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2016年3月

2016年3月31日 (木)

MTB&パーツカタログ2016

購入するのは4年ぶり3冊目。楽しみにしていましたが思ったほど新鮮味はなかった。51xqn2anijl_sx368_bo1204203200_

革新的なのは変速システムくらいで、あとは29er、650B、ファット、ミッドファットと

ホイール規格が乱立して慌てふためいている。そんな状態だからパーツも落ち着いて

良いデザインを生み出そうという余裕が見られません。

期待していたのはネットに記事が載っていたロングトップチューブ、ショートステム、

寝かせたフロントフォークといったDH寄りのポジションを持ったHTのAMモデル。

このディメンションだとよりFフォークの性能を活かしたコーナリングができるらしい。
http://mamapapa.at.webry.info/201602/article_10.html

記事ではMondrakerが取り上げられていましたが、LitecやScheideggといった

日本のメーカーでも取り上げているところは見られる。

HTだったらみんなXCモデルで29erが有利というのはあまりに単純だと思います。

AM的用途で山をのんびり走りたいけど重いのは嫌だからHTという層は確実にいます。

フロントフォークが立って、重心が前のめりになり、常にフォークに荷重がかかっているような

29erXCモデルのイメージはほとんどロードバイクで、確かによく走るのでしょう。

しかしMTBはスポーツバイクだからすべてが何らかの競技のために勝つための機材かというと

そうではないと思います。トレイルをより安全に余裕を持って走るためにMTBを買う人もいる。

AMというのはそうしたジャンルに近いし、MTB初心者の入口にもなりえます。

特にMTB人口の少ない日本には、このAMジャンルを積極的に開拓していって欲しい。

だってScheideggは本来自転車は門外漢なMontbellの製品なのですよ。

自転車専売メーカーはこの間、一体何をしていたんでしょうね。

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2016年3月30日 (水)

あれから1年

約1年前に東京都自然公園MTB利用自主ルールが策定され、ハイカーやトレイルランナーと

共存してMTBで山を走らせて欲しいと考えている人がたくさんいることがわかりました。

話力も交渉力もないぼくは協議会委員にはなりませんでしたが、ナカザワジムの

中沢さんが普段の地元での地道な活動にて都の信頼を得ていくのを目にし、

西多摩マウンテンバイク友の会に入会することとなります。

西多摩マウンテンバイク友の会には何人かのリーダーがいて、彼らがそれぞれ別の場所で

定期的に活動をしています。山の下草刈りからゴミ拾い、地元の祭への参加や餅つきなど

自転車にとらわれることなくその活動は多岐にわたっています。

大きくは地元との信頼関係を築き、自転車、MTBを普及させていくという方向。

檜原村在住のMTBガイドのジンケンさんは以前からの知人でしたが彼も委員でした。

ジンケンさんはクラウドファウンディングで資金を集め、この4月から武蔵五日市駅前に

東京裏山ベースという各種アクティビティのシェアステーションを開設します。

ぼくも微力ではありなからも協力させて頂き、また39ひろばというクローズドなコースの

ワークアンドライドなど、他にも何度か声をかけていただいて参加しています。

彼の活動はMTBを用いた街興しという側面が大きい。MTBerがお金を落とせば街も潤う。

一方、ぼくは基本的にはMTBを担いでひとりで山に入る人間です。同じ場所はあまりリピート

しないし、仲間を誘うということもない。西多摩や檜原村に縁があるかというとそうでもない。

そういう意味でこの1年というのは寄り道でした。自主ルール策定に貢献してくださった

方々へのお礼という気持ちもあった。知人が増えるというのは楽しいことでもある。

今までやったことのなかった世界に足を踏み込むというのも新鮮でした。

しかしやはりぼくの頭の構造はあくまでもソロイストとして出来ていて、MTBに乗っている限り

他者といるということはストレスになります。ぼくは自由になるために自転車に乗っている。

あと1年は西多摩と檜原村の活動と付き合おうと思っていますが、来年以降はわからない。

50を越えて急速に体力が落ちているなかで、行くべきところには行ってしまわないと

という気持ちも強くなってきています。

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2016年3月29日 (火)

ボランティア

過去に何度かボランティアというのものに参加してきましたが、オーガナイザーは

公共団体だったりNPO団体だったりと、報酬が支払われているケースが多かった。

というのも、参加する人はばらばらで技術や責任意識が足りなくても、それを取りまとめて

ボランティアにいい気持ちで帰ってもらうにはある程度のスキルが必要になるから。

仕事の出来にだって責任を負担しなければならないし。

以下はwikipediaのボランティアの日本における概況という項目にある記述です。

「日本では古くより五人組・町内会・自治会・消防団など地縁・血縁によって強固に

結びついた相互扶助の慣習があったため、外部からのボランティアを広く呼びかけ

受け入れる仕組みや必要性は少なかった。また地域では民生委員など無給で社会奉仕活動を

行う制度が以前から構築されてきた。

しかし財政の悪化から行政コストの一層の低減が叫ばれ、一方では都市化・核家族化による

人口の隔たり・流動化が起きているため、有事の対応が迅速かつ的確に行える仕組みを維持

することが困難になってきた。ボランティアは上記の状況を改善する新たな相互扶助の仕組み

としても注目されている。」

先日の瑞穂町協働フォーラムで学者先生が話した内容と重なっている部分が多い。

これからは住民から自主的にやろうと声を上げたことには行政がフォローアップしましょうと。

確かに行政がやりきれていない部分は多い。そこにNPO法人を挟むというのが今のデフォルトでは。

ぼくは自営業者で職人でもあるので、仕事をして報酬を得るのが当然と考えます。

故にボランティアでセルフビルドで改装みたいな求人も見かけるのですが、

こうした話には中途半端に関わらないほうがいいと思っているので距離を置いています。

もちろんそれが大災害とか、人の生死に関わるような状況だったら踏み込みますが、

プロに申し訳ないと思うくらいなら依頼しないほうが双方のためだと思うのです。

写真とかデザインとかも、そこまでの技術を求めないのがボランティアの範疇なのかと。

むしろ作業のレベルは誰にでもできるように下げて、一方でやりがいは感じてもらうために

オーガナイザーもしくはコーディネーターには一定の報酬を与えるべきではなかろうか。

そしてそのためのお金は行政がしっかり補助する。そういう仕組みがベストなように感じています。

フォーラムの時の学者先生や役所職員の休日出勤にお金を払う余裕が有るくらいなら。
あれ、払っているのですよね?違っていたらごめんなさい。

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2016年3月28日 (月)

モテキ映画版

先日漫画を読み返し、テレビドラマはほぼ原作を忠実に再現しているようでしたが、91sejr960l_sl1500_

同じ監督による映画版は原作漫画がない。女性陣総入れ替えで果たしてどんな展開を

試みたのだろうと興味が湧いたので、DVDで借りてきて視聴しました。

今回も原作で久保ミツロウの名前はクレジットされていますが、彼女は漫画の4巻で

描きたいものは描ききったとして続投の要請を断っています。

漫画では男性にとっての女性を3タイプに分けて描いていました。一方的に好きで仕方がない人。

趣味の合ういわゆる女友達。そしてお互いに意識し合える存在、恋人候補です。

映画で出てくるのはニューバージョンではなく、やはり好きで仕方がない人と女友達です。

漫画が一般論を説いたのに対し、映画はちょっと特殊な事情を抱えた設定になっている。

最終的にはその事情で好きで仕方がない人を振り向かせることができるサクセスストーリーで

どこまで行っても現実に引き戻される漫画とは趣が異なっています。

原作の独自性が薄れて、普通の青春ドラマになってしまった。最後は頑張れ!みたいな。

女友達が主人公にふられて、ちょい悪オヤジに引っかかるもそれを機に吹っ切るというのは

漫画バージョンをそのまま繰り返しただけ。違うのは女友達の主人公への想いの強さくらい。

一方、映画にはいろんな人が出てきます。演奏シーンありカメオ出演あり。

そのあたりの現代のサブカルチャーシーンが好きな人にはたまらないかもしれません。

しかし肝心の男と女の恋愛、わかりあえるかというテーマが、好きで仕方がない人に

陰を与えることで、漫画版の破壊的女性キャラが弱体化してしまっているのがなんとも残念。

男子には希望の持てるストーリーにはなったのですが、題名は変えたほうがいいかも。

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2016年3月27日 (日)

受容

近隣の3階建て建設に関しては2度めなので意外と早く諦めの境地に至りました。

http://studio-blank.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-80c0.html

キューブラー・ロスによる死の受容のプロセスは否認、怒り、取引、抑うつ、受容。

・否認:こんな家が法規的に立つわけがない!

・怒り:なぜうちの隣に限ってこんなものが建つのか!

・取引:業者や行政、設計者の情や良心に訴えればなんとかなるものだろうか?

・抑うつ:何をしても無駄なことを悟り絶望。

・受容:希望と別れを告げ、安らかに変化を受け入れる。

若干こじつけな部分はありますが、似たようなプロセスをたどりました。

諸行無常。街は変わり続けるし、住む人も代わっていく。

以前、底意地の悪い近隣住民に対し、どうせぼくより先に死ぬのだからと、

無理やり思い込み実際何人か亡くなりましたが、いずれはぼくの番が来る。

中野本町の家の本のなかに家が後退していく感じという表現があったが

ぼくの自邸もいずれそうなるのだろう。時代に取り残されて周囲に埋もれて

そこだけ時間が停まったような感じになるのだろう。

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 建築・建築物 

2016年3月26日 (土)

天空率!

平成15年に施行された道路斜線や北側斜線についての新たな緩和規定です。01_px300

これによって明らかに変な形の建物が建築できるようになりました。

青山のAOとか長尾+今村+篠原による日暮里の住宅あたりがそうだったかと。

あと、主に集合住宅において、効率的に土地活用するために使われているとも聞きます。

ぼくは使ったことはありません。単純にCADが天空率計算出来ないというのもあるし

そんなに無理をして周囲から浮く建物を作る気にもなれない。白い目で見られるのは施主だし。

しかしこの度、自宅の隣のアパートが取り壊され、土地が売りに出され、建売業者が買い

土地を2分割して木造3階建ての住宅が2棟建てられることによって巻き込まれてしまった。

第一種低層住居専用地域での3階建てなので近隣説明があり、資料を渡されました。

3階建ては周辺環境の悪化を考えて反対しても結局は建ってしまうので、

ボリューム自体に要求はなく、ただこちらの敷地に向いた窓に目隠しをお願いしました。

落ち着いたところで図面を元にざっと法規チェックをしてみたのですが、道路斜線の

記入がありません。2階のバルコニー天端くらいから切れてくるはずなのですが。

これを電話で聞いてみると天空率でクリアしているとのこと。よくわからないので

実際に天空率を計算した図面を持参してもらい、説明を受けました。

天空率というのは道路の反対側からの地盤面から見て、通常の道路斜線のかかった

建築可能な最大ボリュームの見え方、その面積と、設計した建物の同様による面積を

比べて、後者のほうが小さい場合には許可が出る、緩和されるというものです。

よくやる手法としては建物を細くして両側で天空を稼ぎ、その分上へ伸ばすというもの。

その場合、道路斜線を突き抜けるので、周囲の建物よりは見た目が高い建物が可能となる。

今回も同じケースで、それによって道路斜線を全く無視した建物になっている。

ですが、今回の建物の両脇の隙間は50センチしかありません。これは民法で確保するように

求められた数値でもあります。建築基準法と法規は違えど、もともと建てられないところを

天空として参入することには違和感があります。耐火建築物が主な都心ならともかく。

設計の自由度が増すという点では建築家には歓迎すべき制度なのかもしれませんが、
現状では間口の狭い敷地の道路斜線を無視する口実に成り下がっています。
街並みはかえって悪化している。住居系地域は道路斜線で十分だったんじゃないですか?

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2016年3月25日 (金)

中野サンプラザ解体

前回の記事からまもなく、中野サンプラザ(1973年)の解体が報道で流れました。

2022年を目処として取り壊し、1万人を収納するアリーナに建て替えるそうな。819pxnakano_sunplaza_200903

ぼくは基本的にこの案には賛成しません。近代の名建築の建て替えというのは

成功した試しがありません。赤坂プリンス新館然り、ハナエ・モリビル然り。

ホテルオークラ東京だってまず期待できない。

だいたい中野のような都心に近い地域にそんな施設が必要だろうか?

東京ドームまで26分、武道館まで23分、代々木オリンピック競技場まで19分。

JR線路脇の街外れにはなかのZEROという小規模なホールだってある。

中野区は比較的小さな区で、市街地や公共施設はJR中野駅周辺に偏在していて

それがひとつのアイデンティティとなっています。東中野はサブカル、鷺ノ宮は

高級住宅地ですが、いわゆる都市的空間というのは中野駅周辺にしかない。

中野サンプラザは日建設計によるもので、決して悪い建物ではない。

都心から近く、富裕層が比較的多いから箱物を建てて業者にお金を回したいのかも

しれませんが、まずは青木茂さんあたりに改修工事のプランを練ってもらってはどうか。

スクラップ&ビルドの時代は終わりました。これからはストックの時代です。

愛された建築の魂というのは一度壊されると二度と戻ってきません。

新大久保の第3スカイビル(1970年)の保存をぜひ見習って欲しい。

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2016年3月24日 (木)

建売住宅の注意点

アパートが取り壊された隣の敷地は2分割され、狭小な3階建ての木造建売住宅が建つようです。R0014764

街並みとしては割ってほしくありませんが、他人のお金の話なので仕方ありません。

日本は欧米に比べて戸建住宅の比率が高いですが、これは災害が多いからかもしれません。

地震、火事、台風などで日本の家屋は何度も倒壊し、再建されてきました。

鉄筋コンクリートで造った集合住宅なら安全かというとそうでもないのを2度の震災が示してる。

戸建住宅であれば少なくとも敷地は自分のものなので、バラックを建ててでも住み続けられる。

ただ、建売住宅には注意が必要です。普通に考えて業者は売却利益を追求するので、

特に目に見えないところで手を抜いて建設コストを少しでも下げようとします。
職人ではなく商売人なのでそこに良心を期待するのは無理というものでしょう。

日本には建築基準法という法律がありこれに則って設計をして建築確認申請を行います。

これに通れば着工するのですが、それ以降に法規や図面通りに施工されているかチェックする

公のシステムというのはありません。最終的には現場監督の良心にかかってくるところが多い。

竣工後に竣工検査というのはありますが、壁の中まで壊してチェックするわけにもいかない。

怖いのは地盤改良を含む基礎と耐震壁です。工法で言えばシステム化された軽量鉄骨造や

ツーバイフォー工法のほうが安心でしょう。木造在来工法は手仕事が多いので個人の技量差が出る。

柱梁に関してはプレカットと言って今はほとんど工場で加工されてくるので問題が少ないですが

耐震壁部分の筋交いや構造用合板は、法律に則って金物の数や釘打ちのピッチを決めたりする

必要があるので要注意です。筋交いが入っていてもしっかり固定されていなければ意味がない。

−−
写真は近隣説明資料による住宅のボリューム。えーと、道路斜線無視してるんですけど。
天空率でクリアしてるんだとか。しかしそれにしてもでかくないすか?

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2016年3月23日 (水)

リノベーション設計では食えない

リーマン・ショックがあってから都市部の大型再開発事業や富裕層向けの豪邸以外、

日本には建築が建たなくなりました。専門誌である新建築社は自社ビルを売り払い、

ページ数は今やバブル期の最盛時の半分くらいにまで薄くなり風前の灯。

雑誌があるうちは執筆という仕事もありましたが、書店での建築書売り場は縮小する一方で

結局つてを辿って大学や専門学校の講師になるくらいしか仕事はありません。

建築は最初に不況の煽りを受けて、最後に復活すると言われています。

米国ではGoogleFacebookAppleなどが新社屋を建設中ですが、

額の大きな建築にカネを回せる余裕のある企業は日本にはまだ見られない。

で、注目されているのがリノベーションです。古くに建てられた建物の骨格は残し、

違う用途に転用して改装するというもの。東京五輪を前にして増えてきた空き家を利用した

民泊が例としてあげられるでしょう。他に小規模事務所や店舗ヘの転用例も見られます。

それまでただの住宅地だったところにいろんな場が挿入されてコミュニティが発生し、

街が活性化する。シェアハウスというのも同様な試みと言えるでしょう。

ただ、このリノベーションは新築に比べて予算が少なく、お金がないので躯体は仕上げず

センスよくまとめていくくらいしか方策がない。結果的に設計料までも抑えられてしまう。

これが従来の商業施設なら大きなお金が動くのでさほど困ることはないのですが。

で、設計者は設計料以外のコンサルティングや収支計画に関わることでお金を稼ぐしかない。

もちろん全くの専門範囲外のことです。なかにはシェアハウスに住んで管理人をして凌ぐ人もいる。

もし融資が受けられるならば、建物を譲り受けて経営者になる人もいるでしょう。

これからの建築学科卒業者は街の改修コンサルになるケースが増えていくのではなかろうか。

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2016年3月22日 (火)

今日本で起きていること

人口減少、高齢化、過疎、自治体の破綻。都市部に関しては富の大部分を保有する

富裕層が固まっていて大企業もあり、そこでは財政的な問題は起きない。

しかし地方では企業はなく若者は都市に移住し、労働者人口が減り、税収が落ち込んでいる。

いいものを作って売る、いわゆる加工産業が爆発的にヒットした高度成長期に整備された

インフラの団地、道路、トンネル、橋、電気、ガス、上下水道の耐用年数が過ぎてきている。

特に危機的な自治体では都市をコンパクトに纏めてそれまで住んでいた地域を放棄している。

望ましい手段ではないが、新たなコミュニティを生む可能性はある。

もし今の地域に住み続けるなら、水道は井戸、下水は汲み取り、ガスは電気で代用し、

電気も場合によっては自家発電に切り替える。ただその燃料の運送のためにも

自動車は手放せない。必須でない危険な橋やトンネルはいっそのこと壊す。

人口が減れば儲けの出ない民間企業は撤退する。税収がないので民から官への委託はない。

コンパクト化しない人口が散った状況が続くならロードサイドのショッピングセンターに

全部持っていかれる。鉄道は減りクルマが主体になるので従来の商店街は意味がなくなる。

人は老い、病気になりいずれ病院や介護施設に移住する。家を継ぐものがいないのならば

結果としてはコンパクトシティーと同様の結果が待っている。ひとは自分が人生の

大部分を過ごした地域から遠く切り離されたところで死んでいく。

逆転の可能性はないことはない。なにもない所が良いと思い移住する人だっている。

ただそれは日本の数えきれないほどの破綻自治体予備軍のごく一部である。

すべての人に個性や価値があって幸せになれるというのが幻想なように街だって同じである。

自分が自分の住む街に何ができるだろうなどと考えることができているうちは

まだ余裕が有るのである。皆高度成長期を支えてきた人たちなのでどこか楽観的。

そして実際ある程度の蓄えはある。だから生きがいなどという言葉も出てくる。

しかしおそらく今後30年くらいで上記した厳しい現実は日本全体を津波のように襲う。

一方でそんな状況になっても幸せに生きることはできる。幸せというのは個人的なもので

柔軟で、人から与えられるものではなく、人生を通して自ら見つけていくものであるから。

震災を経て5年、いまだに不幸な人がよくクローズアップされますが幸せな人だっている。

これから求められるのは後者のひとの持つ柔軟な思考なのではなかろうか。

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2016年3月21日 (月)

瑞穂町協働フォーラム

参加したら、以前から興味のあった完全クローズドなトレイルに案内いただけるという

甘い言葉に惹かれて瑞穂町民会館まで片道2時間半を自走で往復してきました。

行ってみるといかにも社会運動家っぽい白髪の学者先生がいて、、まあ、いろいろ違和感があったのですが

気が向いたら後日書いてみます。

トレイルはタイトなコーナーを組み合わせたダウンヒルで20秒もあれば下りきれる。

面白かったけどやっぱりぼくは熱心な生徒ではなかった。技術は数年単位で向上すればいい。

往路は寒く、ずっと向かい風で辛かったです。一週間後も行くのになあ。

・走行距離:82.3km

・獲得標高差:277m

・最高標高:199m

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2016年3月20日 (日)

NOSTALGHIA

ぼくが今まで見た最も好きな映画。アンドレイ・タルコフスキーによるノスタルジア。20160318_181204

1983年の公開ですが、ぼくはたぶんテレビの深夜番組で1989年頃に見た。

その時撮ったVHSヴィデオは擦り切れるほど再生して、後に映画館でも見ました。

今回、YouTubeにブラジル(ポルトガル)語の字幕のついた映像を見つけ再見。

物語の筋はあってないようなものだし、だいたいは覚えているので字幕は見なかった。

映画というのは時間によって変化する光と音です。もちろん物語だったりドキュメントだったり

内容というのはあるのですが、ぼくにとってはそれはさほど重要なものではない。

これは建築の評価とも共通します。昨日挙げた中野本町の家にしてもカサ・デル・ファッショ

にしても用途としての評価というものは全くしていない。ものそのものが大事だというスタンス。

タルコフスキーが重視したのは、構図、色調、静寂と効果音、ワンシーンの長さ。

彼が好きでよく象徴的に用いたのは、水、雨、霧、植物、腐食、炎。

そこに集中することで彼は永遠に色褪せることのない名作を残すことができた。

ぼくが前回この映画を見たのは少なくとも10年以上前。今ぼくはこの映画を撮った時の

タルコフスキーの年齢と同じになった。それ故、以前とは違う発見があるのではないかという

期待はありました。実際、物語前半ではいろんなものが客観的に見られるようになった。

しかし後半になって、以前出した結論に戻りました。彼の作品は光と音と時間なのだと。

旧ソ連とイタリア、男と女。どうしてもわかりあえないこと。信仰と救済、救いと幸せ。

テーマは提示されるも答えは保留とされるがゆえ、時代を超えた普遍的なものになっている。

今回はMacBookAir11インチの画面で見たのですが、解像度が素晴らしく、

映画館ででさえどうなっているのかわからなかった、主人公が宿の一室で窓を開け、

ベッドに横になって犬が登場し、主人公に寄り添ってなでられる。また、主人公の妻と

イタリア人女性ガイドとのシーンでの涙などが初めて解読できました。BRAVO

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2016年3月19日 (土)

数式と建築そして断面

学生の頃、図書館の課題のスタディを粘土でやって、材料が余ったので試しに日本のR0014727

名作を幾つか作ってみたことがありました。具体的には塔の家と中野本町の家。

セレクトした理由はともに形状がマッシブで作りやすいのではないかという点だけ。

塔の家はともかく、中野本町の家は自分の課題と全く違っていました。それは造形ではなく

あえて例えれば数式だった。人間の情念は入り込む余地はなく、デザインというのも違う。

中野本町の家の設計者の伊東豊雄と同年代の安藤忠雄も同様な設計をする人だった。

住吉の長屋、小篠邸、城戸崎邸。ただ彼の場合内部にコンクリートを残して抽象化は避けた。

伊東さんの実質的な師匠は篠原一男で、当初は数学を専攻していたのは有名です。

その住宅は平面に正方形を多用することが特徴ですが、それ以前のデビュー作の

久我山の家は、特に立面が数式そのものです。

建築というのは平面図が重視されがちです。断面は実際ほとんど見向きもされない。

なぜなら敷地面積が十分にあれば平面はほとんど自由だし、

そしてたいがいの仕掛けは平面図に反映することが出来る。

手元に日本の現代住宅1985−2005という展覧会のチラシで123の住宅の平面図がひと目で

見られるのですが、数式的だと感じるのは妹島和世、石田敏明、入江経一、西沢立衛

といずれも篠原、伊東の影響下にある人物に限られています。

一方、立面、断面をシステマティックにではなく、またデザインでもなく

数式のように表すのは意外と難しい。おそらく歴史上初なのはカサ・デル・ファッショ。

その後に続いているのはせいぜいアイゼンマンとコールハースくらいではなかろうか。

平面と比べて断面に関しては人間の寸法や能力、重力、外部からの法規などと制約だらけです。

篠原も後期に再び断面の数式化にとりかかり、日本浮世絵博物館、ヘルシンキ現代美術館案、

ユーラリール計画案などを残していますが、あまり成功しているとはいえない。

このところ、CAD性能がアップして3Dで設計できるようになってからようやく

平面と断面が同じ地平に立とうとしています。藤本壮介のような元から3Dで考える

頭を持った人物も出てきています。ぼくも余生は断面を意識した計画をしてみたい。

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2016年3月18日 (金)

自転車の梱包

これまでツーリングでは手持ちの輪行を基本としていましたが、飛行機ではそうもいかない。R0014733

最大の危惧は後輪の輪行金具がずれるか曲がるして、RDのディレイラーハンガーが変形すること。

過去数えくれないくらい曲げてしまい、最近はケチって交換せずヤスって対応する始末。

で、ヤマト運輸のヤマト便で送ることにしました。箱は自転車店から頂きました。

もとはクロスバイクが入っていた箱。さすが専用設計されているだけあってぴったりです。

ただMTBとのサイズ差も幾つか。リアのエンド幅が5ミリ大きい。ハンドル幅が大きい。

RDのケージが長い。ペダルとリアホイールのクイックシャフトは外しました。

ハンドルとサドルを下にしていれる形になりましたが、やはり高さが若干足らず、

6センチほど追加しました。ホイールはずらすようにして入れる感じ。ベルトは不要。

タイヤがフレームのロゴと干渉するらしく、かすれてしまったが拭いたら回復。

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2016年3月17日 (木)

finlaysonと無印

無印の枕カバーの汗ジミが洗っても落ちなくなったので買い直そうと思ったらR0014730

パルコ店がなくなっていたので、青山から渋谷まで回って店舗を発見出来ず、

仕方なく東急ハンズでfinlaysonのものを購入しました。

あんなにどこにでもあった無印が都心で見つからないとは。

後で検索したらLOFTの下に移ったのですね。

無印の寝具は他にボックスシーツと掛けふとんカバーを使っているのですが、

ともに耐久性がない。生成りの布地なのですがなんでこんな生地が弱いのだろう。

そういえば以前、無印ではないですがオーガニックコットンのベージュのポロシャツを

買ったことがありますが、長期保管をしたわけではないのに染みが発生してすぐにダメになった。

一方、finlaysonはフィンランドでムーミンのタオルを購入して気に入っていました。

枕カバーの柄にはさほど惹かれなかったのですが、高くもなかったので。

ただこれ、made in Chinaでした。まあ今や驚くことでもないですが。

そういう意味では無印と品質的にさほど差があるわけでもない。

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2016年3月16日 (水)

礼文島

中島みゆきの銀の龍の背に乗ってのPVを見てロケ地の礼文島の澄海岬に行きたくなった。0007

北海道のそれも離島となるとMTB情報は皆無なのですが、山がちな利尻島に比べると

礼文島はさほど標高もなく、トレッキングルートも豊富らしい。

礼文島には桃岩荘というユースホステルがあり、いろんなツアーを企画しています。

ここが開拓した愛とロマンの8時間コースというのが、開発されていない島西側を

縦断していて惹かれました。チャリ8という自転車企画もあり容認されている様子。

羽田稚内間の飛行機が6−9月の期間限定なので、日が長く学生も少ないであろう6月の

1−3日という23日の平日の日程を組み、1日かけて詳細を組みました。

が、ここで連れ合いも行きたいという思わぬ展開に。再度日程調整して612−14日に変更。

ホテルが取れなくなってしまったので旅館に変えてなんとか対応しました。

2
日目はぼくは8時間コースを走り、連れ合いは利尻島を歩く予定。

3日目の午前中は桃岩展望台コースに行く。2日目雨ならぼくは4時間コースに変更。

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時間コースはほぼ問題なさそうですが、アナマ岩から宇遠内までのルートが

国土地理院地図にはない。崖上は等高線が入り組んでいるので海岸沿いを行くしかなさそう。

自転車はさすがに輪行は辛いので宿までヤマト便で送ります。帰りも同様。

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2016年3月15日 (火)

泣く

歳とともに涙腺は緩んできているのですが、さすがに人前では涙は流せない。

が、5年前の320日、まだ東北の震災の混乱が続いている頃、

ベルリン動物園の人工飼育のホッキョクグマ、クヌートが死んで号泣した。

連れ合いとともにお好み焼屋にいたのですが、なにかしゃべろうとすると涙がでる。

もちろんクヌートは大好きだったのですが、おそらく震災があって多くの方が犠牲になり

大事な人を亡くした状況で感情を表に出せず、いろんなものが溜まっていたのでしょう。

今年は震災から5年目ということでテレビでより詳細な取材がなされました。

で、やはりきつかったので今回は中島みゆきの曲を聴きました。

特段注目しているアーティストではないのですが、彼女の曲は確実に涙腺を刺激する。

曲は世情と銀の龍の背に乗って。歌詞を見てもコーラスが始まっても中島が歌い出しても

すべて泣けます。技巧に走るところはあるのですが気にならない。不思議です。

なんというか言霊というのはこういうことを指すのかもしれません。個人でツボは違えど。

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2016年3月14日 (月)

中野再訪

昔住んでいた中野を8年半振りに訪れてきました。前回の記事はこちら。R0014723

http://studio-blank.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post-0945.html

朝方はとにかく寒くて
MTBでの出走は断念。それでも納谷事務所設計の集合住宅の

オープンハウスが中野であったので、昼過ぎに重い腰を上げて固定車でGo

内覧会はさほど興味を惹かれなかったのでそそくさと退席。

で、久々の中野観光となったのですが思ったよりかは変わっていない。

サンプラザは壊す壊すと言いながら健在だし、閉店したはずのマルイも営業していた。

NTTの黒いビルは健在で、周囲は再開発でマンションと大学が建築された模様。

駅北口の中野通りに横断デッキが出来たのが目を引く程度。

駅南口から東中野方面に線路沿いを進みます。狭い道ですが歩道が整備され、

いろんな店で賑わっている。終端にあるのは中野ZERO。ぼくが住んでいた時にはなかった。

設計は一昨年亡くなった岡田新一。ホールまであったりして箱物行政の典型的産物。

この先、急坂を下ると見慣れた公園が。住宅地ですがだいぶ建て替わっている様子。

敷地は狭く3階建てが多いようですが環境が良くなったとは言えない。

ぼくが住んでいたアパートは裏の大家さんの家とともに取り壊され更地になっていました。

24年前ですからね。前回来たとき健在だったのが奇跡だったのかも。

周囲を散策してみると前回建設中だった銭湯跡地のマンションは竣工してた。

それに応じてが、近くにちらほらあった商店や食堂は姿を消して賑わいは殆ど見られない。

地域地区の変更とか計画道路とか街並みを主導する計画がないのだと思います。

どうにも変われずただ時間だけが過ぎていく、そんな地域になっていました。

線路沿いの道を戻り、途中に神田達磨というたいやき屋を発見。クリーム餡が

珍しいので食べてみました。が、衣が白く柔らかく、味も薄めでこれは子供のお菓子だ。

どうにも物足りず、かりんとう饅頭を追加で食べました。やはりあんこの方がいい。

帰りは笹塚の大戸屋で夕食を摂って帰宅。やあ寒かった。

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2016年3月13日 (日)

De la vita?Si contento!

たまたまtwitterで流れてきた求人広告に興味を惹かれ、13年ぶりに履歴書をつくって

郵送してみたら面接の案内が来たのでほとんど通ったつもりで数分の面接に行ったら

落とされてしまった。ここ一週間ほどの些細な出来事です。

今まで求職活動をしたのは大学卒業時、1度目の転職時、30代半ばで仕事がなくなった時の

アルバイト応募、40を過ぎた頃の一時的な契約社員時の4回でこれが5度目。

一級建築士が求められた契約社員以外ではいずれも苦戦して若い頃は挫折も多い。

今回の件はさしたるスキルを求められないという点でアルバイト応募と近かった。

あのときは花屋や雑貨屋に応募したが、たぶん年齢が最大のネックだった。

あれを考えれば50を過ぎた今、選考ではねられても何ら不思議ではない。

しかし拒絶というのはさほど重きを置いていない事柄に関してさえストレスになる。

全く余計なことをしたものです。年齢性別経験の有無は履歴書でわかるのだから、
わざわざ面接したのはよほど暇なのか、人事権を振り回して見せたかったのか。

ただ今回の経験でわかったこともありました。基本的には今後の余生はどのように生きても

ぼくはたぶん後悔はしない。もう人生には納得している。ここまでこれただけでも十分。

もうひとつは職業というのは街にあふれているということ。書店員、コンコースの誘導員、

自転車屋の店員でも建築職人であってもぼくは魅力を見いだせる。こだわりはほとんどない。

求められたことをすればいいのだ。それがなければやはり建築人として生きるのだろう、ぼくは。

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2016年3月12日 (土)

ストリートビューで母校訪問

母校の横浜国大に入学したのは1983年。ゴルフ場だった常盤台キャンパスに移転統合されてから20160311_155538

まだ13年で、当時はまだ工学部に博士課程すらなく、学内にはプリミティブな雰囲気があった。

1987
年に卒業してから第食堂へは何度か訪れていました。最後の訪問となったのは

担当教官の最終講義が行われた2001年。建築棟の裏の施設がかっこ良く改装されていて

驚きましたが、キャンパス全体はさほど変化した印象は受けませんでした。

が、その後2004年に大学は独立法人化。それ以降キャンパスはドラスティックに変化した模様。

わざわざ訪れる用事はないので、GoogleMapのストリートビューで覗いてみました。

まずは第一食堂から。地下へ降りていく階段は潰されていました。隣の大学会館は

卒業後まもなく建てられましたが見たような記憶があるようなないような。

サークル棟は記憶にある通り。体育館はこんなだったかな。ずいぶん小さい。

ここから通用門の横を通って南門方面に進みます。この辺りは旧教育学部エリアで

もともとあまり馴染みはない。南門を過ぎると情報基盤センターというのができてる。

ここから先は旧工学部エリアになりますが、おそらく博士課程の設立に対応して、

大きな施設がたくさん出来てる。それらをつなぐ散策路は全く知らないもので迷ってしまった。

気づくと第二食堂の前に出ていました。芝生が潰されバス停ができてる。バス停は第一食堂の

前にもあり、学外から市営と相鉄バスが乗り入れているそうな。便利になったもんだ。

第二食堂の隣にはローソンが進出。生協は結構ダメージ受けたろうな。

旧船舶海洋工学科は都市イノベーション学府の建築+土木からはぶられている?

ここからメインストリートを戻ります。このあたりは大きな変化はありませんが、

パーゴラや東屋、デッキなどでいろんな場が造りだされている。多くは建築学科OBによるもの。

しかし肝心の箱物は相変わらず無名な設計者によるもので、いまだに学内に名建築はない。

各学部の講義棟は、ぼくの在学当時のかたちをほぼ保持していました。

特に入り浸っていた理工学系研究図書館がそのまま残されていたのは嬉しかった。

一方、中央図書館は大規模な改修がなされていて当時の面影はありません。

隣接して学生センターという建物も最近出来た様子。経営学部の裏に高層の研究棟発見。

第一食堂まで戻ってこれで一周ですが、ついでに公道を挟んだ、遠く離れた

グラウンドの方も覗いてみましたが、こちらは在学時とほとんど変わっていない様子。

貧相な屋外プールに1レーンしかない陸上競技トラックって今じゃありえない。

お金を生まない施設には投資しないということでしょうか。それも寂しい感じがします。

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2016年3月11日 (金)

アカ嫌いな歴史

ぼくは単純に極右とか極左が嫌いなノンポリ文化人です。

まず警察権力とか管理教育とかが嫌い。これはロックを聴いて育ったた子供にとっては

まず普通な反応なのだろうと思います。直接的には私服刑事の腐った目を見て虫唾が走った。

一方で共産党とかアカにアレルギーがあるのはもう少し複雑な経緯があります。

横浜の公立小、中と進んだぼくは当時日教組の強い影響のある環境にいた。

中学校は制服がなく、髪型も自由だった一方、国歌国旗類は軍国主義的で危険と言われてきた。

高校は私立のバリバリの管理教育で朝晩の国旗掲揚時に国歌が流れている間は直立不動。

ロック少年だったぼくは中学の教育のほうが水が合う思え、大学に入学すると、

さしたる精神的抵抗も感じずに生協運動に関わることになります。

生協は基本的には政治色は排除されていますが、学生組織内には共産党の青年部である

民青の構成員が勧誘をしていました。ぼくは熱心な学生ではなかったので対象外でしたが。

ここで左は左でえげつないことを初めて知ります。大学には学外から中核派や革マル派が

紛れ込んでいて、ぼくらが入学する前には学食内で内ゲバ殺人もありました。

実際革マル勧誘員と対峙したことがありますが、私服刑事と全く同じ目をしていた。

70
年代前半には連合赤軍が凄惨な事件を起こしたし、毛沢東やスターリンやポル・ポトによる

虐殺など、結局マルクスの唱えたものは理想論で人間の感情というものが抜け落ちている。
だいたい自分らを指導者などと呼ぶあたりが高校の暴力教師と何ら変わりない。

ぼくを勧誘の対象にしなかった生協の先輩はこいつはダメだと最初に思ったそうな。

まあただの反逆ロック少年でしたからね。結果的にはそこで評価されなくてラッキーでした。

ここで左に取り込まれたひとたちは、いまだに不遇な生活を送っているケースが多い。

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2016年3月10日 (木)

アントニン・レーモンド

チェコ生まれの建築家。フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルの現場で来日し1225photo_big

大戦を挟んで日本で活躍した建築家。今日まで銀座の教文館ビル9階で展覧会がやってます。

前川、吉村という錚々たる面子の所員も在籍していたこの事務所の番頭さんだった先生には

学生時代に贔屓にして頂き恩義があるのですがレーモンド自身には幾つもの悪い噂が流れています。

まずひとつめはパクリ疑惑。レーモンドの夏の家がコルビュジェのエラズリス邸計画案の

パクリであるという話。構造は木造に置き換えられていますが。後年コルとは和解したらしい。

もうひとつのパクリは東京女子大学礼拝堂。そのPCを使ったステンドグラスのパターン

という発想がオーギュスト・ペレによるル・ランシーの教会そのまんま。ついでに

聖路加国際病院のチャペルの塔のデザインもペレそっくり。ペレ事務所出身の所員がいたとか。

3つめの噂はちょっと笑えない。戦時中アメリカに帰国していたレーモンドは請われて

東京の街を空襲でいかに効率的に焼き払うかという実験に関わっていました。

風の強い季節に木造家屋を焼き払う焼夷弾という組み合わせで10万人以上の犠牲者を出します。

軽井沢聖パウロカトリック教会のように観光名所になり、今も愛されている作品がある一方

名作のほまれの高かった竹橋のリーダーズダイジェスト支社ビルはわずか12年で取り壊されている。

建て替えられたパレスサイドビルを手がけた林昌二はレーモンドの戦時中の活動を指摘している。

レーモンド自身がどう思っていたのかはわかりませんが、日本人にとっては複雑な感情を

抱かせる人物であったことは確かなようです。

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2016年3月 9日 (水)

貧乏旅行の功罪

ぼくは若いころバックパッカーでした。と言っても実際は1987年の欧州卒業旅行から、

199710月のミュンスターへのとんぼ返り、19981月の冬の北海道までの10年くらい。

それ以降は女性と連れ立っての旅行になったので、さすがに宿は事前に予約し、

原色の派手なバックパックも捨てることになります。

しかし、物価の安い東南アジアなどを放浪した10年は倹約の癖となりました。

日本の物価に換算したら数百円数十円の単位でこだわり値切る。

ケチだったというよりは騙されたりぼられたりするのが嫌だった。

日本や西欧社会は基本的に定価販売なので、普段さほど警戒する必要はありませんが

どこか胡散臭い話というのはその頃培った勘が働いてくれて助かる。

連れ合いはぼくよりよほど稼いでいて家計的には独立していて助かっているのですが、

彼女はそうしたシビアな体験をしていない。なので話を聞いていると、それ大丈夫か?

と心配になることがままあります。まあ彼女のお金なので余計なお世話ではあるのですが。

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2016年3月 8日 (火)

ひつじのショーン

我が家のブームはバリィさんからムーミンに移って今はひつじのショーンです。R0014704

もともとは昨年に連れ合いが飛行機のなかで見て気に入り、12月に吉祥寺へショーンの

ケーキを食べ、着ぐるみと記念撮影に行った時はぼくはよくわかっていなかった。

その後、年初に那覇羽田線の機内で幾つかのエピソードを見て概略を把握。

この度、ひつじのショーン いたずらラマがやってきた!という劇場版映画を見に行ってきました。

もうこの頃には出演者のキャラもわかっていたので、見る前からグッズ売り場で興奮。

映画はベストセレクション5篇と併せて65分でした。短いけど面白かった。

米国アニメかと思っていたら英国なんですね。そう言われればピンクパンサー的な感じも。

素晴らしいのはセリフがない点。字幕無しで全世界の人が楽しめます。

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2016年3月 7日 (月)

なでしこジャパン

リオデジャネイロ五輪予選で3戦を終えて21分けで勝ち点1。出場は絶望的です。

でもこうなる予感は昨年のW杯決勝で米国に大敗したあたりからありました。

そこには勝利への執念が感じられなかった。どこか諦念みたいなものも見られた。

今回見ていて思ったのは、とにかくパスミスが多くそこからつけこまれて失点しているし

ゴール前の組み立ても乱雑で、誰か拾うであろうという運頼みみたいな感じも見られる。

まず絶対的にこの代表メンバーでの練習が足りていないのではなかろうか。

その原因としてやはりお金の問題はあると思います。海外のチームに所属する

Jリーガーの年俸が1億を超えるのに対し、女子は300−400万円と言われています。

日中は働きながら残りの時間でプレーしている選手も多いのが現状。

2011
年のW杯を制し、国民栄誉賞に輝いたチームがなぜいまだにこんな状況なのか。

それはメディアの影響が大きいように思います。リーグ戦の実況は今も地上波では

見られないし、翌日の朝刊にリザルトが載ることもない。

そのせいかスポンサーは一時付いたようなのですが、数年で撤退している。

日本のスポーツで男女の扱いがこんなに違うのも珍しい。それは差別と言っても

いいのではないか。相撲とか野球とか、国技に女はいらないというような。

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2016年3月 6日 (日)

UCIのMTBチーム

UCIのプロロードチームはツール・ド・フランスなどで知られていますが、

MTBってどうなっているのだろうと思い、検索してみました。

XCチームとDHチームあるのですがブランドの得意分野を表しているようで面白い。

以下全29チームから、チーム名からブランドが分かるものをピックアップ。

XC
チーム

BHBMCCANNONDALEFOCUSGHOSTMERIDASCOTT

DH
チーム

COMMENCALKONASARRACENMONDRAKERPIVOTPOLYGON

SANTA CRUZYTTRANSITION

XC
チームもDHチームもあり

SPECIALIZEDTREK

DH
チームにはロードバイクのブランドはありません。独特な設計によるためか。

スペシャとトレックは流石。世界的ビッグブランドですね。

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2016年3月 5日 (土)

テレビ向き?

マツコの知らない世界という番組ではいわゆるB級ジャンルの自称スペシャリストが

週替りでマツコ・デラックスにいろんな商品の案内をしています。

おそらくは収録はかなり時間をかけて、なかでも面白いやり取りを抜粋している。

ただマツコのキャラとの相性はあるようで、盛り上がらず短時間で終わるひともいる。

しかしぼくはそのリングにさえ登れないレベルの緊張しいです。

昔、一度自邸の取材ということでビデオを撮られたことはあるのですが、

まずは声からして震えてしまってまともに発することが出来ない。

ましてや思考するなど、頭のなかは真っ白でできる訳がありません。

そのビデオは手元にあるはずですが、探す気にもなれません。

テレビというのは他の媒体と比べても桁外れに大きな金が動きます。

だから不況の今でも深夜番組はあるし、視聴率が一桁でもドラマの制作は続ける。

一攫千金を狙うならやはり今でもテレビなのでしょう。

自分には縁のない世界ですが、いまだにテレビに出演する夢を見るあたりは、

深層心理のどこかでは憧れみたいなものを持っているのかもしれません。

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2016年3月 4日 (金)

MTBの裾野

スポーツサイクルショップレポでコメントした42店のうちMTB専門店はわずか3つ、

MTB兼売店も3つ。ここ5年で新規開店なし、駒沢のguava jellyFUMA新宿に統合。

MTB専門誌は相変わらずMTB日和のみで、MTB Onlyというムックも消えた。

MTB
のパーツで国産の割合は極端に低く、シマノとIRCくらい。シマノも業界を引っ張る

ロードバイクと異なり、1×11など規格化はSRAMに先行されている。

グラファイトデザインはホイールサイズに対応することすら出来ずにフレーム製造から撤退。

ここ5年間で日本のMTB業界は何も出来なかったと言ってもいい。

29er650B、ファットバイク、ミッドファットと海外の動きにただ流されただけ。

果たして今後、MTBに未来はあるだろうか?新規参入は見込めるのか。

いきなりDHバイクというのは敷居が高いと思います。今の若者は非正規労働者が多く、

クルマを持つ余裕すらない。これにバイク代、装備費、遠征にもお金がかかります。

参入する可能性は今ロードバイクに乗っている人のほうが高いように思います。

最近はシクロクロスとかグラベルロードとかダート寄りの製品が増えているし。

ロードの人はやはり軽さにこだわるので、フレームはカーボン、35Cの太めのタイヤ

安定感ある油圧ディスクブレーキ。フォークやハンドルもカーボンで振動吸収。

ここまでは来る。下りを考えてフラットバーにすれば29erフルリジッドXCモデルになる。

これでSDA王滝参戦や林道ツーリングなどは見込めます。問題はここから価値転換をして

ポジションから変えていくことができるか。効率よく長距離を走れるような固定された

ポジションから、バイクコントロールを優先させた自由度の高いものに変える

ロードバイクの最適な重心位置を意図的に崩して不安定にさせる。
このバイクコントロールの楽しさを伝えることがMTB普及の鍵のような気がしています。

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2016年3月 3日 (木)

ハウスメーカーのデザイン

最近、自宅周辺で建物の取り壊しが相次ぎ、建築中が一軒、竣工したのが一軒。D0119763_755550

ともに外装はベージュ色のタイルで、サッシュはステンカラーと共通点が多い。

気になったのは、2軒とも上下で同じような窓を設けていますが、位置を揃えていない。

もちろん間取り上どうしてもずれるということはありますが、揃えるというのはデザインの基本。

これは最近の建築デザインに影響されている部分もあるのかも。

理由はわかりませんが、最近のビルディングの窓の割り付けは、下の階より半スパン

ずらすのが今風とされています。外力を負担しないカーテンウォールならばさして

問題はないのですが、前面に見えてくるものが柱や梁だった場合は無理が生じる。

ただいずれにせよ建築家による建築はごく少数であり、街のアクセント的存在である。

一方メーカー住宅はというと、これは街並みのベースになるものなので、遊ぶ範囲は限定されてきます。

これは想像なのですが、今でも日本の建築学科で設計意匠を専攻し卒業する若者は

毎年100人以上はいるでしょう。しかし今は不況で建築家への道は一部のエリートを

除いて、ほとんど閉ざされていると言っていい。

そうした若者がハウスメーカーの設計に流れているのではなかろうか。

で、制約条件の多いなかで何かをやろうとして中途半端に終ってしまう。

そういう場合はせめて設計者の良識として立面図を整頓して欲しい。力不足な人は特に。

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2016年3月 2日 (水)

ゼネコン設計部or大学教授

全然知らなかったのですが、竹中工務店設計部の赤坂喜顕さんって、2005年から

早稲田大学に移っていたのですね。今の肩書は芸術学校教授。今年で64歳になる模様。

竹中工務店から独立というと柳沢孝彦さんが有名ですね。第二国立劇場のコンペで

勝ってしまって、当時の設計施工分離発注という原則のため、会社を辞めざるを

得なかったと聞いています。すると営業的にはどうしても不安定になる。

しかし柳沢さんが独立した頃の状況はバブルの恩恵が残っていて今より随分ましで

初台の一連の施設や、東京都現代美術館など大きな仕事に恵まれました。

今やゼネコン設計部から独立というのは自殺行為です。

赤坂さんが竹中を辞めたのは50歳過ぎで、恐らく設計部のトップにいたと思われます。

もうその歳になると管理職で、自分でデザインするという時間はなかったでしょう。

またゼネコンの設計部ということで現場の声が大きく不完全燃焼という面もあったかも。

早稲田の教授となればステイタスはあるし、設計の仕事がなくても70歳の定年までは

お金はもらえる。もし個人的に設計の依頼が来たら万々歳といったところでしょうか。

これはひとつの成功のモデルタイプです。学生が嫌いな自分には無理ですが。

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2016年3月 1日 (火)

十六歳のオリザの冒険をしるす本

ぼくの学年で言うと2つ上の劇作家、平田オリザさんが16歳で自転車で世界をまわった紀行文。

ぼくは単行本をAmazonで購入して、こちらは長ったらしい題名になっているのですが省略。

平田さんは本書でも書かれていますがいわゆるサイクリストとは微妙に違う。

ただ手段として自転車を使っただけで、列車やバス、飛行機のみでの移動も多い。

ロサンゼルスから始まりアメリカ横断は自転車で。ロンドンに飛んで西欧諸国は

網の目のように走り回るも、ギリシャ、トルコ、エジプト、インドでは自転車は一切なし。
途中エジプトでは両親が飛んできて、ローマでは日本のテレビ取材を受けたりしている。

これで自転車で世界一周といえるかは微妙ですが、この本は冒険記ではない。

これは湧き上がる若い自意識と西欧の歴史、社会文化との出会い。その摩擦の記録と言うべきか。

文章の部分部分に友人との手紙の内容を挟んでいるのも特徴で、彼らもまた戸山や新宿高校に

通い、官僚を目指し東大を受験するなど、やはり自意識が高い人達が多いようです。

その手紙のやり取りを見るとどこか上から目線。この本は2010年に文庫化されていますが、

47歳の平田さんが16歳の青臭い自分を肯定するとは、随分自分が好きなんだなあ。

この本は最初は勢い良く読めるも、トルコあたりで放浪が始まると観光パンフレットの

ような説明になり、最後の方は旅が長くなったせいか、自分の考えや感性が絶対のような

記述が増えてきて、読破するのに時間がかかりました。

この後、著者は自らの大学受験を本に書いたそうですが、さすがにもう興味がわかない。

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