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2016年4月

2016年4月30日 (土)

バルコニー

タワーマンションでバルコニーで子供を遊ばせていて誤って転落という事故が

起こっているようです。ぼくは高所恐怖症なのでまず考えられませんが、

子供以上に親が高所平気症になってきているのかもしれません。

だいたい、日本は夏暑く冬寒く、バルコニーのような半屋外空間をつくっても

有効利用されないことが多かった。それが受け入れられるようになったのは

上階の庇があるのと、アウトドアムーブメントも関係しているのかもしれない。

リビングの床と連続させて居住空間の一部とする。その際気をつけなくてはならないのは

転落防止だけではありません。バルコニーは避難経路として設定されていることも多い。

隣家のバルコニーとの間が薄い板になっているのは、非常時にそこを突き破れる

ようにです。そうして他家のバルコニーを経由して床にある避難ハッチにたどり着き

垂直方向に避難する。これが機能しないと災害時に生死に関わります。

なので、基本的にはバルコニーには避難の妨げになるものを置いてはいけません。

家具然り、グリーン然り。また誤って物を落としてしまうと、地上部にいる人に

危害を与える恐れもあります。そこら辺も考えてマンションは購入して頂きたい。

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2016年4月29日 (金)

クリエイターのオフィス

例の佐野研二郎さんの仕事場を見て、漫画家の江川達也さんがこう述べたそうな。R0014928

才能のない人の仕事場だと感じる。無能な空気が漂う。wikiより。

http://www.designboom.com/architecture/schemata-architecture-office-mr-design-office/

氏の事務所であるMR_DESIGNのインテリアデザインをしたのはスキーマ建築計画。

ブルーボトルコーヒーの内装などで有名な長坂常さんによるものです。こんなのやってたのね。

確かにはっちゃけ過ぎたデザインだと思います。楽しい提案をするというプレゼンテーション

なのかもしれませんが、クリエイターが自分で遊んでどうすると突っ込みたくなります。

またデスク周りに妙にスペースが開いていて、仕事をしているというイメージが湧かない。

ガランとしていて空間としての強さもなく、インスピレーションを受ける素材すら見当たらない。

クリエイターは常に変化していくのだから、内装は必要最小限でいいのではないかと思います。

ちなみに本日の画像はぼくの仕事場です。

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2016年4月28日 (木)

大学受験

久々に大学受験の頃の日記を読み返していました。高校時代のぼくは建築と無縁だった。

が、入学したのが建築学科だったので否応なしにその道に進まされる課程がそこにはあった。

ぼくの母校の建築学科はちょっと特殊で1、2年のときから製図など専門課程が始まっていて、

絵画や彫塑も授業にあり、製図道具、デッサン用品、木彫石彫工具など物入りだった。

工学部の他の学科だとここまで特殊な講義はなかったのではないか。

入学試験に造形実技というのがあるのも特徴的でした。ぼくは代ゼミの模試で初めて

実技の試験を受けましたが散々でした。が、これで押さえるポイントはわかったので

本番では求められていることを十分意識してのぞみました。

実は共通一次の点数は自己採点で732点と低く、合格確率11%。入学してから聞いた範囲でも、

ぼくより低くて受かった人を知らない。2時試験の数学も、第2志望の機械学科用に受けた

物理に比べても全然ダメで、2次が終わった段階でてっきり落ちたと思っていました。

受かったのは実技の点以外理由が考えられないのですが、これはほとんどまぐれです。

ぼくは絵は習ったことがなく、結果としてはアニメやレコジャケのの模写が生きました。奇跡です。

しかしその奇跡が人生の早いうちに起きてよかった。SDレビューもそうだと思いますが、

今の年齢になると、奇跡が起きてもさほど嬉しくもありません。もう電話はとらないし、

メールでさえ知らない差出人だと開けずに捨ててるくらいなんで。

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2016年4月27日 (水)

2020東京五輪エンブレム決定

審査をやり直し、一般公募を経てようやく2020年の東京オリンピックのエンブレムが

決まりました。1万4千もの応募があり画像はぼくが提出したもの。グラフィックは

全くの専門外なので勝てるとは思ってなかった。その点、当選案は玄人好み。20160426_94330

当選したのは野老朝雄さんという方。もともと建築を学んでAAスクールで江頭慎さんに

師事したらしい。ぼくは存じ上げませんでしたが千葉学さんと組んで、工学院大学の

ファサードパターンを担当したりしている。46歳と若い方と想像していたので意外でした。

氏の実績を見ると実力のある方だとわかりますが、今回のエンブレムはイマイチでしょう。

非常に観念的に考えられていて、デザインそのものにどう使われても大丈夫というような

強さが見られない。華奢でちょっといじると全体のイメージが崩壊しそうです。

ひとつひとつのパーツが小さいのがそうしたイメージを引き起こすのでしょうか。

頭でだけで考えていて、モノとして煮詰めきれていない感じがしました。

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2016年4月26日 (火)

食卓のない家

1979年に発刊された円地文子による小説。連合赤軍による事件をベースにしたフィクション。51uefeyzlol_sx373_bo1204203200_

学生の頃に買った文庫本を30年ぶりに読み返してみました。内容は覚えてなかった。

基本は今のぼくとほぼ同い年の大手メーカーの研究者である男とその家族の物語。

長男が山岳ベース事件に関わり逮捕されるという設定。その件でマスコミから親として

糾弾されるも、親が謝る筋合いはないときっぱり断る信念のある人物。

その手負いの獅子のような姿に心を揺さぶられ、二人の女性が引き寄せられ、

読み終えてみればプラトニックな島耕作とでも呼べそうな大衆小説。

出てくるのは主人公への協力を惜しまないいいひとばかり。男性ウケを狙ったか。

親は親、子は子と情を排して割り切ることで家庭は崩壊し、妻は精神を病んで入院し

夫と姉の関係を邪推して自殺してしまう。一方で長女は事件の影響で結婚話が破談に

なるが後に復活。風来坊だった次男とともに結局は父親の理解者となる。

協力者は弁護士の先生やら大学の教授やら。高校や大学での知人という設定ですが、

団塊世代の親の代ですから数少ないインテリと言っていいでしょう。

つまりはもともと恵まれているのである。大企業に勤め結婚して3人の子供がいる。

僕らの世代だとまだ辛うじて理解できますが、今の若い人がこれを読んだら

おそらく現実味のない夢物語だとしか捉えられないでしょう。ぼくから見ても、

家庭を壊したと言いながら、結局血のつながりや人情とかに頼っていて甘い。

この物語のベースとなった世界から約半世紀。当時はおそらくリアリティのある

ファンタジーという位置づけだったのでしょうが、今やその前半部分がまるごと

吹き飛んでしまっている状況かと。食卓という言葉からしてほとんど死語ですし。

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2016年4月25日 (月)

桜のお花見イベント

西多摩MTB友の会の活動場所に植えられた天の川という桜が見頃になったので、R0014906

同じ場所で活動しているNECの方々や地元の人、地元の大学生などをお誘いして

お花見イベントが開催され、参加してきました。

友の会はこの日の午前に別の場所で里山整備もやっていて、筍を掘っていました。

ぼくはお花見の方の人手が足りなかろうとそちらはパスして、9時前から現地入りし

筍を使った調理のお手伝いに入りました。

調理を仕切っていたのは和食を本職とするsさん。筍の土佐煮と筍が大量に入った豚汁、

あと、天ぷら用に取れたばかりの筍の下処理をしましたが、これは結局つくらず。

NECの方々がダッチオーブンで鶏の丸焼きをつくっていたり、団子や飲み物の差し入れもあった。

調理は友の会の別動隊が到着する以前に出来上がり、食べ始めました。

タケノコ料理はNECの方々にもウケてたくさん食べていただきました。

鶏の方も頂きましたが、美味しかった。豚汁は別動隊向けに濃い目に味付けしなおし。

寸胴鍋に大量につくった豚汁は別動隊の消費に期待しましたが、コンビニに寄っているとかで

なかなか現れず、ようやく着いたと思ったら自分で買い込んだ昼食を食べてる。

勧めても器がないとか理由をつけて食べようとしなかったり。なんで?

プロの調理人さんがわざわざ時間をつくって来てくれたのに。ぼくはその場にずっといましたが

つくるのだって決して楽ではないし、時間だって体力だってかかっています。

ボランティアでお願いするならまず先に食べるのが礼儀ってものではないだろうか。

まあぼくが役に立ちもしないのに火の管理で仁王立ちしていたのもまずかったのかも

しれませんが、どうにも釈然としない気持ちで最後の片付けまで立ち会いました。

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2016年4月24日 (日)

パスポート更新

通算で5冊目のパスポート取得になります。前のパスポートの有効期限は来年3月20日

だったのですが、9月末にボツワナに行くとなるとその時点で6ヶ月の残存期間が必要

となるので、ギリギリアウト。泣く泣く11ヶ月分の残存期間を切り捨てました。

10年パスポートになって3冊目ですが、最初の5年パスポート2冊分の方が、査証欄は

ビザスタンプで一杯で、よほど元が取れていたようにも思います。

前のパスポートは写真が気に入っておらず、まともな写真を選んだはずでしたが

仕上がりにはがっかり。スピード写真の限界かな。まあ太ったっていうのもあるが。

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2016年4月23日 (土)

ディスクブレーキ

UCIがロードレースでのディスクブレーキ採用を保留としました。

http://www.cyclowired.jp/news/node/196341

上記記事によると、パリ~ルーベの事故で選手がディスクローターに触れて

大怪我をしたらしい。

うちの自転車にはMTBに油圧ディスクが付いていますが、とてもいいものです。

制動力もコントロールも問題なし。ただ確かにMTBのレースでは、複数のバイクが

接触した大規模な落車というのは見られない。

しかし怪我に関して言えば、ローターの内側に指などが入らないようにするとか、

エッジに丸みをもたせて、外周部の凹凸をなくすなどある程度の対策はとれます。

ディスクブレーキに慣れてしまうと、リムブレーキがいかにも原始的に思えます。

特に熱に弱いカーボンホイールが普及してからは、基本的に相性がいいものではない。

制動もサーベロに関しては効きますがコントロールが難しく、ロックすることが多い。

古いサイドプルのSILKやキャンチレバーのミニベロに至っては、道交法違反に

なるのではないかというくらい効かない。結果、緊急時に止まれず接触事故が多い。

そんな自転車を販売している方が問題だと思います。おそらくロードバイクの

ディスクブレーキ化への流れはとまらない。マスドレースに使わないのであれば

ディスクは確実に安全に寄与します。

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2016年4月22日 (金)

肩書とか地位とか

社会から切り離された自分にはどちらも無縁なものです。子供も部下もいないから、

社会人として成熟することはない。年齢相応の身のこなしというのも身につかない。

基本的にはすべての人間関係がフラットになっていきます。それが通用しない相手とは

仲良くなれない。男性より女性社会のほうがヒエラルキーが緩いので馴染みやすい。

こういうのもしんどいこともなくはないですが、立場とかにがんじがらめになって、
頑ななまま死んでいくお年寄りって寂しくないですか?

最近、看護助手のナナちゃんという漫画が好きです。
今日はさして書くことも思いつかないのでこんなところで。

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2016年4月21日 (木)

逃げる勇気

実録・連合赤軍あさま山荘への道程という映画をDVDで見ました。1971-72年にかけて617c7hjqiml_sl1117__2

起きた左翼過激派による山岳ベース事件とあさま山荘事件を元にした再現ドラマです。

劇中で事件に巻き込まれた最年少のメンバーの加藤元久役にあさま山荘で叫ばせています。

(こんなになってしまったのは)勇気がなかったからだ!と。

山岳ベース事件では実に12名がリンチを受けて死亡していますが、逃亡したメンバーもいる。

再現映像を見る限りではいくらでも逃げるタイミングはあったのに甘んじて殺された人が多い。

これはたぶん幹部に恐怖感で支配され、足がすくんでしまったのでしょう。

人間には本来、生物の本能として危機を感じたら逃げるように指令がインプットされていると

思うのですが、社会では逃げるのは根性がないとか理屈をつけて追いつめられることもある。

たしかに逃げ癖のついた人とは信頼関係を結ぶのは難しいでしょう。

しかし追いつめられて病んでしまったり死んでからでは取り返しはつかない。

時には逃げる勇気というのも必要なのではないかと思います。

ぼくがアカ嫌いだというのは前にブログで書きましたが、学生時代の経験に懲りずに
最初の就職でぼくは共同体を標榜する設計事務所に入ることになります。

社員が皆株主になることで共同経営者になるという考え。

この点は出資を募って共同購入することを原点とした生協と似ています。

ただ、生協の場合は活動は組合員=学生の大半が賛同するであろう事柄に限られていました。

例えば核兵器には反対するも、原発に関しては保留するといったように。

事務所の場合はそこが少し違っていて独裁国家に近い雰囲気だった。事実を積み重ねて

現状を把握し、活動方針を決めていくと謳ってはいるのですが、その事実のセレクトが

社長本人によるものだけが正しいとされ、異論はことごとく排除されていました。

ぼくが就職した時はまだ在籍していた共同設立メンバーは次々と首を切られていった。

そして社員には社長による非常に極端に寄った思想を植え付けられ、

ぼくが辞めたあとには自己啓発セミナーまがいな手法も導入されたそうな。

ぼくの最初の勤め先だったので3年は在籍しようと思っていましたが、最後の方では

辞めるなんて言ったら殺されるんじゃないかと本気でビビっていました。

辞めるということはイコール社長の思想を否定することで、それはありえないこと

あってはならないことでした。それでも辞められたのは本社は大阪で東京は支社だったから。

直接の人事権は東京の設計部長にあって、直接社長と話さずに済みました。

しかしそうした人事などの板挟みにあってか、設計部長はぼくが辞めて半年もたたずに

胃がんが再発して亡くなってしまった。一生を捧げるような会社ではなかったのに。残念です。

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2016年4月20日 (水)

国立卒と私立卒

学費が桁違いに違う医者の世界では、国立卒と私立卒でもう人種が違うらしい。

建築学科のある工学部でも国立私立大で学費に差があり、ぼくらの頃は年間授業料は

21万円程度だったと記憶しています。値上げのスピードは速かったですが。

建築家でも資質の差というのはあるのかもしれない。で、もしかしたら私学の人のほうが

向いているのかも。そう思ったのは以前、廣部剛司さんの内覧会に伺ったときのこと。

人当たりがソフトで苦労を感じさせません。生まれや育ちがいいというイメージ。

こういう人ならパトロンも付くなあと。実際HPを見ると膨大な数の作品を残しています。

他の建築家でいうと、谷口吉生さん葉祥栄さんなどは慶応大学卒です。

廣部さんのブログを読むと、仕事がある建築家の御多分にもれず、クルマを持ってらっしゃる。

それもヴィンテージのアルファロメオ・スパイダー。クルマ繋がりのクライアントもいる様子。
私学なら友人も比較的裕福でしょうしね。代表作の房総の2軒の別荘はなかなかない好条件。

日本の建築界では長らく私学は早稲田オンリーでしたが時代も変わってきました。

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2016年4月19日 (火)

今年の夏季旅行

当初は夏季旅行は省略して年末にボリビアのウユニ塩湖に行く予定でしたが、

連れ合いに職場の異動があり冬は難しくなり、かわりに現職場の有給を夏季に取る

ということで、他の候補地を探りました。

ウユニ塩湖は乾季に行かないと鏡のような湖面は出現しないので別の機会に。

アイスランドが一時候補に上がりましたが、あまりに情報が少なく保留。

結局、行こうと思って行けていないアフリカのサファリに目をつけました。

ケニア全域とタンザニアのダルエスサラームは急速に治安が悪化しているので、

南アフリカの北に隣接するボツワナを候補としました。

北部のチョベ国立公園は治安がよく、何泊ものツアーを組まないでも動物に出会える。

ケニアやタンザニアのような広大な地形はありませんが、1回見ているしいいでしょう。

約80km東にあるジンバブエのビクトリアフォールズへの日帰りツアーもあり。

さらに飛行機が南アフリカのヨハネスブルグ経由となるため、ケープタウンに寄る

プランも考えましたが、ここは渡航危険情報が出ている。ヨハネスブルグほどでは

ないでしょうが治安は良くなく、連れ合いが難色を示しています。

ケープタウン抜きだと現地に4泊くらい。とんぼ帰りでもったいない感じはしますが。

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2016年4月18日 (月)

被災建築物応急危険度判定員

熊本の大地震で後に前震とされた地震のあと、自宅の1階に戻りその夜の本震で上階に押しつぶされ

亡くなられるという痛ましい事故が多数起こりました。せめて2階で寝ていたらと思うのですが。

2階や瓦屋根の重さで家が押し潰されるのは、阪神淡路大震災のとき何度も目にしているはず。

しかしあれからもう21年。亡くなった阿蘇の東海大学の学生は知る由もない。

大人が教えるべきでした。また行政は被災した家に近づかないよう呼びかけるべきだった。

住宅の外壁を見て、歪んでいたらそこの筋交いは外れているので耐震性は一気に落ちる。

それは壁に水準器を当てたり、窓やドアが正常に開閉できるかである程度判断できます。
上階の重さに耐えられなくなる可能性が高いので入ってはいけません。

2階建てなら1階が、3階建てなら1,2階ともに押し潰される可能性がある。

いくら木造といえども建築材というのは重いです。これに家財道具の重さが加わるのだから

もうそれは凶器と言っていいでしょう。

もし2,3階に就寝していてもその際、放り出されて怪我をしたり亡くなったりする可能性もある。

床が傾いている場合は、それが地震によるものならば建物全体が傾いている可能性が高い。

すると通常ではありえない力のかかり方をするので、やはり倒壊の可能性はある。

ただ地盤の問題なので、地盤改良してジャッキアップして将来住むようにはできるかも。

木造や鉄骨造は地震や強風に対してある程度変形して力を逃がす構造を持っています。

なので屋内壁の脆い石膏ボードのクラックにはそんなに神経質になることはない。

要は変形して戻ってこなかった時が問題なのです。

都の被災建築物応急危険度判定員になろうかなあ。建築士が2回ほど受講すればなれるようです。
基本はボランティア。少なくともうちの地元ではこうした不幸を未然に防ぎたい。

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2016年4月17日 (日)

ビルボードチャート

Baby Metalがビルボードのアルバム・ランキングベスト40にチャートイン。20160416_112740

坂本九以来だから日本人としては実に53年ぶりになるそうな。

ぼくは中学1年の時にEaglesのHotel Californiaと出会ってから洋楽にハマり、

以降数年間ラジオでビルボードチャートを聴いてカセットに録音していました。

なんという番組か忘れていましたが、ググるとラジオ関東の全米トップ40だった模様。

これはシングルのチャートでした。FMだと思っていましたが勘違いか。

その後、貸しレコード屋ができ始めて高校時代はそちらにスイッチ。

MTVが普及して始まったテレビのベストヒットUSAは高3くらいから見ていたかな?

こちらはラジオ&レコーズのランキングを元にしていました。まだ続いてるのね。

今のビルボードのアルバム・チャートを見ても知らないアーティストばかり。

まあBaby Metalからしてよくわかっていなかったし、もう娘世代以下だしね。

しかしせっかくここまで来たのならシングルチャートでもランクインして欲しい。

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2016年4月16日 (土)

11年目の結婚指輪

連れ合いから今年の誕生日プレゼントは指輪がいいとのリクエストが。R0014900_2

Marriaged Marriageという通販形式の指輪店からムーミンの結婚指輪というのが出た。

http://www.mgdm.jp/moomin_lp/

指輪のデザインは4つから、素材は4,5種類から選べます。裏にMoominの刻印が入り、
オプションで誕生石埋め込みや、刻印の追加などができます。

通販で実物が見られないので、サンプルを請求します。これはシルバーにメッキしたもの。

今回はサイズもわからなかったので、サイズのサンプルリングも送ってもらいました。

当初は最もシンプルなもので考えていたのですが、サンプルを見るとどうにも地味。

で、4種類すべて送ってもらいましたが、派手なのは日常使いが難しい。

結局3回サンプルを送ってもらい、当初案のシンプルなタイプに小さなダイアを

埋め込んだものに決定。素材はプラチナ。

値段は結構しました。通販とは思えず下手なブランド指輪が買えそうなくらい。

ただ、婚約指輪は贈るも結婚指輪は省略していたので決めました。

実に結婚11年目の結婚指輪となります。

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2016年4月15日 (金)

トキワ荘の青春

新宿ホワイトハウスを調べていて、施主でネオ・ダダの主宰者、吉村益信を知り、51abyllwszl

トキワ荘の寺田ヒロオみたいだと思い、トキワ荘の青春のDVDを借りて見ました。

似ているのは、グループの年長で兄貴分的存在だったっこと。年齢もほぼ同じ。

そしてグループで著名人を多数輩出するも、自らはほとんど無名だったこと。その死も似ている。

寺田の晩年は一人離れに住み、母屋に住む家族とも顔を合わせることはなかった。

朝から酒を飲み、妻が食事を日に3度届ける生活を続けていたが、朝食が手つかずで置かれたままに
なっているのを不審に思い、部屋の中に入ったところ、既に息絶えているのが発見された。(Wikiより)

ネオ・ダダ

吉村益信(1932-2011)豚・Pig lib、78歳没

篠原有司男(1932-)ネオ・ダダのスター、ボクシング・ペインティング、米国在住

赤瀬川原平(1937-2014)千円札裁判、老人力、ジャンルを超えた活躍、77歳没

荒川修作(1936-2010)渡米、コンセプチュアルアートで著名、養老天命反転地、73歳没

風倉匠(1936-2007)71歳没

有吉新、石橋清治、上田純、上野紀三、豊島壮六

トキワ荘(新漫画党)

寺田ヒロオ(1931-1992)1955白黒物語、トキワ荘のリーダー、1973絶筆、61歳没

安孫子素雄(1934-)1951天使の玉ちゃん

藤本弘(1933-1996)1951天使の玉ちゃん、ドラえもん、62歳没

石森章太郎(1938-1998)1954二級天使、特撮原作も、仮面ライダー、60歳没

赤塚不二夫(1935-2008)1956嵐をこえて、ギャグ漫画の王様、天才バカボン、72歳没

森安直哉(1934-1999)1955堀部安兵衛、1960漫画家廃業、1981現代マンガ家立志伝、64歳没

鈴木伸一(1933-)アニメーション作家、1957ふくすけ、スタジオ・ゼロ

美術、漫画ともに表現の枠が外れ、皆が必死で自らの作風を模索する時代でした。

吉村が見つけたのはパロディで弱く、寺田は児童漫画に固執して時代に取り残された。

大変な時代だったのではないかと思います。そのせいか早くに亡くなられた方が多い。

建築だと吉村、寺田と同年代に磯崎新がいます。しかし彼は、というか建築家は

一般的に徒党を組むということがなかった。磯崎はむしろネオ・ダダに親しかったし。

ネオ・ダダや新漫画党と同年代の建築家を挙げるとARCHITEXTというグループがあります。

東孝光(1933-2015)81歳没

鈴木恂(1935-)

竹山実(1934-)

宮脇檀(1936-1998)62歳没

相田武文(1937-)

美術、漫画と比べると必死さは感じられず、そのためか皆さん長生きです。

磯崎との関係は不明ですが、吉村、寺田と違って自らが最も成功してしまった。

ARCHITEXT世代はむしろ磯崎に煽られ、振り回されてあまり脚光を浴びなかった印象。

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2016年4月14日 (木)

新宿ホワイトハウス

磯崎新の実質的処女作と言われるネオ・ダダの拠点であった吉村益信の旧アトリエ。R0014884

今もカフェとなって残っていると聞き、見に行ってきました。

場所は新大久保の駅近くの路地を入ったところ。古ぼけた木造2階建ては

外観からは建築作品であると識別は難しい。

が、一歩なかに入るとそこには紛れもない空間がありました。

磯崎は当時まだ26歳。間取り図のようなものだけ書いて吉村に渡し、

吉村と大工で造り上げたそうな。なので磯崎の目が行き届いているわけではない。

実際、そこには本来付けたくなかったであろう窓が侵入したりしている。

しかし、平面の間口、奥行、そして断面高さをすべて3間、5460ミリとした

初期設定は驚くほどの強度を持ち続けていた。窓の額縁を消したりという

ディテールもありますが、基本的には寸法の勝利でしょう。ホワイトキューブの元祖。

築59年で所有者や用途の変更があったにも関わらず、この空間は一歩も後退していない。

あらためて磯崎の空間に対する潜在能力の高さにうならされます。

今このレベルのものをつくれるのは他に谷口吉生と安藤忠雄しかいないでしょう。

建築好きなら一度見て損はないものだと思います。

お店の情報はこちら。

カフェ・アリエ。開店3周年だそうです。月曜定休。
http://cafearie.com

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2016年4月13日 (水)

景気と住宅の続き

ぐだぐだと愚痴めいたことを書きましたが、大きな仕事をたくさんとって

事務所の規模を拡大すれば住宅設計以外に活路を見いだせるのかもしれません。

ただぼくはクリエイターでありたいだけで経営とか営業とかに興味はなく、

むしろ全く不得意です。簡単に言うと人間関係もお金儲けも苦手。リスクも負いたくない。

ぼくがつくるものはいいものですが一般ウケするものではないことは自覚しています。

理解できずに苛ついて敵意を見せる男もいる。それはぼくという存在そのもの。

男集団には常に敵がいる。比べるとおんなのひととは信頼関係は築きやすい。

が、女性でも仕事を一緒にするとなると才能への嫉妬が湧いてくると思いました。

それで同業者とのタッグというのはハナから考えていなかった。してたらたぶん破綻した。

結果的には全く職種の異なる女性と結婚し、経済的にも安定したので結果オーライ。

結局建築家という大きなお金と人を動かす職業には向いていなかったのかもしれません。

個人で完結する陶芸家みたいな方が良かったのかも。まあ興味ないんですが。

建築を好きになってしまったのだから仕方ありませんね。

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2016年4月12日 (火)

景気と住宅

日本には土地信仰みたいなところがあって、都市にあっても集合住宅よりBlog_import_52524a6108c3b

戸建住宅のほうが一般的です。

集合住宅は戦後、住宅公団にて団地という名前でつくられ、以降民間にも広がり

最近は都心のタワーマンションなど高級化も進みましたが、資産というよりは消費財

という印象のほうがいまだに強い。

そうした需要があるがゆえ、日本には戸建住宅の設計を専門とした建築家も存在する。

建設コストが安いため、設計料が十分ではなく大きな事務所では難しいですが、

逆に1-数名で構成される個人事務所というのが日本では成立しています。

その数は美容院の数より多いと聞いたことがあります。実質的に廃業している事務所を

どこまでカウントしているかは知りませんが。

そんな数の事務所の全てが食えているわけではない。特に景気の影響は大きい。

グラフは戦後日本の景気変動と年間平均給与。引用元はこちらのサイトです。

http://akiran1969.blog.fc2.com/blog-entry-793.html

これを見るとバブルが崩壊してから数年後、1997年あたりまでは給与が伸びていますが

それ以降は減る一方。いわゆるデフレで長期ローンを組んで一戸建てを購入するという

それまで一般的だったモデルが崩壊します。

ぼくが独立して手がけた最初の住宅が1997年竣工なので、仕事のほとんどが

こうした厳しい状況下でのものです。なんとか若手建築家へのご祝儀みたいなもので

ほそぼそとやっていけましたが、結局2008年のリーマン・ショックでとどめを刺される。

この10年ちょっとの間には建築プロデュースのブームのようなものもありました。

狭小住宅、ローコストという言葉も流行りました。

給与が伸びず先が見えない状況のなかで、なんとか施主候補者をフォローしようと

プロデュース会社や住宅雑誌などのメディアが活躍します。

が、それも2008年までで、以降住宅雑誌は次々と廃刊に追い込まれていく。

ここ数年でようやく株価は上昇に転じ、街で見かける建築現場も増えてきたと

感じていますが、できるのはアパートが多いし、戸建てもトータルコストが安い

建売がほとんどのようです。消費増税前の駆け込みなのか。

建築家に依頼するような仕事は豪邸に限られていると言っていいでしょう。

要はローンを組まずにキャッシュでポンと支払える人たち限定。

いくら安くてもまだ怖くてローンは組めない。クルマさえ買い控えている状況。

土地を買ったところで値上がりは期待できないので転売も無理。

少なくとも法外な土地価格の都市部の住宅設計というのは終わるのではなかろうか。

相続税も膨大に膨れ上がるため、大きな土地は結局売却され小割りにされて

売りやすいように木3の建売住宅に変貌していく。

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2016年4月11日 (月)

半年ぶりの体験コース

緑の再生プロジェクトで久々に西多摩MTB友の会の体験コースを走ってきました。R0014870

去年の9月以来だから、ほぼ半年ぶり。散策路はずっと奥まで開拓され、

広場までぐるっと一周できるようになっていました。今は桜も咲いていて気持ちいい。

コースは若干バージョンアップされ、後半に連続したコブが追加されていました。

今回の収穫はパンプトラックか。まずゆっくり走るようにするのと、

ハンドルへ荷重しないようにしてみました。これによってBBへの加重タイミングに

集中できるようになりました。しかしそれでもタイミングは掴みづらい。

たぶんまだ早すぎなのでしょう。2周程度でももが張るくらいプッシュしても、

ほとんどが無駄になっている感じがします。

体験コースの方は先日のタナトレと同様、後乗りでどれだけスピードをのせられるか

試してみました。行き詰まっているジャンプは封印。

結構車体は倒せる感じはしましたが、バームを抜けたところで前輪が2度ほど滑った。

それでも落車はしないのでゆとりあるポジションではあるのでしょう。

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2016年4月10日 (日)

フォレストドーム

知人建築家の北村淳さんが手がけている間伐材を使ったセルフビルド形式の仮設ドーム。R0014864

この週末に代々木公園で行われるアウトドアデイジャパン2016というイベントに

出展するというので、初めて現物を見に行ってきました。

大きさは可変。写真のような遊具から、大きいものだと屋根を張って茶室や東屋にもなる。

接合部は金属プレートに穴あけしてビス止め。基本は圧縮応力しかかからないから

これで十分か。基礎は規模に応じてコンクリートブロックを使ったりしているようです。

展示を見ているととにかく子どもの食いつきがいい。よじ登ったり潜ったり、

やはり子供はこういうの好きなのだろうと思います。

TVゲームで遊ぶよりよほど健康的だし、これで18万円は安いですよね。

北村さんはてっきりアドバイザー的関わりと思っていましたが、

なんと設計企画、販売営業などひとりでやられている。そりゃ大変だ。

口コミとかできる範囲での協力はしていけたらと思っています。

フォレストドームのサイトはこちら。

http://forestdome.net

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2016年4月 9日 (土)

同行者緩募 余地峠・星尾峠山サイ

※宿泊地を変更しています。

自転車はMTB系かシクロクロス、パスハンター等の山道走行可能な自転車限定とします。

押し担ぎが多いため、装備は登山に準じたものとしてください。

例)雨具、防寒着、山地図、熊鈴、手袋、水筒、ヘッドランプや行動食、携帯電話など。

前日13時予報で当日降水確率40%以上の場合、延期とさせていただきます。

■集合

2016/4/29(金)9:00上信電鉄下仁田駅

■宿泊地

佐久イン清水屋旅館

長野県佐久市中込1−22−3

http://nakagomi.jp/simizuya/

■コース

2016/4/29(金)

9:00下仁田駅

11:30熊倉

14:00余地峠

16:30清水屋旅館

2016/4/30(土)

7:30清水屋旅館

9:00荒船不動尊

10:00星尾峠

11:30羽沢

12:30下仁田駅

但し道路状況によっては星尾峠以降

13:00田口峠

14:30下仁田駅

■募集期限

2016/4/22

参加希望者はブログにコメント記入をお願いします

■山と高原地図

1/5万 西上州

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2016年4月 8日 (金)

感情もしくは愛情の喪失

10年ブログを書き続けてきましたが、これまで生きる意味を見失ったようなことは

書いたことがありません。それ以前のプライベートな日記にはあったかもしれませんが。

30代の前半頃、ミスドに毎日のように集う老婦人の方々を見て、ああなるくらいなら

その前に自殺するとコメントしてウケたことがありますが、ウケ狙いで言ったわけではなく

その時はそう思っていた。

その頃のぼくはミスドにアイデアスケッチをしに行っていたので、頭は回っていたはず。

ただおそらく、感情か愛情の感覚を喪失したのだと思います。昨日のぼくはそうだった。

どこをどうひねっても生きている意味が見つからなかった。

そういう日もあるさ、で片付ければいいのですが、ブログという定期的なアウトプットを

迫られ、頭を突っ込んでしまった。小説家や漫画家に自殺が多いのは同様に、

アウトプットに締め切りがあるせいなのかもしれません。

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2016年4月 7日 (木)

建築写真家

六本木の富士フィルムフォトサロン東京で「日本木造遺産」という藤塚光政さんの

展覧会が開催されていたので見に行ってきました。本日まで。

藤塚さんは前にここで名前を上げた大橋富夫さんとともに好きな写真家さんです。

ご本人もいらっしゃっていました。まだぼくが建築をつくっていたらご挨拶したかも。

なかなか会えるチャンスというのはないと思いますので。

建築写真というのは建築家として売り込むには重要なツールですが、嘘つきでもある。

現地に行ってみたらなあんだと思うくらい狭い範囲しか撮影していなかったり。

実際絵になる場所は限られているし、手を抜いた部分は当然のようにはずされる。

また、写真家は魔術師ではない。建築で表現されている以上のものを求めても無理。

だいたい写真の構図というのは決まってきてしまうので、画面構成自体は建築家が撮った
写真のなかに既にそろっていたりする。写真家のテイストというのは別にありますが。

しかし、最近建築は次々と壊されて、写真のほうが長生きするというケースは多い。

そうなると嘘が本当になったりする。壊されて50年も経てば実際どうだったか知る人は
ほとんどいなくなる。ならば撮っておいて損はないのかな。お金があればね。

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2016年4月 6日 (水)

ハードとソフトの続き

商業的にハード、ハコというのは大した力を持ってはいない。ハコ自体に集客を期待できる

時代は終わりました。ブティックでせいぜい商品のイメージを壊さない程度のセンスが

求められる程度。最近皆そこに気づいてハードはリノベーションで安く済まそうとしたり。

住宅に関しても同様で、家族関係がうまくいくような家、なんていうものはない。

機能的住居というものはあるが、生活のしやすさは必ずしも幸福度とリンクしない。

では、僕ら建築家の存在意義はなにかというと、やはりそれは文化・芸術面ということになる。

文学、音楽、あるいは美術作品と同様、それはなくても社会は成り立ちますが、

これらの質のいいものに触れることは人生を豊かにします。

ぼくはこの30年間、世界中のいいと言われる建築を見続けてきました。

それは必ずしもクリエイターとしての才能とリンクしませんが、少なくとも目利きではある。

ぼくが何がしか生前に貢献できるとしたら、やはりその点になるのでしょう。

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2016年4月 5日 (火)

ハードとソフト

商業建築というのはシビアなものです。どんなにハードがよくてもソフトがダメだったら

あっという間に閉館に追い込まれる。ぼくは2番めに務めた事務所でそれを目の当たりにした。

愛知県知立市にギャラリエアピタ知立店という大きなショッピングセンターがあります。

これのパチンコ・スロットKEIZが入っている別棟には当初、アミューズメント施設があった。

ジャイアントスクリーン、シネドローム360、ターボライドと体験型の映像施設3つを

メインとし、中央のロビー空間には物販や飲食も設け、施設名はアミスタと呼ばれていた。

こうした施設は日本には当時まだディズニーランドくらいにしかなかった。

それをアメリカのベンチャー企業と伊藤忠商事が組んで、倒産前のヤオハンの新施設の

一部に売り込みました。ぼくの所属した事務所はデザインコンサルとして関わった。

その時、視察でエンターテインメント施設の本場のラスベガスに行きました。

そこでの体験は素晴らしかった。観客の待機ゾーンから既にストーリーは始まり、

スクリーンからの掛け声で観客はいつの間にかその世界に引きこまれている。

ただ単に見るのではなく、参加したような気になる仮想体験施設と言っていい。

今では3Dスクリーンが登場し、観客席内にも仕掛けが設けられ、より強力になっていますが

当時、それがない状態でそのレベルにまで達していた。さすがアメリカと思いました。

一方でぼくはそのベンチャー企業のつくったソフトは竣工間際まで見ることがなかった。

同じアメリカの企業だからと楽観的になっていたのかもしれません。

ぼくらはとにかく施設のデザインに全力を傾けていました。

が、オープン直前に見た試写会でぼくは呆然となった。全くつまらないのです。

ストーリーも工夫もほぼないようなもので、ただ映像に合わせて椅子がガタガタ動くだけ。

そこで一気に目が覚めました。この施設は失敗する。映画のつまらない映画館に客は来ない。

果たしてその予想は的中し、おそらく2年も持たなかったのではないか。
それまでかけたおそらく億単位のカネが回収しきれずあっという間に飛んでしまった。

運営はヤオハンでしたがアミューズメント施設に関しては全くの素人だったし、

施設的には別世界感を出すためにクローズドな造りにして入場料を取ったのが裏目に出た。

パチンコ店に業態を変えたあと、ヤオハン本体の業績も悪化して倒産することになります。

ただ実はハコを作るというのはそんなたいしたことではない。それは一種のお祭りであり

ご祝儀が出たりもする。職人や専門家も多く、場合によっては手弁当で作業がお願いできたり、

最近はネットでのクラウドファウンディングという資金集めの手法もある。

問題はソフトで、商品であったりサービスであったり運営や広報などのノウハウがないまま

オープンしてしまうと悲惨です。店舗には毎月賃貸料がかかるし人件費だってある。

土日の2日がもし満員になっても、残りの5日がガラガラだと辛い。

店は第一印象というのが大事なので、できれば最初から全力で集客したい。

運営しながら考えるなど悠長な時間はかけられない。

一度通り過ぎる癖がついた客は2度と戻ってはきません。

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2016年4月 4日 (月)

うつうつ

このところ頭痛と肩こりが酷くて、精神状態へも影響が出ています。

とにかく鬱になり、こめかみを銃で撃ち抜いて解放されたくなったり。

そんなふうに思ってしまうのは、もうあらかた人生に満足してしまったからか。

この先を想像しても、なんかもうめんどくさいことばかりな気がしています。

ぼくはノイズに対して敏感です。簡単に言うとうるさいのが嫌い。

連れ合いは忙しく、ともにする時間は少ない上、決して気に障るような人では

ないのですが、どうしても日常生活音というのは発生し疲れてくると気になる。

そんな時はもう、ひとりで住んだほうがいいのではないかと思う時もあります。

事務所も休眠化させたし、身軽になるのでいっそのことカナダあたりに
移住するというのもありかと。

自殺なんかするくらいならよほどいいプランじゃないかなと思うのです。

日本は最もストレスのかからない国なので最後は戻る可能性は高いですが。

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2016年4月 3日 (日)

建築家になる

実際に建築された作品を持っていなくとも建築家とみなされる場合があります。

建築に対する独自の造形能力や論理的思考能力があれば、教職として食べていける、

それが1980年代までのAAスクールで、現代の日本の状況はこれに近くなっている。

結局のところ、そのひとが建築家であるかどうかは自称によるところが大きい。

ぼく自身の経験で言えば、この先食べていけるかどうかもわからない

極めて不安定な環境に足を踏み込む(踏み外す)決意をした時からが建築家かと。

ぼくが大学で建築学科に入学してから1,2年はライトもコルビュジェも知らなかった。

将来に対するビジョンは全く無かったと言っていい。というか構造不況の建築界では

就職の選択肢がそもそも狭いという認識だった。

製図の課題で力を入れ始めたのは3年になってからだったと思います。

このころ都市住宅誌のバックナンバーを買いあさり、まず日本の若手建築家を知る。

海外の建築情報源はまだa+uしかなかったから、後回しとなった。

いろんな作家に惹かれ、最終的には象設計集団しかないと思い、当時の東中野の

古民家にプレハブを増築したアトリエに押しかけ、樋口さんと富田さんに設計課題を

見てもらいアドバイスを頂きましたが、入所希望はかなわず。

当時のぼくには象以外は考えられず、ほとんど何も考えないまま当時伸び盛りだった

大手設計事務所に就職します。ここでは労働時間はめちゃくちゃでしたが、

給料はきちんともらえた。家族を持っていたらここにとどまったかも。

しかし流れ作業のようなデザインに疲れきり、会社も妙な方向へ舵を切りつつあったので

4年半在籍して退社。その間にバブルは収束していましたが、建築家の可能性もわかったので

次はアトリエ系に的を絞って片っ端からアプローチをかけました。

磯崎、谷口、篠原、伊東、早川、北山(孝)、ワークステーション、栗生。

当時の好みが反映されてます。安藤さんは行っても学べないし、葉さんは遠いと思った。

結局フェイズに3ヶ月お試しで拾われ、その間に飯田さんから誘われるもこの話はポシャる。

そのまま正所員にして頂き、フェイズには2年半在籍しました。当時の所員はボスを除いて

5、6名で年齢で言うとほぼ全員が30歳以下。労働条件は改善し人並みにお給料も頂きましたが

仕事にムラもあり、いつまでもお世話になるような雰囲気ではなかった。

大手設計事務所を辞めた段階で覚悟は決めたので、この時が建築家としてのスタート

だったと言えるかもしれません。転職活動で早川さんのところに伺った時は、

道を踏み外すリスクを説かれました。一方で公共建築のコンペに単独で出すようになった。

フェイズを辞めた時はもう30になっていたこともあり、転職活動はせずに独立しました。

仕事での評価は受けるも、建築家として成功する自信なんて全く無かった。ただあそこまで

進んで建築家になってみないというのは、とてももったいなく感じてはいました。

今、履歴書を書いてみると最短で独立したように、そうした意思があったようにも見えますが

実際は将来のビジョンなどまるで見えないなかでもがいていた気がします。

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2016年4月 2日 (土)

追悼ザハ・ハディド

手元に一冊の作品集があります。GAアーキテクト5 ザハ・ハディド。61ddxk89wyl_sy484_bo1204203200_

1986年4月20日発行とあります。ちょうどぼくが卒業設計に着手した頃にあたり

実際、アイルランド首相官邸案からの引用をしています。つまり彼女はデビューから

その死までをリアルタイムに共有した初めての建築家ということになるでしょう。

この作品集はドローイングオンリーです。写真は一枚もない。GAなのに。

実際に作品が建つまでは1993年のヴィトラ消防ステーションまで待たなければ

なりません。でも7年というのは短い。当時のAAには本当に建てられない建築家が山のようにいた。

その後の20数年で彼女は十分に作品を残したと思います。こんなに実作を残す人になると

思っていた建築家、編集者、学生は少数ではなかろうか。というのも、彼女は閉鎖的な建築界に

おいて、ことごとくマイノリティであったからです。

非欧州系のアラブ人、イスラム教徒、女性性を売りにしない女性、大学の専攻は数学。

ただお金持ちではあったらしく、当時有名な英国の私学の建築学校AAスクールに進み、

こちらも実作に乏しかったコールハースに師事。卒業するとOMAに入所します。

33歳の時に香港ピークのコンペで磯崎新に没案の中から救い出され1等に。実現はせず。

この審査の時に磯崎はこの案はコールハースによるものではないかと推測したそうな。

そういう意味ではハンディだらけの建築家人生でコールハースとの出会いは逆転の第一歩だった。

以降、アラブの小柄な太った女性は単身で世界に切り込んでいきます。カーディフ・ベイの

コンペでは2度1等に輝くも実現化されず、日本の新国立競技場もキャンセルされてしまった。

それが彼女の精神や身体にどれほどのダメージを与えたのか想像すら付かない。

彼女の建築家人生はまるでターミネーターのようだった。敷地の文脈は無視し、
いいものもわるいものも構わずとにかく建て続けた。まるで生き急いでいるかのように。
そのインパクト至上の価値観に、実際に建てるとなると敵も多かったでしょう。

建築家への評価は数ではなく質ですべきだと思います。

ただある程度の質のものを創りだすまでには数をこなさねばならないという面もある。

彼女の場合、グラスゴーのリバーサイド博物館が実現したのをぼくは高く評価しています。

R.I.P

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2016年4月 1日 (金)

旧碓氷峠から旧中山道

ここのところ自転車に乗れていなくて体重は◯kg増加。西多摩の総会にもバスで出席する始末。R0014780

さすがに走りたくなったのと、週末は天気が崩れるという話から水曜日に旧碓氷峠へ。

行く前はこんな下るばっかのだらけたコースで許されるのか。自走で上ったほうが

いいのではないかと思っていましたが、たぶん今のぼくには体力的にも時間的にも無理。

体力落ちてて動体視力も含めて身体がついて行かないし、ほんの少しの上りでも息が上がる。

さて当日は6時半過ぎに家を出て、埼京線快速で大宮まで出てそこから新幹線で軽井沢へ。

着いたのは8時半過ぎ。が、山ではまだスキーしてるし路肩に雪が見られるところもある。

標高1000m程度なのですが、確かに都市部より肌寒い感じはします。

自転車組立てて出発したのは9時。駅前通りを北上し、旧軽井沢を右斜めに入ります。

さすがにこの季節だと人は少なく、開いている店もまばら。程なくして商店街は途切れ

旧碓氷峠への上りに入ります。

碓氷峠から駅まではさほど下った記憶はなかったので油断していましたが、

旧碓氷峠は碓氷峠より200m以上高い。結局舗装路を250m以上のぼりました。

見晴し台には9:50着。東への展望が開け一応日はさしていたのですが、

薄くガスがかかっていて明瞭な景色は得られなかった。奇岩がいくつか見えた程度。

ここに上るところにヒルに注意との看板が。こんなところにまで浸出しているのか。

峠の茶店はひと気がなくどこも閉まっていて力餅は食べられずにスルー。

ここから子持山近辺までショートカットするトレイルもありますが、

今回は道なりに奥まで進んで、ゲートのあるところを右折するコースを選択。

ダートが始まり、所々で路面に雪が見られ、アイスバーンのようになっていましたが、

滑ることなく、乗車することは出来ました。分岐を右折してからは雪もなくなった。

コースは旧街道だけあって幅があり明瞭で迷ったり遭難したりするようなところではない。

基本は真っ直ぐな尾根道で切り返しも少ない。あえて難をあげるとすれば路面に埋もれている

樹の枝類が大きく車体に絡むとダメージ大きい。一度跳ね上げて顔面直撃し怪我するところだった。

勾配は緩く、後ろ乗りしていると落ち葉で速度が落ちてしまうことも。初心者向けまたは

シーズン初めの体慣らしにちょうどいい感じ。乗車率9割以上。ぼくの身体は思ったより
動かなかった。膝にゆとりがなく上体が立っていたためドロップオフで身体を持って行かれたり。

30分ほど走るとようやく身体が慣れてきますが、ここらで登り返しが一発。

それを越えると徐々に路面に石が多くなり、刎石山を巻くあたりでは乗車はかなりきつい。

押し下り、再度乗車すると最後に木の階段が出現して終了。11時でした。

遭遇したハイカーは2名で、ともに登っており平日のこの時期を考えると多いか。

登山道入口には詳細な地図があるところを見ると、著名なコースなのではなかろうか。

マラソンコースとしても使われることがあるそうなので、要注意。

カーブNo.9のあたりでアプトの道なるものを発見。昔の線路跡を遊歩道として整備していて

上って行くとめがね橋辺りまで通じている様子。下る途中で現役のトロッコ列車や

旧発電所などを見ることが出来ました。ただ自転車乗り入れは不可。押しましょう。

全ルートを考えると結構な距離なので自転車通行可にしてレンタサイクルを設ければ

効率的だし儲かると思うのですが、軽井沢あたりの人たちとは考え方が違うようです。

横川駅に到着して時刻表を見ると電車は1時間に1本。とりあえず輪行して次発まで

30分弱あったので、おぎのやの釜飯を頼みます。というか駅前にはこれしかない。1000円。

釜飯は地元に出前専門店があってこれがかなり本格的なので、比べるとあまりたいした

味ではない。猫が寄ってきて食べ物をねだるので、ご飯の上に鶏肉を乗せてやったら

肉は食うもご飯は手付かず。日頃こればかり食っているからでしょうね。

各駅停車を乗り継いで15時頃には帰宅。だいぶ余裕のある旅程となりました。

・走行距離:18km

・獲得標高差:304m

・最高標高:1220m

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