあたりで
舗装された1車線の道路右脇を黒い熊が背を見せて歩いていました。前方20mくらい?

体長1m程度のおそらくツキノワグマ。
3年前のほぼ同時期の乗鞍畳平に出没して暴れ、8人が重軽傷を負った記事を読んできたばかりでした。
たしか脅かさなければ襲われる確率は低いはず。

そのまま追い抜くのは後から襲われる恐れがあるので、とりあえず自転車を降ります。
熊はしばらく歩いたあと、右の茂みに消えました。
ここで一応、持っていた熊鈴を鳴らし、フリーのラチェット音も追加しました。

少したって、もういないだろうと進んでみると、熊は道路脇で堂々と毛繕いをしていました。
もうここで距離10mくらい。熊は2度ほどこちらにちらちらと視線を向けます。
さて、こうした場合、人間はどうするのが正しいのでしょう?

目が合ったらそのまま後ずさりするとは聞いていました。
でもそこにいる熊はリラックスモードで人間など眼中にない感じ。
結果として自分がとった行動は、微妙に熊から視線を外すというものでした。

と、次の瞬間、ドドッという地響きを残して熊は消えました。
その重低音を聞いたとき、初めてリアルに恐怖を感じました。
あれが自分に向かったものでなくてよかった。本当にそう思いました。

3年前の熊は最後には包囲され射殺されました。
人間にとっても熊にとっても不幸な出来事です。
それを防ぐにはひとが知恵を重ねていくしかないのか。
昨日のぼくにはそれが足らなく、結果として熊に助けられたのかもしれません。

2012年9月22日 (土)

山田君

「最近田島さんの幽霊みるんだ…ぼくは生きている時の田島さんより死んでしまった田島さんの方が好きだ51
ずっとずっと好きだよ…非道いよね 生きている間にもっと好きになってあげられたら良かったのにね」

「…山田君は黒こげになってないと人を好きになれない?」

岡崎京子著 リバーズ・エッジより抜粋

2012年9月21日 (金)

赤いひと

左上:カート・コバーン/グランジバンド、ニルヴァーナのヴォーカル、ギタリスト。Red
右上:hide/X JAPANの元ギタリスト。
左下:マイケル・スティール/女性ロックバンド、バングルスの元ベーシスト。
右下:おまけ/シャア・アズナブルの駆る3倍速のザク。

赤い人たちです。
カートとhideは故人。マイケルは実質的に引退状態。
なぜか引かれるのです。どこかで共感しているのか。

赤い髪は目立ちます。顔をしかめるひともいるでしょう。
ミュージシャンとして顔が売れているにもかかわらず、
あえて反動的な事をしてみる。

拒否や挑発の姿勢がそこには見えます。
それは孤立を生みやすいが、それを受け入れる生き方が
自分とかぶって見えるのかもしれません。

最後のザクの画像は迷った上にセレクトしました。
本来、戦闘場面で目立つ色は禁忌なので非現実的ですが。

それまでの特撮やアニメでの赤というのは主人公を表す色でした。
仮面の忍者赤影に始まり、ゴレンジャーあたりがわかりやすい。
ウルトラセブンも新ルパン三世もロボコンもみんな赤です。

ガンダムではおそらく初めて影のある敵役に赤を採用し、
赤い彗星というイメージは瞬く間に世間に浸透しました。
ぼくの赤好きというのは案外ここからも来ているのかもしれません。

ただぼく自身が赤が似合うかというと、そうではないと思っていますが。

2012年9月20日 (木)

夏の終わり

もうそろそろ夏も終わりでしょうか。R0011739

この夏は本当に自転車と縁がありませんでした。
1都6県を走ったあとは、白神ラインが降雨予報のためDNS。
インドでお腹こわして、乗鞍HCもDNS。

楽しみにしていた魚野川水平歩道の山サイに至っては、
降雨予報で3度延期されたあげく、来年にまわされてしまいました。
MTBにいちばん乗りたかったのにな。
山サイ、MTBの装備はしたまま、今だ荷を解いていません。

今週末はロードで乗鞍1泊オフの予定。
晴れて欲しいけど、それ以前に脚がまわるのか?というレベルかも。

あ、そういえば大弛峠って10月までだった。行かなきゃ。

2012年9月19日 (水)

電車男

あのオタク、アキバ、掲示板に光を当てたTVドラマ放映から7年が経ちます。20050728013114_1
これがきっかけになり、オタクがひとつのマーケットとして意識され、
ひいてはAKB48のような怪物的商品までが生み出されました。

しかし秋葉原にはこの間、ひとつの闇がありました。
秋葉原通り魔事件です。
ドラマ放映の約3年後に発生しました。

被告は当時25歳の男性。一方、電車男の主人公の設定は23歳。
3年後の犯行を考えるとほぼ重なっています。
そしてドラマで主役を演じる伊藤淳史が眼鏡をかけたその姿、表情は
今あらためて見直すと、通り魔の被告とそっくりです。

ドラマでは主人公は掲示板の住民に背中を押され助言を受けて、
高嶺の花と思われた女性と結びつき、ハッピーエンドを迎えます。
しかしこのドラマは掲示板のポジティブな発言のみを抽出してつくられていて、
実際の掲示板の様相とはおそらく異なるものです。

一方被告は事件の1年前、掲示板の投稿者と面会するための旅行と面会を繰り返しながら、
その後、掲示板を成りすましで荒らされ、掲示板荒らしが去って孤独を感じ、
ついには通り魔事件を起こしてしまいます。

被告はドラマなどの影響から、掲示板に過度の期待を抱いていたのではなかろうか。
その期待を裏切られて、ドラマ放映後、急速に華やかになった秋葉原という存在から
拒否されたように感じ、殺意を抱いたのかもしれません。

--
写真は梅ちゃん先生で視聴率好調な堀北真希さんの、電車男出演時のシーン。
7年も経っているのにかわらないですね。

2012年9月18日 (火)

記憶のなかの顔

オウムの菊池、高橋両容疑者が逮捕された事で、人間の顔は20年も経てば
別人のようにかわってしまうものだと認識されたのは記憶にあたらしいところです。

2年前に小泉今日子さんが出した原宿百景という写真集にびっくりしたように、
容姿に注意を払う芸能人においてさえ、特に40代は顔がやつれる傾向にあります。

で、ふと思いました。
中学のときに片思いしていた初恋の女性のいまを知るにはもうリミットかも。

おそらく結婚しているでしょうから、姓名の名前の方で検索。
思いついたキーワードとともに検索したりもしましたが…。

捜しているうちに本人かどうか正しく判別できているか自信がなくなってきました。
ぼくの記憶にある彼女は小学校の卒業アルバムの写真がベースになっていて、
そこでは化粧もしていないし、大人と子どもでは顔も随分変わります。
確たるイメージを持っていたと思っていましたが、その前提が揺らぐとどうしようもない。

さらには不安にもなってきました。
前述したように40代は容姿が大きく変化する年頃。
記憶のなかのきれいな彼女の現実を見るのが怖い。

たぶん、もう検索はしないでしょう。
思い出はきれいなまま保存しておくのがいちばんのようです。

2012年9月17日 (月)

マダム・トキ

代官山のマダム・トキのディナーで結婚7周年を祝ってきました。Madame_3
マダム・トキを知ったのはもう随分前。
初めて認識した一軒家のフレンチでした。
心のどこかにずっと引っかかっていましたが、
今年版のZAGATで評価がだいぶ上がっていたので今回のセレクトとなりました。
さて、当日訪れてみると向かって左手に記憶にない建物あり。
これが実はレストランで、正面に見えるのはパティスリーのようです。
ふーん、昔からこうだったのかな?記憶があいまいです。
レストラン内部は落ち着いた雰囲気で、意外とコンパクトでした。
最初に一品あってから食前の飲み物を聞かれ、メニューのセレクト。
この辺りのサーブは結構正統的で、オプションでのチーズが用意されていたり、
華やかなデザートワゴンもあるので、記念日に向いたお店と言えるでしょう。
料理が出てくるのも早く、暖かいものを頂けるのも嬉しい。
料理はいわゆる高級食材を使ったベーシックなものですが、所々に現代的なアレンジあり。
個人的には熟成された牛肉のリブロースのロティが美味しかった。
店員さんの対応もよく、お勧めのレストランです。

2012年9月16日 (日)

いらない仕事

新潮社といえば文庫の雄で新潮文庫のセレクトセンスには一目置いてます。
芸術新潮なる本流からちょっと距離のおいた、渋い芸術雑誌も出しています。

しかし、週刊新潮。これはいただけない。
週刊文春と同じ発売日なので一緒にざっとタイトルを流し読みますが、
まあたいがいが文春の圧勝。
週刊新潮は読者のニーズをつかめていない感じがします。

そんななか、今回やってしまいました。
現役大臣の女性問題を大々的に取り上げて、それを知った大臣は自殺してしまいました。
まあ実際の自殺との因果関係は遺書でも見ない限り確定できませんが。

雑誌発売直前に本人に知らせ、急遽記者会見が開かれるというパターンは、
最近は女性誌に多い気がします。
その場合、記事も軽いノリなものが多いのですが、新潮社の記事は陰湿。

そこまで書く必要があるのかというくらい下品な内容をあげつらっています。
ここまでして誰が得をするのでしょう。
相手の捨てられた愛人は水商売関係の方だそうで、こういう事態は織り込み済みなはずでしょう。

読者としても不快さしか残りませんでした。
この記事が大臣を殺したようなものなのに、自殺を受けての訂正部分などは見当たりません。
大臣が死んで話題になって雑誌が売れるから好ましい事なのでしょうか。

ぼくは世の中にはいらない仕事というのがたくさんあると思っていますが、
この記事のライターと編集者はまさにそれです。
週刊新潮自体ももういらない。

2012年9月15日 (土)

日本教

先日の尖閣諸島騒動を受けて、中国国内では反日感情が高まっていて
上海では日本人だと発覚した人がラーメンをかけられたそうな。
何たる陰湿な。

加害者、被害者は尖閣諸島問題に直接関与したのでしょうか。
おそらくそんなことはなく、ただ日本人が嫌いだというだけで暴行した。
これじゃ中学生のいじめと同レベルです。

それに対し、日本人はどうか。
国内の中国人観光客に暴行したという報道は聴きません。
過去に中国には悪いことをしたから、なんていう人もいるようですが、
事をなるべく荒立てない、穏便に済まそうとする国民性から来ているものだと思います。

今まで世界のいろんな国をまわりましたが、しとやかで大人しく、
微笑みのある国となると日本をおいて他はありません。
ぼくらは平和が大切である事を学び、特定の国を憎むような教育は受けてきませんでした。
2回も原爆を落とされたアメリカに対してさえ。

もちろん危機管理は重要です。
でもぼくはこうした日本人の精神的特質は貴重だと思います。
もうこれを「日本教」として立ち上げて、世界に流布してもいいのではないか。

でも同じような非暴力主義を唱えたガンジーは徐々に支持を失い、暗殺されてしまいました。
どうしてなのでしょうね。
怒りという感情は一種の快楽だからなのでしょうか。

2012年9月14日 (金)

ドラマー

1970年代に活躍した女性ロックバンド、ランナウェイズのドラマー、Sandywest
サンディ・ウェストが2006年に亡くなっていることを知りました。享年47。

ランナウェイズはチェリー・ボムなどのヒットを飛ばしますが、
メンバーチェンジを繰り返しながら3年ほどで解散。
サンディはソロ活動に入ります。
が、これはうまくいかなかったらしい。

建設現場などで働き、経済的に困窮し、犯罪的行為にまで至ったとのこと。
女性ロックドラマーのパイオニアが、です。
にわかには信じられない。

しかし彼女は二度と脚光を浴びることなく肺癌に倒れます。
彼女は最期までバンド解散の事実を受け入れられなかったらしい。
ランナウェイズは彼女とジョーン・ジェットが立ち上げたものだから、
バンドに対する愛情は深かったのでしょう。

どのバンドにも言えることだと思いますが、ドラマーは人間関係のキモです。
ドラマーが常に冷静にリズムを刻むからこそ演奏は成立します。
ヴォーカルやギターみたいに放り出したり勝手にアドリブを入れたりはできない。
そこには絶対的信頼関係があります。

スティングとアンディ・サマーズをつないだのはスチュワート・コープランドだし、
デイヴ・ギルモアとロジャー・ウォーターズのどっちともうまくやれたのはニック・メイスン。
気まぐれなロバート・フィリップにいちばん長く付き添ったのはビル・ブラッフォードだし、
ディープ・パープルの最期まで残ったオリジナルメンバーはイアン・ペイスだった。

他にも愛されキャラだったジョン・ボーナムやデイヴ・グロールなど、
ドラマーがバンドのキーを握っているケースはたくさんあります。

今、サンディの画像を見てみると、他のメンバーがギンギンにガンを飛ばしているなか、
とてもピュアな表情をしています。
たぶんメンバーのみんなが大好きだったのだろうなあ。
もう一度一緒にやりたかったのでしょう。

R.I.P.

2012年9月13日 (木)

表札

うちの実家は郊外にあり、大谷石の塀をくりぬいて蛍光灯を埋め込み、R0011738
表札は白いアクリル板でバックライトを当てるという凝ったものでした。
もう築45年になりますが、竣工当時は違和感はありませんでした。

立派な表札をかけるというのは日本の住宅の慣習のようなものでしたが、
今は個人情報保護の時代。
豪邸であればあるほど表札が見当たらなかったりします。

地域のコミュニティが薄れているというのも表札が退化した
ひとつの理由としてあげられるかもしれません。

一方、基本的に現代都市住宅と表札もあまり相性がよくありません。
高度に抽象化した造形に対し、表札というのは意味を持ちすぎています。

ぼくの自邸ではインターホンのそばにプリントアウトしたシールを貼っています。
自宅と事務所で2つのインターホンがあるので、違いがわかるように。

それと別に、竣工時は塀にも少し何かが欲しいと思い、
しかし名前だと上記したように違和感があるので、職業を入れました。
真鍮製の切り文字アルファベットでARCHITECTと。
それが「町の建築家さん」という感じになればいいなと淡い期待も持っていました。

しかし結果として地縁による仕事というのはほとんどなく、
逆にゼンリンの住宅地図に「ARCHITECT」と記入されてしまい、
出前や配達の人が混乱するという事態を引き起こしたので、今は外しています。

2012年9月12日 (水)

歴史の天使

昨日ふらりとon sundaysに寄ったのですが、今開催されている展覧会のMain550
ポスターの表紙がダイアン・アーバス。
ふーん、久しぶりに覗いてみるか。入館料高いんだけど。

*歴史の天使/ワタリウム美術館
 121111まで/月休/11:00-19:00(-21:00水)/1000円

多木浩二氏が生前に書き下ろした写真論をもとにした企画。
12人の作家の写真作品が展示されています。
既に没した作家の、モノクロ作品が多い。

単純に好きなラインナップでした。
何かを読み取らなければならない気になるコンテンポラリーな作品は疲れます。

ダイアン・アーバスは期待通り。
ルネ・マグリットの写真は初めて見ましたが、絵画のような明白なトリックはない。
ジョエル=ピーター・ウィトキンのイコンを思わせる作品は初見でしたが、
他の作品も見たくなりました。
ロバート・メイプルソープはおとなしめのセレクト。
クリスチャン・ボルタンスキーの作品は昔、地下への吹き抜けに展示されていたものでしょうか。
好きです。リヒターとの関係は気になるところ。
ロバート・フランクはただただ流石という感じです。

テキストの併記された作品はブックレットになった方が見易いですね。
チン↑ポムを選んだのはどういう意図があったのだろうか。

on sundaysには発売となったワタリウム美術館の本が並んでいました。
この建物が竣工したのは1990年。バブル建築と言っていいでしょう。
都心の一等地に収益性の薄い個人美術館を、それも海外建築家に依頼して建てる
というのはあの時代ならではのものでしょう。
今までよく経営が続けられてきたなと思います。

建物そのものは竣工当時、既にアナクロなイメージなものになっていましたが、
ここには東京には数少ない、まぎれもない「空間」があります。
あの狭小敷地であれだけ豊かな空間をつくるというのはさすがボッタです。
塔の家の美術館版と言ってもいいかもしれません。

2012年9月11日 (火)

トラブル前後

今回のタイヤトラブルのプロローグとエピローグです。R0011735

先週の火曜日、井の頭通りを固定車で走っていてパンクしました。
固定車のパンクは初。環七よりちょっと内側に入ったところで金属片を踏んでいました。
パンク箇所は特定できたので、その場でパッチ修理をしました。

この場所は以前、ミニベロで針金を踏んでパンクしたのとほぼ同じあたりです。
路上のゴミの吹きだまりになっていたのかもしれません。

その後、土曜日にミニベロのタイヤトラブル。
で、日曜日にLORO SETAGAYAまでタイヤとチューブを買いに行きました。
前に履いていたタイヤはここで2年前に購入したものでしたが、同じ製品がありました。

二子新地のAbove Bike Storeに立ち寄ったあと帰宅。
早速ミニベロのタイヤ交換をしますが、空気を入れてみるとまた1カ所歪んでいる。
おかしいと思い、一回空気を抜きチューブを点検しましたが異常なし。

しかし再度タイヤを取付けるとやはり歪みがあります。以前とは微妙に場所は違う。
どうしようかと思いましたが、とりあえず用賀方面に走ってみて、
改善しないようだったらLORO SETAGAYAを再訪してみようということに。

果たして歪みはなおりませんでした。お店の人によるとおそらく製品不良。
で、その場で新しいタイヤに交換していただきました。
同じロットだからどうかなあと不安があるようでしたが、交換したものは正常でした。

やれやれ、なんだかんだで1日がかりになりました。走れたからいいのですが。

2012年9月10日 (月)

稲葉浩志

写真の建物はぼくが自転車で渋谷に行くときに見かけるものですがInaba2
どうやらB’zの稲葉くんの自邸らしい。

円筒部分が石灰石の乱張りになっていて、傾斜した屋上部分にも張っているから
雨仕舞とかどうしているのだろうかと思っていました。

1998年に4億円をかけて建てられたらしい。敷地約130坪。
ここに再婚した奥さんと青山学院初等部に通う子どもと暮らしています。
ちなみに2003年の収入は9億円。

なんでこんなことがわかったかと言うと、稲葉くんは大学の同期なのです。
面識はないけど同じ時期に同じキャンパスに通い、
もしかしたら一般教養で同じ講義を受けていたのかもしれません。

つまりぼくと同じような環境にいた人で、最も社会的に成功した人なので
ちょっと気になったのです。
長者番付に載る収入があって、高級住宅地に豪邸を構えている。
どんな気分なのでしょう。

幸せなのだろうか。いくらお金があっても幸せでなければ意味はありません。

近所には同じ頃、作詞家の松本隆が妹島和世設計の自邸を建てていますが、
今は関係のない会社の表札がかかっています。売っちゃったのかな。

2012年9月 9日 (日)

タイヤトラブル

昨日、ミニベロで渋谷まで往復してきました。R0011734

出発する前にタイヤ空気圧を7barまで入れてgo。
が、2、3km走ったあたりで後輪からごつごつした振動が発生。
パンクかなと思って触ってみるも、そうではない。

おかしいなと思いながらそのまま進むと振動はひどくなるばかり。
ここできちんとタイヤを確認したところ、1カ所でタイヤが左右にうねって歪んでいました。
???なんだこれは?原因が分かりません。どうやったらこんなになるの。

リムは正常。
とりあえずバーストの危険性があるので空気圧をかなり落として用事を済ませます。

帰宅後、後輪のタイヤを開けてみるとチューブに2センチ径ほどのふくらみがありました。
原因はたぶんこれ。まずはチューブ交換。

さてタイヤの方を見てみると、うねったあたりのタイヤの裏側の繊維がほつれています。
どうなのかなあと思いながらも新しいチューブで空気を充填するも、
一度変形したタイヤは元に戻りませんでした。

あー、総取っ替えだ。タイヤ交換してからあまり走っていなかったのにな。
火曜日の固定車のパンクからトラブル連続。悲しい。

twitter、mixiでのコメント、ありがとうございました。

2012年9月 8日 (土)

香港

この前のインド旅行で行き帰りにトランジットした香港。R0011703
1度だけ訪れたことがあって、それは1996年3月。
翌年に中国への返還を控え、変貌を遂げる前の姿を見ておきたかった。

興味があった九龍城砦こそ2年前に取り壊されていたものの、
その2年前に撮られた映画、恋する惑星の舞台となった重慶大厦は健在で、
九龍近辺には似たような雰囲気がまだ残っていました。

当時の空港は啓徳空港。市街地から近く、便利でした。
今回経由した空港は香港国際空港で、市街地から西へ随分離れています。
今回の旅行時はその位置を把握しておらず、写真に見える正面の山は
ビクトリアピークなのかなと思いましたが、全く違うひとつの島でした。

しかしそんなところにも細長いタワーマンション群ができつつあり、
香港=中国?の今の経済的な勢いが見えたような気がしました。

2012年9月 7日 (金)

教職

大学時代の同期が建築学科の教授になっていて、Facebookでその様子を
かいま見ていたりするのですが、いや大変そうだ。
相手は青年といえども所詮は子ども。そのノリについていかねばなりません。

家に子どもがいる人なら慣れているのかもしれませんが、
うちは連れ合いも含めて子どもが好きではありません。当然子なし。

今は有能な建築家は大学の教職に就くことが当たり前のようになっていますが、
みんな子ども好きなのかな。
いくら設計能力が高くても教職に向かない人って結構いると思うのですが。

もともと、教師と僧侶は選ばれた人間がなるものだというのが信条です。
上から目線で話さねばならないので、それなりの人格がないとなめられます。

親とか上司とかもその範疇にあるのかもしれません。
組織では勤続年数が長くなると自動的に上司にならざるを得ませんが、
このシステムは変えた方がいいと思います。

建築で言うと、優れた建築家を輩出している事務所の上司は
教職にも向いているのだろうと思います。
例を挙げれば、コルビュジェ、丹下健三、磯崎新、菊竹清訓、伊東豊雄。
逆に向いていないのは、ライト、黒川紀章、安藤忠雄。

2012年9月 6日 (木)

日本人宿

過去、世界各国には日本人バックパッカーが集まる日本人宿なるものが点在していて、
旅の情報を交換したり、沈没したりしていました。

バラナシのクミコハウスについては前に書きました。
そこにあるように、内輪で固まる感じがぼくは苦手なところはありましたが、
たしかに便利は便利でした。
ぼくがまわったのはすべて1995年。

・ジュライ・ホテル/バンコク
例のごとく何の下調べもせずドンムアン空港からの列車に乗ったところ、
日本人男性とイタリア人女性のカップルと知り合いました。
旅の初日だったし、安全を考えご一緒させていただいたところ、
泊まることになったのがジュライでした。

他の日本人宿と違ってシングルorダブルルーム主体でドライな感じが気に入り、
以降、バンコクでの常宿となりました。

ただ、オーナーと警察がグルになっていて、
ホテルがあらかじめ麻薬を部屋のどこかに隠しておき、
警察に踏み込ませて旅行者を逮捕させる、という噂があり、
実際、ぼくが泊まっている時も夜中にいきなりドアをドンドンがちゃがちゃやられた経験があります。
内側からドアに南京錠をかけていたので難は逃れましたが。

ジュライはその後つぶれてしまった模様。

・ニャンダルワ・ロッジ/ナイロビ
ナイロビの日本人宿だとイクバル・ホテルが有名でしたがあえて外しました。
とはいえ、こちらも日本人は多かった様子。

ナイロビは近年、治安が急速に悪化していて、2つの宿とも今は危険地帯にあり、
ガイドブックには絶対侵入不可とあります。
今、google mapで確認するとイクバルはともかくニャンダルワは随分奥にあって、
よく何事もなく過ごせたなと思います。

ニャンダルワはとにかく水が出なかった。
郊外から水を引いているのですが、途中で水を泥棒する輩が多かったらしい。

イクバルもニャンダルワも今も地図には載っていますが、日本人宿ではなくなった模様。
ニャンダルワでは盗難が多発したらしい。
そういえばドアとかもまともに閉まらなかった記憶があります。

2012年9月 5日 (水)

野村不動産プラウドCM

野村不動産のプラウドという商品のCMでミースのファンズワース邸の動画が流れています。Mies

これだけ書くとなにも問題ないようにも思えますが、
CM中には作品名も作者名も登場せず、あろうことか自社物件の動画とシームレスにつなぎ、
あたかもファンズワース邸も野村不動産が手がけたかのような表現になっています。

http://www.youtube.com/watch?v=LXpGnqOraHU&feature=autoplay&list=SP0BF67DA96CFEA212&playnext=2

YouTubeのコメントには以下の文章があります。

「2012年初秋のTVCM30秒バージョンです。
舞台は、シカゴ郊外の歴史的現代建築ファンズワース邸と、
ご好評のうちに完売したプラウド新宿御苑エンパイアとプラウド山手町です。
緑あふれる森の中にたたずむガラス張りのフォルムが美しい、
ミース・ファン・デル・ローエの傑作ファンズワース邸と、
弊社竣工物件の解放感あふれるガラス張りのエントラン­スに満ちる陽光を、
ダイナミックなカメラアクションと、葉加瀬太郎さんの心揺さぶるヴァイオリンとともに
お楽しみいただけます」

この内容はCM内ではっきり明示すべきです。

著作権の観点から言っても、ミースが亡くなったのは1969年。
没後50年続く、著作権保護期間は2019年まで有効なはずです。

CMの放送を中止することを求めます。
テレビやクルマのCMじゃないんだから。
巨匠に対して失礼だとか思わないのかな。

--
YouTubeのコメントってUP者が削除できるのね。
非常に残念な対応です。

2012年9月 4日 (火)

サブウェイ

昔から北参道あたりにあるのは認識していましたが、Footer
ここにきて、代々木上原、明大前と出店が増えてきています。

要は野菜が主体のサンドイッチのファーストフードなのですが、
いろいろカスタマイズできて、それに慣れないと行くのがおっくうになります。

選べるのはパンの種類とそれを暖めるか、トッピングの追加の有無、
野菜の量の増減、ソースの種類、サイドメニューといったあたり。

しかし日本人というのは、自分の欲求がよくわかっていないことが多い。
よく揶揄される右へ倣えの精神ですね。ディナーとかでもコースがある場合、
余程通い慣れていなければアラカルトを避けることが多いのではないか。

明大前店はともかく、代々木上原店はいつ行ってもガラガラです。
果たしてこの選択の文化は日本に根付くのでしょうか。

2012年9月 3日 (月)

バブル建築の影響

ぼくが建築学科を選択した高校時代、建設業というのは構造不況で1232
一番人気の電気情報工学科などに比べると地味な印象がありました。
実際、建築学科を選んだと言ったとき、なんで?と聞き返された覚えがあります。

その頃の日本の建築は、ポストモダンの時代でしたが、公共建築は
名護市庁舎くらいで、一般に知られるものは少なかった。
外国人建築家による作品などは皆無でした。

日本のバブル景気は1986年12月から1991年2月までと言われています。
ただ、建築は完成までタイムラグがあるため、バブル建築の多くは1988年頃から
建ちはじめたと言っていいかもしれません。

その前兆は1986年のRiseとNomadで特に北河原さんによる前者は渋谷のど真ん中に建ち、
一般人に与えた影響も大きかったと思います。伊東さんによる後者はもうありません。
続くのは今は亡き1987年のKirin Plaza Osaka。バブル建築が全国展開しはじめました。

このような前兆をもし高校2年のときに感じ取っていたならば、
その人の生まれは1971年頃と計算されます。
藤本壮介と平田晃久は同年生まれ。ひとつ下に吉村靖孝、中山英之らがいます。
嗅覚の優れた人材がやはり輩出されていますね。

その後、1990-1992年頃まで下るとバブル建築も節操がなくなります。
アサヒビール吾妻橋ホール、東京武道館、青山製図専門学校、
M2、テラッツア、ヒューマックスパビリオン、布谷ビル…。
こういうのが普通と思って建築を選ぶ人もまた違ってくるのでしょうね。

2012年9月 2日 (日)

飛行機

好きではないですね。Tenerife
一度だけ仕事でビジネスクラスに乗ったことがありますが、ダメだった。

落ちるのが怖いとかいうのはないです。高所恐怖症なのに。
たぶん窓が開かないからでしょう。それによる密閉感は苦手ですが。

とにかく変化がなく退屈で自由がないのが嫌。狭いのもつらい。
あの環境で眠れるほど図太くはないし。

今は映画とか好きな時間に見られたりしますが、せいぜい1本2時間。
フライト時間はだいたい6時間以上はありますからあとは途方に暮れるばかり。

一時、機体下部に取付けられたカメラの映像を見られる機種がありました。
晴れていれば未踏の大地を見渡せ、好きでしたが最近は出会えません。

備品も昔はアイマスクから靴下、歯ブラシとかまでもらえましたが今は全然。
機内食も一時ほどは美味しくなくなっている気がします。
不況や過当競争の結果なのでしょうか。

仕事で月何回も海外に飛んでいる人は尊敬します。
そういうひとは機内で仕事しているのかな。ぼくには無理。

一方、航空機事故というのも一向になくなりません。
これと似たような事故が日本で最近起きかけたというのだから進歩ない。

テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故

2012年9月 1日 (土)

観察

仏教の若き教団の長であったジッドゥ・クリシュナムルティは、51soqrsnlsl
自ら教団を解散させ、神や宗教の批判を行いました。

彼がたどり着いた真理はあるがままを観察すること。
これはブッダの悟りを開いたヴィパッサナー瞑想と通じます。

そのベースとなるのが自らの呼吸に対する集中。
この前の旅行の帰りの飛行機で肉体的、精神的に追いつめられた状況で
久しぶりにこれを思い出し、実践してみました。

まあ既に精神はぼろぼろで集中力など期待できなかったのですが、
ぼんやりとした幸福感のようなものは感じました。
新鮮な涼しい風が入ってきて、熱を持った不要な空気が出て行く。
ああ、ひとつの動物として生きているのだなあと感じました。

一方でたぶん心臓の鼓動と同じで、人の一生分の呼吸回数というのはだいたい決まっている。
今呼吸をする分、残りは少なくなって死に近づいているのだなあとも思いました。

まあ、そんなことを考えること自体が雑念で、瞑想になっていないのですが、
そうでもして思考のスイッチを変えなければ耐えられない過酷な環境でした。

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