« コンペ案の発表 | トップページ | ドロッパーポスト »

2015年3月21日 (土)

人間の祖先を遡るような夢を見た。目覚めた時に思った。なぜ土地に苗を植えていない?Photo
そこには生きる糧があるというのに、本やら服やらPCやらガラクタを後生大事に
置いておくためだけに土地を使い、余った所に生えた草はむしりとって捨てている。

ぼくの実家があるところには子供の頃まだたくさんの田んぼがあった。
平らなところはほとんどそれで小さいながら川も流れていた。山は一面の雑木林だった。

あの田んぼは生きる糧だった。ぼくの親は雑木林を伐採して造成した住宅地に移り住んだ。
職業はサラリーマン。父方の祖父もサラリーマン。母方の祖父は画家だったが実質は地主。

林の樹々を捨てて芝生を植えて愛でた。が、まだ自然の名残はあって、トノサマバッタや
ショウリョウバッタ、アメンボやおたまじゃくし、カエル、ヘビ、てんとう虫、ミミズ
トンボ、セミ、カナブン、トカゲ、ザリガニ、カマキリ、蝶々など生き物であふれていた。

雑木で生計を立てるのは難しい。せいぜい建材や家具、小物あとは木炭にするくらい。
が、耕せば野菜を植えることはできる。実際、まだ祖父母の家が建っていた時、
物好きな友人夫妻と荒れ放題だった庭を耕して作物を植えたことがある。

枝豆は大量に出来た。にんじんも小さいながら実った。とうもろこしは食べるレベルになかった。
しかしこれも先人の品種改良の恩恵を受けているし、耕さないとあっという間に雑草に埋まる。
汗水たらして桑をふるうと、南米移民やシベリア抑留者の苦労が少しわかった気がする。

たわわに実った稲が一面に広がる光景は幸福そのものだったであろう。が、そうばかりではない。
雨が降らなければ干ばつで全滅した年だってあったであろう。その時は何を食うのか。
今やぼくらは雨を災害としか受け止めていないが、雨がなければ作物は育たない。

あらゆる意味でぼくら、この3代くらいは先人の蓄えの上にあぐらをかいて生きてきた。
それ以前の祖先は何らかの形で作物の生産に携わっていた可能性が高い。
農業、漁業、畜産業。土地は海は生きる源だった。しかし田んぼや畑を設計する建築家はいない。

今では昆虫を見る機会すらなくなった。彼らはどこに行ったのか。
そしてぼくらはどこに行こうとしているのだろうか。

にほんブログ村 アラフィフオヤジ

« コンペ案の発表 | トップページ | ドロッパーポスト »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1932160/59330917

この記事へのトラックバック一覧です: :

« コンペ案の発表 | トップページ | ドロッパーポスト »