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2015年6月27日 (土)

ラスボスは誰だったのか

建築物には設計者の名前が刻まれているわけではないので、工事段階で看板を見なければNihonnogendaijutaku
建築家を特定するのは難しい。住宅についてはさらに、利用者が限定されていて閉じており、
住宅地のわかりづらいところにあったりするので、建築家が売り込まなければ認知すらされない。

売り込み先はメディアです。TVや最近であればネットもありますが、読者に説得力があるのは
建築専門誌になります。今であれば新建築、住宅特集とGA JAPANがそれにあたります。

過去にはもっと多くの専門誌があり、作品を発表する場としては建築文化、SD、都市住宅
といった雑誌があって、なかでも1986年に早々と休刊した都市住宅は意欲的で、
毎号、いろんなテーマを掲げて作品を取り上げ論じていました。写真よりテキストの方が多い。

この都市住宅の1968年の創刊から1976年まで編集長を務めたのが植田実さん。
その後、エーディーエー・エディタ・トーキョーに移り、昨日の記事にあるGA HOUSES 4
日本の現代住宅 1970年代を手がけます。この本は都市住宅誌の総まとめだと言っていい。

そこにある作品数は膨大なのですが、驚くことにその後数十年にわたって活躍する建築家は
ここでほとんど網羅されています。この本に掲載された人は一流建築家の免許を取ったに等しい。

植田実さんはこの時代のキーマンだったと言っていいでしょう。元倉眞琴さんらに至っては
卒業設計がそのまま都市住宅に載ったらしい。卒業と同時のデビューです。
しかし編集者と建築家、学生の接点がなければこうした事件は起こりえません。

おそらくそのコネクションの役割を果たしていたのが、休刊した3誌の巻末にあった、
書評や海外建築情報、批評文だったのではないか。竹山、隈さんは小論文の講評までしていた。
まず文章でデビューしてから作品デビューという手順の時代はありました。

で、おそらくここに至るルートは大学の研究室を介してのコネクション。
研究室に入り浸らない学部卒にはなかなか縁がない。実際ぼくが建築専門誌の編集者と
接点を持ったのはSDレビューの時とs邸が住宅特集に載るときの2回だけで単発に終わりました。

本当に切実に売り込みたいと思うなら、植田さんの所に押しかけるというのが正解だったかも。
ただ植田さんはぼくが大学を卒業した1987年にフリーになられていて、
そのポジションを継いだのがどなたかなのかはわかりません。上記3誌は休刊してしまったし。

植田さんの後ろには磯崎さんがいたのではないか。上記のGA HOUSES 4には磯崎さんより
年長の菊竹、槇、篠原、池原さん、さらにライバルであった黒川さんも排除されています。
取り上げられても磯崎さんと年代の近いARCHITEXT世代は煽られて身動きがとれなくなった。

比較的世代の離れた野武士の世代の方がのびのびと活躍したように思います。
そういう意味では磯崎さんの影響力も弱まってきて、それを継ぐ人もみあたらない状態。

建築をめぐる言説は年々困難になっていくし、これからの人は大変だな。

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