心と体

2015年7月17日 (金)

宗教

ぼくは無神論者です。神も仏も霊も存在しない。死んだら腐りゆく肉体になるだけ。

それで日常生活は問題ありません。だいたい日本人は宗教に対する考えが曖昧である。

問題となるのは法事です。葬儀をしたり、墓や仏壇をつくってお参りに行ったり、

定期的にお坊さんを呼んで念仏を唱えてもらったり。

疎遠になっている親から連絡がある時はたいがいこの手の話がらみ。

うちは2人兄弟でぼくらには子供がなく、弟は結婚すらしていません。

つまり後継者はいないので、いずれにせよ墓も仏壇もぼくが生きている間に処分する。

そういう話はすでにしていて、伝わっていたと思っていたのですが。

先日、1年ぶりくらいに父親から連絡があり夕食をとったのですが、

食事が終わったあたりから宗教論争が始まってしまいました。

死後の世界はあるとか言い出してさすがに黙って頷いてはいられませんでした。

結果としてはお互い屁理屈をこねくり回した挙句に決裂。やれやれ。

葬式くらいは故人の遺志と遺された者の傷を癒す場として尊重するので、

そこらへんでかんべんしてもらえないだろうか。

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2014年6月11日 (水)

半老後

50という切りの良い年齢を機にレースの類から身を引く決断をした一方で、
重点を置こうとした山サイの方はひとつプランニングを断念しあと行きたいのは数知れる。

建築の仕事の方も積極的に取りに行こうという気になりません。
なにより直近で参加した3つのコンペに結果に納得しておらず、
あれらが竣工してすごい!と評価される建築界とはあまりに距離がありすぎる。

で、趣味仕事ともに半ばリタイアしたような気分になっていたのですが意外と悪くない。
ただそれにもすぐに慣れてしまって、逆に退屈を抱えてしまうのは目に見えていますが。

最初に務めた事務所を辞めた時には本当に解放感と幸せを感じていました。
当時まだ26歳で心身ともに若く、いつ寝ていつ起きても、またいつでも好きなことを
いつまでも考えていられるというのは嬉しかった。

独立して事務所を構えた直後も、思い立ったらその足でチケットを買いに行き、
ふらっと海外へ出かけることなどしばしばありました。31、2歳の頃。

今思うと自由を謳歌するにも体力精神力というのは必要なんだなと感じます。
今のぼくだと精神状態を一定に保ち続けるだけでも精一杯になる気がしています。

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2014年4月 6日 (日)

元同級生の死

著名な建築家になるってプロ野球選手になるようなものか。競争率は相対的に低いが。
定員が決まっていて一度認められると外されることは少ないが高齢者には引退勧告がある。

ふとそう思って高校時代、プロ野球選手に最も近いと思われたクラスメートを思い出した。
彼は野球推薦で慶応に進み(思い違いで実際は日体大)高橋由伸と同じコースを辿ったはず。

で、検索してみると思わぬ結果が待ち受けていました。
彼は12年前、37歳の時に亡くなっていました。自殺。

記事によると彼は高校卒業後、日本体育大学に進み、4年間で首都大学リーグのベスト9にも
2度選ばれ、最終学年のときには、300人の部員を引っ張る主将にも選ばれた。
卒業後は、海外青年協力隊に志願し、中国のナショナルチーム結成の準備のための指導者として
3年間中国に野球の指導者として赴任し、帰国後、母校・日体大でコーチを経て、
2年前から監督としてチームの指導にあたっていた、とのこと。

監督就任時に上司から、首都大学リーグで3年に1度は優勝することをノルマとして課された。
自殺直前の3カ月間は1日の休みもなく、野球部の試合や合宿、スカウト活動、短大での授業などが
かさなり毎月300時間を超える長時間労働が続いていた。つまりは過労死。

日体大だとベストナインくらいではプロのスカウトは来ないのか。
もし彼が着目されやすい慶応に進んだら人生は変わっていたかもしれません。
彼はとにかく真面目で、全寮制の厳しい野球部にもかかわらず勉学もそこそこできた。

ぼくが戦慄を覚えたのはもう一点、ぼくも同じ時期に精神的クライシスを迎えていたこと。
渾身の力で設計した自邸の評価が期待していたほどなく、仕事は途切れ住宅のコンペに
参加するも全敗。いよいよ困窮してきて一般のアルバイトに応募するもことごとく断られた。

まさに四面楚歌な精神状態から抜け出すためにぼくは頑張ることをやめました。
世間的にきちんと評価された建築家になることもあきらめました。
それがその後も生き続けるための最低条件となったので。

彼も選手として評価されなかった分、監督で挽回しようと必死だったのかもしれません。
真面目で完璧主義者ほどはまりやすい精神的危機。彼は越えられなかった。
もう10年生きてみればだいぶ楽になったと思うのですが。

R.I.P

2014年2月18日 (火)

恐怖感

ぼくは高所恐怖症ですが、命の危険がさらされるところがダメなのです。
それは心の問題なので、同じ状況で大丈夫な時もあるのですが、突如やってきます。
足がすくむというまさにその状態。まったく動けなくなってしまいます。

この症状の最も危険なところは、極度の恐怖感と緊張感から自分から死を選ぶ可能性があること。
恐怖感というのは危機を察知して安全策を考えるためにあると思うので矛盾していますが、
たぶんぼくは弾丸が飛び交い、地雷原の埋まった戦場の前線に出されたら、
恐怖感から解放されるのに自分で自分の頭を撃ち抜くのではないか。

なので、ぼくが生きている間は戦争だけは起こしてほしくない。
ぼくの政治的中立の姿勢はそんな単純なところから来ています。
正義だなんだと言っても死んでしまったら終わりですから。