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2016年3月10日 (木)

アントニン・レーモンド

チェコ生まれの建築家。フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルの現場で来日し1225photo_big

大戦を挟んで日本で活躍した建築家。今日まで銀座の教文館ビル9階で展覧会がやってます。

前川、吉村という錚々たる面子の所員も在籍していたこの事務所の番頭さんだった先生には

学生時代に贔屓にして頂き恩義があるのですがレーモンド自身には幾つもの悪い噂が流れています。

まずひとつめはパクリ疑惑。レーモンドの夏の家がコルビュジェのエラズリス邸計画案の

パクリであるという話。構造は木造に置き換えられていますが。後年コルとは和解したらしい。

もうひとつのパクリは東京女子大学礼拝堂。そのPCを使ったステンドグラスのパターン

という発想がオーギュスト・ペレによるル・ランシーの教会そのまんま。ついでに

聖路加国際病院のチャペルの塔のデザインもペレそっくり。ペレ事務所出身の所員がいたとか。

3つめの噂はちょっと笑えない。戦時中アメリカに帰国していたレーモンドは請われて

東京の街を空襲でいかに効率的に焼き払うかという実験に関わっていました。

風の強い季節に木造家屋を焼き払う焼夷弾という組み合わせで10万人以上の犠牲者を出します。

軽井沢聖パウロカトリック教会のように観光名所になり、今も愛されている作品がある一方

名作のほまれの高かった竹橋のリーダーズダイジェスト支社ビルはわずか12年で取り壊されている。

建て替えられたパレスサイドビルを手がけた林昌二はレーモンドの戦時中の活動を指摘している。

レーモンド自身がどう思っていたのかはわかりませんが、日本人にとっては複雑な感情を

抱かせる人物であったことは確かなようです。

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