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2016年8月26日 (金)

人生をかける

オリンピックに触発されて、自分の人生をかけた時期を振り返ってみます。1

人生をかけることなんてそうそうないと思いますが、ぼくの場合は建築でした。

実際に最初の転職の時に、紹介された設計事務所を訪ねたところ、

建築企画も面白いよと言われて、ぼくは建築意匠に命かけてますからと答えた。

建築家を意識したのは学生時代で、非常勤の先生から評価してもらっていたので

可能性はあるのかなと思った。が、熱望する事務所に入れなかったことで、なかば

投げやりになり組織事務所に就職する。すぐトップになると先生には言われていた。

しかし実際の仕事はそんな甘いものではなく、在籍時の4年半ずっとデザイン部門で

スケッチやパースを引き続けましたが、最初の数ヶ月は本当に何もできなくて、

上司に給料泥棒呼ばわりされる有様。必死で線や文字、スケッチの練習をした。

一級建築士の資格を取得したところでアトリエ事務所に転職します。

ここで上記発言が出ているので覚悟は決めている。参考にしたのは伊東さんや

安藤さんの世代の建築家。アトリエで修行して30で独立35でメディアデビューというシナリオ。

なんとか知られたアトリエ事務所に潜り込み、ここではボスの作風に準じての

デザインをしますが苦痛ではなかった。むしろ自分の美的価値意識と近いことが

できて嬉しかった。ここでも基本設計に関わり、独立までに実施設計は1度しか経験なし。

現場はデザイン監修というかたちで一度張り付きましたが、そんな状態で30歳の時、

予定通りに独立します。仕事のあてもなく全く無謀でした。案の定時間を持て余し

当初は誘われて雑誌編集部でアルバイトをしたりしていました。

最初の仕事は
2つめの事務所の先輩から誘われた住宅の共同設計でした。この住宅は

先輩のつてもあって新建築の住宅特集に掲載されますが、先輩がとってきた仕事ということ

もあり、積極的には売り込まなかった。宮本隆司さんに撮影までお願いしたのですが。

2
作目は賃貸併用住宅だということだけで、どのメディアもとりあってくれなかった。

そして3作目になったのが35歳の時の運命の自邸の設計です。実のところこれは自ら望んだ

仕事ではなく、親の都合で当時住んでいた祖母宅が取り壊され、決まったものでした。

1
作目が雑誌に載った時、平面的アイデアが優れた妹島さんや玉置さんの作品に埋もれた

こともあり、アイデアを再優先させて、ものはルーズに作ろうと思った。無数に案を作り

実施設計が終わりかけた頃でさえ、最初からやり変えようと思ったこともありました。

果たして出来上がったものは、空間を体験する分には面白いが絵にならない建築でした。

1作目と比べ、アイデアは向上したがフォトジェニックという点では落ちてしまった。

五十嵐太郎さんに内覧会をドタキャンされ、新建築のひとには見てもらうも掲載されず。

この1作にかけていたので落胆は大きかったです。おまけに仕事もなくなり、

近所の物販店にアルバイトの応募をするも、ことごとく落ちてしまう。

また当時流行っていた住宅のコンペに立て続けにエントリーするも落選ばかり。

35
歳から先は考えていませんでした。なんとかなると思ってたのでしょうが、

なんともならなかった。ようやくありついた住宅の仕事が基本計画で破談になったことで

ぼくの身体は決定的なダメージを受けて破綻してしまう。

ここでぼくの建築は終わりました。身体を壊したことから、結婚の話までしていた

交際相手とも別れてしまいます。しばらく建築の仕事から離れ、その後復帰して

いくつか住宅を手掛けるも、命をかけた建築への情熱は戻りませんでした。

それからの人生はもう老後のようなものです。連れ合いと出会い、結婚し、

自転車を始めて山に登るようになり、心の平穏を第一に考えるようになった。

たぶんこれが身の丈にあった普通の生活なのでしょう。今、51歳。

でもあの頃のあの苦しかったけどやりきった体験があるからこそ、

ぼくはもういつ死んでも悔いはありません。

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